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連歌と連句について

連歌と連句の特徴及び違いについてできれば詳しく教えて下さい。 インターネットや本であまり詳しくのってないのでよくわかりません。 お願いします。

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回答No.1

  「連歌」と「連句」の違いというのは何か、よく分からないのです。連句はほんの少しですが知っています。しかし、連句は読んだことも巻いたこともないので、分からないのです。しかし、以下のURLの説明を読むと、あまり違いはないのではないかという考えになりました。 >http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/7185/renku.html このページでは、連歌と連句の違いを尋ねて、「連句」とは「俳諧の連歌」の別称だと引用した文章で示しています。つまり、室町後期に、「俳諧(おかしみ・滑稽さ)」を詠い込む連歌のスタイルができ、これを「俳諧」と称し、やがて江戸時代中期になって、松尾芭蕉の「俳諧」で全盛を迎えたという話のようです。 「連句」という名称は、明治時代、正岡子規が、連歌の発句を取り出したものを、「俳句」と名付けて、従来の連歌や俳諧の連歌を退けて、俳句に価値を主張したのに対し、その一番弟子の高浜虚子が、「俳諧の連歌(略して「俳諧」)」が俳句と紛らわしいので、これを「連句」と呼ぶことにして、俳諧の連歌に新しい道を探ろうとしたということのようです。 連歌と連句(俳諧の連歌)の違いは、連句が、「俳諧」を備えていて、庶民的な連歌であるという点になります。 「連歌」をよく知らないので、比較しようがないのですが、連句の世界の方が、あらゆる物象や人事や自然や、その他、色々なものが自在に登場し、連歌の世界よりも、遙かに複雑巧妙で、面白い世界なのではないかとも思えます。 連歌と連句の「違い」は以上のようなものとして、では、連句、連歌とはどういうものかです。これは、参考URLにある、「連歌の用語」を見ると、幾らか分かるのではないかと思います。 連歌、連句は、形式的には、和歌の上の句(つまり、757の部分で、この部分を「長句」と言います)と下の句(つまり、77の部分で、「短句」と言います)を交互に読んで行き、長句、短句、合わせて、百詠んだ場合、できる連句を、「百韻」と呼びます。三十六句で全体が完成の場合は、「歌仙」と呼びます。 詳しくありませんが、連歌の場合には、式目(連歌に変化を与えるためのルール)において、輪廻(同じイメージや趣向が反復されること)に対しあまり厳しく意識しなかったのではないのかという気もしますが、逆かも知れません。参考URLに出てくる、ネット連歌の作品例では、輪廻にあまり気を配っているようには思えません。 これは、連句の特徴なのか、連歌の特徴なのか分からないのですが、連歌においては、俳句の四季節と違い、もっと多数の季節があります。俳句を詠むには、「歳時記」というものを使い、季語を調べますが、連句の場合、四季節に分けた歳時記ではなく、十六季節が基本の「季寄せ」というものを使います。 四季節を、例えば、春なら、さらに、初春、中春、晩春、三春、と四つに分け、四季節で、十六季節になるということです。さらに、新年とかもありましたから、十六よりも多くなります。こんなに季節があってどうするのかというと、長句、短句と句を詠んで行くとき、次の句は、どの季節というルールを立てて、同じ季節にならないよう、変化を付けるのです。 また、「自・他・半・場」というような区別が句にあったはずです。これは、句が、自分のことを詠っているのか、他人のことか、自分とも他人ともどちらか分からないのか、または人間は出てこないのか、というような区別です。 こう言った複雑な句の区別で、捌き(宗匠)が、次の句は、「晩夏の自」とか言うように決めて、連句の展開に変化を与えます。 「歌仙」三十六句だと、最初の長句を「発句」と言い、その次の短句を「脇」、三番目に来る長句を「第三」と呼びます。これらの三つの句は、非常に高い制約があります。「どう詠まねばならない」というようなことがルールになっています。 最後の短句を、「挙句」と言います。その前の長句には、普通、花(桜)を詠みます。こういう前と後ろのあいだに挟まれた、残り、三十一句を、輪廻を避けて、変化を付けつつ、巻いて行くのが連句になります。 式目として、非常に大きな制約が色々置かれます。輪廻の禁止は無論ですが、前句に対し、適度に「付けつつ」「離さねばならない」というようなことが規定されます。また、変化を付けるためというか、月と花の定座というものを決めていることが普通です。ある位置の句は、月とか花(桜)を詠まねばならないという規則です。 また、恋句と言って、「恋の句」を詠むタイミングとか、どう詠むか、というような規則もあります。恋の句は、好きなときに詠んでよいのではなく、この辺りで、必要であるという感じがすれば、誘いの句などを詠んで、それから恋の句となります。こういう進行、興行は、捌きが指図します。 そういうことを述べても、よく分からないと思います。 参考URLを見て、作品例を見てください。作品例は、そんなに複雑な規則を設けていないですが、これは、ネット連歌ですから仕方ないことかも知れません。 >http://ksugiura2.hak.hokkyodai.ac.jp/myweb/renku.htmhttp://www5d.biglobe.ne.jp/~takiren/  

参考URL:
http://www5d.biglobe.ne.jp/~takiren/,http://ksugiura2.hak.hokkyodai.ac.jp/myweb/renku.htm
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回答No.2

連歌についてお答えします。 松岡正剛氏が毎晩UPしている「千夜千冊」という サイトの739夜で詳しいく説明しています。 で取り上げている本は  『連歌の世界』 伊地地鉄男 です。

参考URL:
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0739.html
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