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吉本隆明の思想について

arayata333の回答

回答No.9

自分には、自分の書いてることへの自信のようなものがあまりありません。 たぶん、自分の中ではもはや整合性がとれていて崩れないのではないかと思えるほどに、いつしか考えがまとまってはいても、 たくさんの本とかを読んでいないので、 いままでの人類が考えてきたことの歴史とか流れとか うずもれていたりもするだろう昔の人の知恵とか、 まったく解からないままであるようにも思え、 その中での自分の立場とかが見えてこないからだと思います。 書いてることの 人間社会での役割のあたりが見えない感じです。 経済カテのほうにも、軽く今の政治の出来事を話題に ほんとうは経済がどういう力のものかを暗にさぐる質問をしていますが、   今のところ同じく軽くあしらわれてしまったような、たぶん日銀とか金融庁とかの対策をひとことで書かれてしまった回答が一件入っているだけです。 ほんとうは、自分もただこうして話でいるだけでなくて、できれば正しい起業に一石を投じて見たい気持ちなのですが、    これはいわば、「AZスーパー」の拡大版のようなもので、よほどの自信がないと身動きできるところではないですね。      最近の鹿児島の過疎地に出来た巨大なAからZまですべての商品を扱うスーパーの大成功の事例のことなのですが、  それはほとんどが、いままでのマーケットの常識を覆した経営なのです。 在庫はけして返品しない。 一律計算もしないで安く提供する(バーコード方式を無視した形での最安値提供。) 地元の雇用に最大限に貢献する(リストラと逆)、一人でも送迎バスを連絡があれば走らせる、  全部経済法則を無視したかのような経営です。 ただひとつ、 すべてがそろってる、つまり総合的なだけなのです。 これで、連日満員?      しかし、ここには書けないことであるところ、 ひとこと言うならば 総合化こそすべての味噌であるということなのです。 ((これだけで、 言いたいことに気がつくような頭のいい若者が これを読んでくれたらなと 思うのみです。)) でもAZの経営に、理論があったわけではなくて、社長も何故成功したのか首をかしげながら、ただ単にお客中心主義を貫いているだけなのです。 私には 理論が無ければ行動はできません。   勉強の時間も体力も無いところどう出発できましょう。 が、  哲学自体は、まるで地球よりも大きいのかもしれません^^。(自信がないので 破れかぶれで書いてます。) 自分の中では「「総合的だ」」ということです。 * 自分では やっぱりキリスト者であるかどうかは よくわかりません。 ただ、愛という言葉にしても キリストがその言葉を使ったのはたしか「命を人のために捨てるほどの愛は無い」とかいう言葉ですよね。 これこそ「おしえ」じゃないですよね。 生物である人間の謎の世界であり続けます。    なに一つとっても、 パウロはまだよくわかりませんし、 その人が創作者だったのかもしれないても、 わたしには「謎」というか  先がどこまでもある(私の考えの常に先がある)世界で、 これが庶民のたとえ話で言われてる言葉じゃないですか。 大工さんでしかなかったから 当時の書物に記録が皆無だったのでしょうが、 それをよく拾い出したということなのでしょうが(わたしにはですが 奇跡とかは何かの気迫に押されての勘違いか、ともかく物語りがまざってしまった汚点だとしても、 実在はした人との推理がどうしても働いてしまう内容だということです。)   でもだからと言って、神という存在とキリストとを結ぶ接点を見出すという感じでもないのです。  神は神であり、キリストは優れた人間(優れすぎてますけど)としか、解からないということです。 * 「仁」については、 たしかに記録が残っているとすれば、おそらくその「教え」の部分かと推測しています。   でなかったとしたら、中国古典を勉強した偉人達がそのへんを評価していないはずが無い、というふうな推理の仕方なので  あやふやな思索に過ぎないのでしょうけどね。 孟子とか孔子とか、そのあたりの人が「仁」についての道徳を何か語ったりしていましたか? ほんとうに無知無学な者、恥ずかしいです。 でも、同じ推理力のようなもので、 というかやはりなんらかの体験からの思索なのでしょうが、   それは確かに、ここでの議論の「自然本性」の世界の 人間としての自然な行為として生まれたものと思います。 アフリカの中の 肌をさすって病気の人をいたわる習慣のある種族の集団で病気の人の肌をさすっている写真が、 ある専門の指圧の本に出ていたのですが、 その頃は私自身は気脈の世界も知りませんでしたので 惜しいきもちになるのですが、 その専門家である著者は、 彼らがちゃんと 現代のつぼ医学からみても正しい位置に手をそえてることに驚いていました。 でも、そこからその体系が生まれるのには、たぶん、苦しみをともにするそれこそ「友」と友の       ↓ ちょっと言葉では、 言えないところに差し掛かったみたいですので、また男女関係とも関りそうな体験ですので、 ここに体験をさしはさみます。 ↓ 私は その女性の手を握ったことも無いですが、 北海道の人でさへそちらのほうが寒さをしのぎにくいという冷たい風の山から吹き降ろしてくる地方にて、ともにその極寒の大地に農作業(主に酪農)にいそしんだことがあります。    苦労をともにしたことが、 どれだけ 人と人との心を通わすものか。   それがどんなにすごいものなのかを 体験している者なんです。    やっぱり、言葉でそれをどういったらいいか結局わかりませんけど。  むむむ。 ↓ もしかしらた、ともかく それらの遠い記憶が重なってのことなのでしょう。 わたしには、  健康への願いをこめて肌をさする「友」と「友」のあたりまえの感覚がわかるきがします。 たしかに、それは「おしえ」、道徳とかいうのではないですよね。 中国北方の厳しい大地、遊牧の地でもない荒れた農地にて、おそらく豆だらけの、もしかしたらその時私の手がそうだったように赤切れたセルロイドのような手の平から その気脈の知恵は生まれたのだと思います。 *  《一たん これまで考えられていた〈人間〉が 〈ほろびる〉段階を経る》 超一流の思想家の方が そのように思っておられたと言われても 思い当たる点とかは、 あることはあっても自分の考えについては自信とかはやっぱり無いですね。 マズローの欲求7段階説というのは知っています。 これって資本主義の経営書にも出てきますよね。 でも、そういう7段階となってしまう心理は、おそらく「自然本性」の感性に立ち帰ったら、とても存続しえないでしょう。 そうした心理変革が 資本主義のこれからの進展にとって必要だという論議であるならば、 わたしにも解かりそうなところですが  《いったん<ほろびる>段階を経る》という言葉は 強力すぎる比喩ですね。 そのぐらいの 思い切った何かが必要だということを見抜いていたということなら、 私の感性教育改革案はかなり極端な大改革のビジョンですから似ているのかもしれませんね。 私の場合は、その専門の道をそれとさへ知らず(自覚さへしないで)ただ夢中で歩いてきてその案の世界にたどりついてしまったわけですが、  その思索無しに、 そのへんを見抜いていたというのならば、吉本隆明という人は やはりたしかに よほど鋭い思索家だったのでしょうね。 あ  みんな感性教育に結びついてしまうのですが、 はずれまくりでしょうか?    ともかく、 こうなったら(ネット音痴とお金の無さで日本感性教育学会にコンタクトできないのならば) ここで、その案(ビジョン)を さしつかえなさそうに思える限りは発表してしまおうとも思いますが どうですか? 《当番制》への道は、 ここでの論議の一致点でしょうから、 私という変わり者の、変り種回答もそこをはずしたものでないのならば、 「あり」ということで です。

noname#80116
質問者

補足

 arayata333さん ご回答をありがとうございます。    まづ初めに この質問は 未来社会について 具体的な主題をとおしても 考えるという趣旨ですので その筋でしたら 何でも 取り上げてください。  ★ 仁   ☆ の扱いでは わたしは早走りましたね。中国人は 《ともかく信仰》の側面は 道教のようですし 儒教が どのように位置づけられるのか その判断を わたしは 早まったようです。ただし  ★★ わたしには、この仁の復活こそ、 男女関係を真に健康にする あるいは永遠の魂の存在という神学をも復活させる、現代の社会の中でのかなりの早道と思えるということなのです。  ☆ というように 大上段に振りかぶったかたちで 述べておられるようではあります。いづれにしましても もう少し 冷静な分析・判断をすべきところでした。  たぶん 知行合一というように 陽明学でしたか 理論と実践との統合を言う儒教の一つの展開があったと思いますが そのような主張が現われたということは 《おしえ》として神棚に祀られていたという情況は あったのではないでしょうか。  ともかく 孔子も孟子も いまは 遠い存在になっていますので あらためての手ほどきののちに 《仁の復活》については 考えてみなければならないと思ったのですが。  ☆★  《一たん これまで考えられていた〈人間〉が 〈ほろびる〉段階を経る》  ☆ の問題です。一つには 豊かな社会になっても 一般に 《衣食足りて 礼節を知る》――これは 期せずして 儒教のようですが――というふうには この日本では ならなかった。その昔 これこれの経済行動のやり方では 長い目で見て 立ちゆかないと 友や先輩に言うと いや きみは若い いまは なんと言っても 経済の繁栄を築かねばならぬと返って来ました。そうか しかたがないと見守っていたわたしも 期待が 見事 外れました。  もう一つの事由は こうです。わたしが こうして 社会から隅のほうへ追いやられても 元気でいつづけることが出来たのは 一たん 死んで 蘇ったからです。それは 一般的な言い方をすれば 《神も仏もないのか》というまでに 世の中から 承認も受容もされなかったということです。あるいは 或る時点では とうとう 《わが神 わが神 なにゆえ わたしを見捨てられたのか?》という言葉を発したということです。  そこで 見捨てられたということにおいて 見捨てられてはいなかったと 分かったのでした。  要するに 《古い自分は ほろびる》という回転がありました。その経験からいけば 未来社会は 一面として たしかに 人為を問わないかたちの自然史過程として推移すると思われますが もう一面としては――特に 一人ひとりの個人の人生としては―― どこかの時点で 旧い自分が死ぬというまでの経験を持つのではないか とは思っております。《目から うろこが落ちる》というふうでも いいのですけれど。  一たん 強い光を浴びて 目が見えなくなったサウロ(つまり パウロへ改名する前の名)は アナニアがかれの上に手をおいたとき  ▲ すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。(使徒行伝9:18)  ☆ という例としても記されています。  ★ 感性  ☆ の主題は おそらく 言葉で説明していくことに むつかしいものがあるのでしょうが 人と人との関係のあり方に変革が起こるといったところに 焦点をあてて 試みてください。  あっ 教育というよりは その理念や基本思想を 解明・説明していかれると よいかも知れません。  わたしも 足元を見つめながら 進まねばならないです。

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