吉本隆明の革命論の変遷とは?

このQ&Aのポイント
  • 吉本隆明の革命論について、彼は共産党批判から真の革命を主張し、学生の人気を集めていました。
  • しかし、80年代に共産圏が崩壊し、今では革命を主張する人はほとんどいなくなった中、吉本氏はどのような意見を持っていたのか疑問です。
  • 一部の人々は吉本氏が最近転向し、共産主義革命をあきらめたと主張していますが、この情報の真偽について知りたいと思っています。
回答を見る
  • ベストアンサー

吉本隆明の革命論は、どう変わったか?

吉本隆明は多くの鋭い指摘を残して亡くなってしまいましたが、私は彼が「自分は軍国少年だった」と言って、思想を展開したことに大変、好感を持ってきました。 そして全学連運動などにも、鋭い批評を述べていて、同感するところの多い、批評家だったと思います。 全学連運動の随伴者だったころは、共産党を批判して、本来の革命はそんなものではない、と言っていたように覚えています。 その共産党批判にも私は引かれていたのですが、そのとき本来あるべき革命と言うことを主張していたように思われます。 つまり彼は真の革命を述べて、学生の人気を獲得していた、と思っています。 さて80年代に共産圏が崩壊して、今では革命を主張する人はほとんど居なくなった世界で、吉本氏は革命について、どういうことを言っていたのでしょうか? 私の知人に、「吉本氏は最近転向を宣言して、共産主義革命をあきらめていた」と言う人が居るのですが、いろいろ本を見ても、そういう書き物を見つけることができませんでした。 真の革命を叫んだ人なのだから、そこから転向することは大変重要なことだと思うので、この間の経緯について何かご存知でしたら、教えてください。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • kappa1zoku
  • ベストアンサー率29% (334/1137)
回答No.1

吉本隆明を同時代で読んでいるとしたら、60歳以上となりますがもっとお若い感じですが・・・ >つまり彼は真の革命を述べて、学生の人気を獲得していた、と思っています。 僕も少なからず彼の著書を読んでいますが、僕の読書量では「真の革命」などと言う言動があったことは記憶していません。 吉本隆明のスタンスからいって、彼が「革命」を語るとしたら、「革命」運動の過程が問題だと言うような気がします。どのような運動も変質への恐れがあります。その変質をどう理解し、自己解明していくか、そこを問題視すると思います。 知識人はどのような形であれ、世界水準まで上昇していくだろう。それはすごいことでもない。問題は、自分たち自身が立っている大衆の地点まで戻ってこれるのか、その下降の仕方が知識人の真価を問われることだと書いていたと思います。

kobatetu01
質問者

お礼

回答ありがとうございました。 私は吉本氏を全学連、全共闘との関連で注目していたのですが、今回調べてみると、革命関係について、彼の考えを述べたものは、大変少ないことに気がついて、私の思い込みが強かったようにも思えてきました。

kobatetu01
質問者

補足

コメントありがとうございました。 私は吉本のことをよく知らないで質問した、という事情をまずご了承ください。 そして遅まきながら、ウィキペディアを読んで、晩年の吉本の考えに同感するところが多いと気がつきましたので、なおさらこの問題を解明したいと思いました。 そのウィキペディアには、彼の革命論に関して、次のような説明がありました。 >吉本は60年安保を、先鋭に牽引した全学連主流派に積極的に同伴することで通過した。 >吉本は埴谷雄高の「スターリン主義的左翼文化理念」と異なるだけで、自らを「左翼」であるとしている。吉本は埴谷雄高の「スターリン主義的左翼文化理念」と異なるだけで、自らを「左翼」であるとしている。 >1994年には、かつての自らの『転向論』を意識した「わが転向」を文藝春秋に発表。 とあり、彼が転向(つまり以前は革命志向)を自認していることは明らかだ、と思われます。 彼の書いたものに「真の革命」という言葉が無いとしても、「真の革命」という立場からの、既成左翼批判だった、というのが私の印象なのですが・・・。

関連するQ&A

  • 文化大革命について

    毛沢東の行った文化大革命についてですが、今では故人の行った大失策、中国の発展を10年は遅らせた、とも言われますが、現在の中国の一般人民、党中央では文革についてどういった扱いがされているんでしょうか? また、毛沢東の妻ら4人組を逮捕した人(公安のトップ?)とは誰ですか?それに加えて、4人組の行った主な愚行を教えてください。 ※この質問は中国共産党・毛沢東元主席・文化大革命を批判するものではありません。

  • 吉本隆明さん

    たかあきさんなのにりゅうめいと呼ぶのはなぜですか? 私も以前りゅうめいさんだと思い込んでました。 いまさらな質問で恥ずかしいですが教えて下さい。 もうかなりのお年ですよね。最近彼の考え方で安心出来てます。

  • 共同幻想(国家)を壊さないといけない理由

     前に吉本隆明氏のことを聞いて、いろいろ文句を言われましたが、また質問させてください。吉本隆明氏の共同幻想論を読もうかと思っています。個人的にネットでその手の文章を読んだり、その手の2チャンネルの掲示板を見たりしたのですが、『共同幻想』の書評に、共同幻想や対幻想やらと説明がたくさんあったので、雰囲気だけは分かったつもりでいます。  "幻想"という風に、視点を変えていろいろ意識の流れを見てみる考え方のようですが、共同幻想が倒れなければ行けない理由がいまいちよくわかりません。国家が倒れれば、人はもっと自由に考えられるということなのでしょうか?  打倒"共同幻想"に燃える人達(燃えた人達)は、倒れた後にどういう世界を望むのでしょうか?共産主義でも国家ですよね。また共同幻想が生まれるだけじゃないんですか?  共同幻想を失っても、楽しい世界が待っているとは現実を見てもありえないと思うのですが…。  あまり勉強しないで先取りしようとするのは良くない癖なのかもしれませんが、厳しい言葉でも平気ですので解答よろしくお願いいたします。

  • 左派=中共の支持者という見方は偏見では?

    左派=中共の支持者見たいな事をいうネット右翼がいますが、 それって明らかに偏見ではないのですか? 左派でも中共に批判的な人はいますし。 例えば、ジャーナリスト池上彰(WIKIによると中道左派)、 報ステの古舘アナや吉本隆明(昔は左翼だったが今は中道左派気味) など それに冷戦時代中ソ対立ではソ連支持者は中国を批判していましたし。 ここからは僕の主張です。 僕は、シナ発言やチョン発言を繰り返す人種差別主義者の一部のネット右翼は大嫌いですが、中国共産党も大嫌いです。 彼らも人種差別(チベット人虐殺など)していますから。 人種差別主義者らは、中国はチベット人を差別していると騒ぎますが 彼らもチベット人を差別している中国と同レベルだと思います。 自分にとって都合の悪いものに対して排他的、差別的な態度をとる点においては。これを言うと人種差別主義者らは、「それは中国人を知らん奴が言うことだ」とか、「中国人は世界中で嫌われてるのは事実」とか言いますが、事実なら差別的な発言をしても言いなんてどういう理論から成り立つのでしょうか?中国人にだって中国共産党に対して批判的な人もいます。差別的な発言をすることは彼らに対して失礼だと思わないのでしょうか? 「中国人、韓国人は嫌われている、きもい」と騒ぐ前に自分達も嫌われていて、きもいことを自覚すべきです。

  • 日本の天安門事件

    日本の天安門事件 天安門事件と言えば革命を起こそうとした 人たちが武力弾圧されて終わりましたよね。。。。 検索するだけで無残な写真が出てきますし・・・・・・ 日本では革命を起こそうとした人達が正しいってなってますよね それで日本でも学生運動?早稲田に立てこもった学生とか 赤軍連合とか共産主義にしようとした人を武力的?で弾圧されましたよね あれって中国じゃどのように見られているんですかね たとえば 「日本は共産主義を武力弾圧していく国だその例が学生運動だ」 とか、言ってそうじゃないですか?? 回答まってます

  • 転向した人の著作

       多少(どころか思いっきり)政治的な書き込みをお許し下さい。  しかし、真剣な質問です。  さて、「日本共産党から、(できれば、創価学会・公明党に)転向した」人の著作を読んでみたく思います。  御存知の方は紹介して下さい。  なお、最初から学会・公明党側の人の日本共産党批判ではなく(そんな本はごまんとあるでしょうから)、飽くまで共産党員若しくはその支持者から学会員(公明党員)またはその支持者になった人の著作を教えて下さい(共産党員若しくは支持者から、一般人になって共産党批判をしている方もいっぱいいるので、それは紹介して頂かなくても結構です)。  学会関係出版社(潮出版、第三文明社)等の書籍で構いません。  どうぞ、よろしくお願いします。

  • 左派=特定アジアの味方?って偏見ですよね?

    左派=特定アジアの味方みたいな事をネット上で発言している輩が多いですが明らかに偏見ですよね? なぜなら軍事政権時代の韓国を批判していたのは左翼でしたし。 冷戦時代に中ソ対立の時にソ連よりの人は中国を批判していましたし。 かつて週刊こどもニュースでお父さん役を演じていた 池上彰は、ウィキペディアによると中道左派傾向ですが 中国をちゃんと批判してます。 吉本隆明(かつては左翼だが今は中道左派)も中国は侵略国家だと批判してましたし(『私の戦争論』で)

  • 国家をなくすという考え

    国家という存在に異議をとなえる人たちがいます。 国家を揚棄するという表現をする人もいるようです。 共産主義思想の残党の方々の遠吠えばかりでもなく、わりとまじめに主張される場合もあるようです。 しかしその中身はさっぱりイメージがわかりません。そこに至る具体的な道筋も示されません。 言葉とおぼろげなイメージがあるばかりです。 どなたか、国家を「揚棄」した社会のイメージをはっきりと具体的に教えて戴けませんか。 あわせて、なぜそうすべきなのか、そこに至る道筋はどう描かれているのか。できればその辺も教えてください。 「ナンセンス」「革命世代の残滓」など批判だけの回答は、ごもっとなご感想だとおもいますが、ここではご遠慮下さいますようお願いします。

  • 吉本隆明の若い頃

     私は10代の学生です。  吉本隆明の本が好きで、何冊か読んでみました。ある吉本隆明論には、(1960~1970あたりの)学生運動の頭脳(文章を書く)という風にかかれていました。  最近の文章は老人思考であり、とても落ち着いた文章や、文章の評論を書いているようですが、彼が若い頃はどういう人間だったのでしょうか。彼の若い頃書いた文章などは今は読めないのでしょうか。  吉本ばななさんが書いた、誰かとの対談の本にも「学生運動の人間をかくまったりしていたりもしました」みたいな思い出ばなしの記述があるのですが…吉本隆明は昔から、いまのような老人的な諸行無常というか、落ち着いた人間だったのでしょうか。(もちろん、当時の学生運動をしていた人間が熱い人間だったとは思っていませんが…)  彼の若い頃のプロフィールや文章を知っている方はなにかお返事ください。お願いします。

  • 吉本隆明の思想について

     次の文章(発言)の解明をとおして おしえてください。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  レーニンが究極的に考えたことは 少なくとも政治的な権力が階級としての労働者に移るということはたいした問題じゃない。つまり それは過渡的な形であって ほんとうは権力というのはどこに移ればいいのか。  それはあまり政治なんかに関心のない 自分が日常生活をしているというか そういうこと以外のことにはあまり関心がないという人たちの中に 移行すればいいんじゃないか というところまでは考えていると思います。・・・  では 権力が移行するというのは具体的にどういうことか。そういう人たちは 政治なんていうのには関心がないわけですから お前 なんかやれと言われたって おれは面倒くさいからいやだと言うに決まっているわけです。しかしお前当番だから仕方ないだろう 町会のゴミ当番みたいなもので お前何ヶ月やれ というと しょうがない 当番ならやるか ということで きわめて事務的なことで処理する。そして当番が過ぎたら 次のそういうやつがやる。そういう形を究極に描いたんですね。そういうことで〔政治=まつりごととしての秘儀 つまりまたは 社稷というべき国家神道における〕秘儀をあばけば全部終わるじゃないかということに対しても 思想的なといいますか 理論的なといいますか 対症療法として考えたわけですよ。・・・  レーニンが究極的に ポリバケツをもった ゴミ当番でいいじゃないかと言った時に 究極に描いたユートピアというものは ほんとうはたいへんおそろしいことだとおもいます。おそろしいというのは 江藤さんの言い方で言えば そうしたらすべてが終わっちゃうじゃないか ということを ほんとうは求めたということです。  つまり すべてが終わったのちに 人間はどうなるんだとか 人間はどうやって生きていくんだということについては 明瞭なビジョンがあったとは思えないんです。また そういうビジョンは不可能だと思います。  だけれどもすべてが終わったということは そういう言葉づかいをしているんですけれども 人間の歴史は 前史を完全に終わったということだと言っているわけです。  これは ある意味では江藤さんの言葉で 人間は滅びる というふうに言ってもいいと思います。なぜならば それからあとのビジョンは作り得ないし また描き得ないわけですから。  だから人間はそこで滅びるでもいいです。それを 前史が終わる というふうな言い方で言っています。前史が終わって こんどは本史がはじまるというように 楽天的に考えていたかどうかはわかりません。だから人間はそこで滅びるでもいいと思います。だけれども そうすれば前史は終わるんだということです。  まず第一に政治的な国家というのがなくなるということは ほんとうは一国でなくなっても仕方がない。全体でなくならないとしょうがない。そうすると 全体でなくなるまでは いつも過渡期です。だから どこかに権力が集まったり どこかにまやかしが集まったり どこかに対立が集まったりすることは止むを得ない。止むを得ないけれども それに対しては最大限の防衛措置というものはできる。そうしておけばいい。しかし そうしながらも究極に描き得るのは 人類の前史が終わるということです。  あるいは江藤さん的に言えば いま僕らが考えている人間は終わる ということです。それから先は 描いたら空想ですから 描いても仕方がない。理念が行き着けるのはそこまでであってね。だけどそこまでは 超一流のイデオローグは やっぱり言い切っていると思います。・・・  (江藤淳との対談:文学と思想――『文芸』1966・1) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  論点は 次の二点です。  (あ) 《共同自治の責任者(現在の首相)は 当番制がいい》でよいか。  ――これには おそらく 現在の二階建て構造を たとえ二層構成のままにしておいたとしても 第一階(A)=市民社会が 主導権を握り 第二階(B)を指導し活用していかなければならないでしょう。しかも これを世界史的に 実現していく必要がある。  なお 共産主義が 暴力革命を経るのだとすれば 論外とします。  (い) 《人は 社会的な支配関係を終えれば 〈復活〉するか》。  ――つまり 《〈ひと〉は〈前史〉を終えると どうなるか》。たとえば 突然変異を起こして 新しい人類が生まれる?  以上よろしくお願いいたします。