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藤堂高虎が築城の名手?

tanuki4uの回答

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.4

藤堂高虎に関して言えば 1:穴太衆を使えた 穴太衆も近江なら、藤堂高虎も近江出身。 2:上司がよかった 豊臣秀長の部下になっており、一種の天下普請なような形で予算たっぷりで築城することができた。さらに、徳川家康に評価された。江戸城は家康が天下を取るまでは石垣のない城でした。徳川家臣団には豊臣方式の先進的な築城技術を知っていなかった。なので、徳川家臣団をさしおいて高虎は天下普請の城を任された。 3:意外と戦国大名はマメ No3で指摘されている家訓は知りませんでしたが、伊達政宗の筆まめさや、前田利家がソロバンだけは肌身離さず持っていたとか、結構戦国大名は実務家です。まぁ卑賤な身分から成り上がったのですから江戸時代の大名のようにのほほんとしていては出世できません。 高虎もけっこうマメだったんじゃないかな。 4:実戦経験からのノウハウ 実際に城攻めをしたり、城で守ったという経験値は、個別の兵隊から戦闘現場の隊長である大名にあがってきます。ちゃんとあがってその時その時に的確な判断を下せなければ負けちゃいますから。この意味で、土木工事に詳しいだけでは城はできない。実際に戦った経験から、こうすれば守りやすい(攻めづらい)というノウハウは大名が一番持っていたわけです。このノウハウは大工には分からない。

tomajuu
質問者

お礼

ありがとうございます。 >意外と戦国大名はマメ ・・・意外でした。実務家ぞろいなんですね。 私の「大名感」がちょっと変わりそうです。 そして、「城に必要な機能は、実戦した者にこそ解り、反映させられる」 ・・・かなり納得できます。

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