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藤堂高虎が築城の名手?

take-plusの回答

  • take-plus
  • ベストアンサー率42% (553/1302)
回答No.1

>なぜ、彼らをそう呼ぶのでしょう? >その部分を担当(設計・実務)した人物を評価したものは表れないものでしょうか? この部分こそが高虎や加藤清正ら「築城の名手」たちが担った部分だからです。 今で言う設計士や建築士のような仕事を武将自ら、もしくは武将のブレーンがしていたと考えられています。 彼らが活躍する時代は戦国時代も終わりかけなので、今で言う現場監督も務めていたかもしれませんが、恐らくはたまに視察するぐらいだったと思います。

tomajuu
質問者

お礼

ありがとうございます。 私も、彼ら自身にその能力があったのかなあ?・・・とは思ってもいました。 ただ、殿さま自らが図面引いたりすることってあるのでしょうか? ブレーンがするというのなら解りますが。 (というより、この方が自然では?と思うのです。) 同じ時代に、他の武将も「自ら設計する」のがフツーだったのなら、その中でスバラシイ城を築きあげた高虎や清正は評価するに値しますが、家来が設計・施工しておいて「築城の名手」と もてはやされるのはどうか?と思うのです。 ・・・でも、やはり殿さま御大が設計してたんでしょうかねえ?

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