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藤堂高虎と加藤清正が築城名人であるというのは?
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武将としての経験値がそのまま築城に役立つ ○ 攻撃するときに、どこを攻めたらいいかを知っている ↓ どうやったら、攻めづらく、守りやすいかを知っている。 ※ これが縄張りの基本 ○ 物資や人間を効率的に活用することで、遠征が出来る ↓ 遠征しないで、効率的に活用というのが、築城となります。 名人と言われるには、短期間にそれなりの防御力を作ることが必要です。長時間に、有り余る資材を使って築城していていは、名人とは言われません。 真っ平らなところで、闘うのが戦争ではなく、より有利な場所を選んで、効率的に防御ラインを作るの将軍が、戦争では勝ちます。 なので、戦争が強い将軍=築城の名人となるわけです
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- pri_tama
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前に有った同様の質問が回答に成るのではないでしょうか? http://okwave.jp/qa4431091.html?rel=innerHtml&p=bottom&l=1 >藤堂高虎と加藤清正が築城名人であるというのは? つまり ・優秀な技術者を抱えている ・技術者の力を発揮させられる度量があった (技術者の進言を理解して受け入れたり、技術者に正しい指示を出せる) ・当時の権力者(豊臣秀吉や徳川家康)と深い繋がりが有った (権力者との繋がりがないと、大きな仕事(人足の調達も権力者の命令有っての物)を獲得できないし、技術者の引抜を防ぐ事も出来ない)
- ?橋 昌也(@fudousin)
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おもに、城のグランドデザインです。縄張りといいます。 加藤清正は熊本城。藤堂高虎は今治城が有名です。いわゆる難攻不落な城の設計ということです。
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