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自然の法則
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- BookerL
- ベストアンサー率52% (599/1132)
カテゴリー違いでは? これは物理の問題ではなく、言語とか文化の話でしょう。 >西洋人はなぜ「Law」と云うたった一つの言葉を使って自然を理解しようとしているのでしょうか。 西洋人にとっては、この世界は神が作ったものであり、その際、この世界がどうあるべきかの規則も当然神が作った。その規則を law というのでしょう。 人間社会において、社会がどうあるべきかの規則を law というのも「誰かが作った決まり事」ということでは?
- debukuro
- ベストアンサー率19% (3635/18948)
法律と訳せばお気に召したのでしょうか こちらでは法律とは人が人を規制するために作るものなので自然界の決まりごとをそのようには訳せなかったのでしょう 江戸時代末期の日本人には西洋人の心が分からなかったのですか あなたはどの程度分かっておられるのですか
お礼
皆様の反応が余りなかったのですが、「役に立った」に3人の方が票を入れてくれたのは、それなりに意味のある質問だったからでしょう。同じ質問を哲学欄でもしてみることに決めました。 回答有り難うございました。
補足
早速の書き込み有り難う御座います。貴方の回答は、まさに私の知りたいことに直結しています。 貴方の回答をそのまま使って私の質問を言い直してみると、 こちらでは法律とは人が人を規制するために作るものなので自然界の決まりごとをそのようには訳せなかったぐらい、日本人にとっては「法律」と「法則」はまったく違っているものなにに、西洋人はなぜ「Law」と云うたった一つの言葉を使って自然を理解しようとしているのでしょうか。 といっても良いと思います。 同じ自然を観察し、同じ物理をやっていながら、私たち日本人は西洋人とは全然違ったことを考えているのでしょうか。「自然の法則」という言葉を使う時の日本人と、「Laws of Nature」という言葉を使う時の西洋人は、違った世界を見ているのでしょうか。もし、そうだとしたら、 物理学は、客観的に存在する物質の世界を客観的な立場から記述する学問ではない、 と言っても良いのでしょうか。debukuroさんのご意見をお聞かせ下さると幸いです。
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お礼
皆様の反応が余りなかったのですが、「役に立った」に3人の方が票を入れてくれたのは、それなりに意味のある質問だったからでしょう。同じ質問を哲学欄でもしてみることに決めました。 回答有り難うございました。
補足
ご意見有り難うございます。 私も、カテゴリーを物理にするか、哲学にするか、科学にするか迷ったのですが、「法則」に付いてそれを不断からの経験を通して本気で考えてるのは、やはり物理に興味を持っている方々だろうとの考えましたので、物理学のカテゴリーで質問をすることに決めたのです。 西洋では物理学はもともと自然哲学という学問の一部でしたので、物理学で哲学を語ることは、お門違いどころか、逆に在りうべき姿のような気がします。アメリカでは博士のことを今でも、Ph.D.(Philosophiae Doctor)と言いますが、意味も無くPhilosophiaetという言葉を使ったとは思えません。 > 西洋人にとっては、この世界は神が作ったものであり、その際、この世界がどうあるべきかの規則も当然神が作った。その規則を law というのでしょう。 ということは、西洋人たちは神についての(少なくとも潜在意識のレベルで)視点が無くては、物理学を語れないと言うことなのでしょうか。西洋人にとって神とは一神教の神のことです。日本人は、その神を意識すること無く自然を語り、物理学を語っていると思います。もしそうなら、西洋人の物理学と日本人の物理学は大変違ったものなのでしょうか。 ノーベル賞をもらったある西洋人の方が、日本人で科学系のノーベル賞をもらった方達の一連の文化論に関する論文を読んで「そのなかで湯川秀樹の論文が一番面白かった。何故なら、湯川から私(その西洋人の方)が考えても見なかった視点を教えてもらったが、他の方々からはほとんど何も教わらなかった」という趣旨のことを、個人的に聞いたことがあります。物理学をやっていても何か根本的な所で、日本人か西洋人かという違いが出て来てしまうのでしょうか。それとも、湯川さん以外の日本人の先生方からその西洋人の方は何も教わらなかったと言うことでしたので、物理学の問題は、その研究者が埋め込まれた文化には無関係であり、その違いは単なる個人的揺らぎに過ぎないのでしょうか。 物理学って何だろうと考えるとき、そんな問題が、「Law」と言うたった一言(日本人にとっては二言?)の中に潜んでいると思いますが、如何なものでしょうか。 #1さんの回答への補足を含めて、貴方のご意見が頂けたら幸いです。