• ベストアンサー

couldの起源について

Ganbatteruyoの回答

回答No.3

アメリカに住んで40年目の終わりに近づきました。 このカテで書き始めて8年目に入りました。  これは、助動詞の過去形が来るととたんに「仮定法」と言う単語が頭に浮かぶ事すらおかしいと私は感じます。 仮定法、婉曲用法なんていう用語がなんで必要なんでしょう。 もともと日本での「仮定法」と言う言われるものに関しての定義さえはっきりいていないのです。 I think, It seems, he looks likeは何用法なんでしょう。 断言しているわけではないので断言用法ではないのでしょう。 そしたら、推測用法と言うのでしょうかね。 (この二つはたった今私が作りました。 日本語の仮定法と言う用語は私が作らなかっただけの違いです。) ~用法だ、と言うと何か分かったような気を持たせる「話法」に過ぎません。 それも、これは~用法です、と断言しておきながら、なぜそう断言できるのかと言わないで、どうしたら自分にも自力でそのような判断ができるようになるのかも教えてくれない、なぜなんでしょうね。  仮定法とは、聞けば、いくつかのはっきり違う回答が返ってくると思います。 同じ事を説明方法が違うだけと言うことではなく、明らかに定義の違いがある、と言う事なのです。 (自分には分析できる能力があるしあの時もあったので、今回の場合はそれのほどの事でなくても、俺はそんなにバカじゃないので)あいつは読んでいる振りをしているだけだと分かった・分かっていた、といっているだけの文章だと私は感じますのでここになんで仮定法の、しかも婉曲用法なんていう解釈が出てくるか分かりません。 文法用語を使えば初学者は鵜呑みにしてしまうのは仕方ないのかもしれません。 しかし、文法用語と文法知識がこの文章の意味合いを感じることが出来るようになると断言するのであれば、なぜ、この文章を理解できないのでしょうか。 不思議です。 と言うことで、まったくの独りよがりのコメントを書かせてもらいました。 なお、私と違う考えを持っている方々の回答自体を指摘しているのではなく、この40年と言う日本の英語教育での文法・文法用語の押し付けからの弊害に関して強い意見を持っている私個人の考えであり仮定法と言う用語に関して疑念を持つようになるのに十分な文法説明を見てきた事による私個人の結論に過ぎません。 参考になりましたでしょうか。 分かりにくいところがありましたらどんどん突っ込んでまた書いてくださいね。

pgdnpgup
質問者

お礼

仮定法という言葉を使うのは単に字数を省略するぐらいの意味です。用語を使うことで300字でかかることを30字で済ますぐらいの意味しか私にはありません。たしかに省略することで意味論的な誤りが発生するという悲しい可能性があります。今までcouldの仮定法の質問をいろいろ見てきましたがいまひとつ釈然としなかったので、今回質問したのですがどうも思いがけない結果になったような気もします。

関連するQ&A

  • 英語 could

    I could tell he was only pretending to read, because his book was upside down. couldとhe was only...の間で 時制のズレがないのはどうしてでしょうか? 彼の一連の動作が行われて初めて “単に読むふりをしていただけ”という予想が立つのですし、 couldを使うならその後ろは過去完了進行形でないと変に思えます。

  • 高校英語 文法

    複数質問あります。 (1) I could tell he was only pretending to read, because his book was upside down. 「彼は読むふりをしてただけじゃないのかなあ。だって彼の本は逆さまになってたもん」 という文がありました。 「じゃないのかなあ」はcould tellが反映した結果だと思うんですが could tellにこんなニュアンスの用法ありますか?? (2)Those refugees had no money to buy food with. 「with」とはなんでしょうか (3)He looked for the glasses with which to examine the papers. to不定詞のなかでも関係代名詞の繰り上がりの用法は使えるんでしょうか。 これはそれを使ったものだと思うんですが。する意味がないような・・。 (4)Which is the better way of getting to know the city, walking with friends or taking a guided tour? の文の仕組みがわかりません。 ,の前までは「都市を知るようになるためのよりより方法」って感じになるところまでは分かります。

  • couldの用法(2点です)

    (1)仮定法のIf節中でcouldを使う場合について 一般にcouldとwas(were) able toの違いは、前者が「能力」を示し、後者が「過去の一回性の出来事ができた」を示すと習いましたが、否定文では後者の意味でもcouldが使えるとも習いました。 そこで、「もしテストに合格出来ていたなら」と仮定法で言う場合、 実際は、能力がなかったか、実際に出来なかったことを示すわけで否定の前提があるので上記の「一回性の出来事でも否定文ならcouldが使用可」の原則を適用して、 If I could have passed the examination~とすることは出来るのでしょうか? 可能だとすると過去の仮定=仮定法過去完了(had p.p)の原則は無視された形になりますよね?それとも、助動詞の過去完了は「助動詞の過去+have+p.p」という規則でもあるのでしょうか? (2)また、主節でcouldを使う場合について 「(やろうと思えば)出来た」(could have p.p)という用法はIf節が省略された形と習いましたが、 助動詞の項目では「could have p.p」は過去の推量と書かれていました。これはIf節省略時のものとは共通点はないと考えていいでしょうか? 長文で申し訳ないですがよろしくお願いします。

  • この文のcouldに非常に悩まされています。

    先日、以下の文の訳について質問させて頂いた者です。 Today I received a response from the Dean of Business, and she agrees that your program of study could satisfy the requirements for entry into our business program. 私はこの文の中にある「your program of study could satisfy ~」を [S could do ~かもしれない、~できるだろう]という可能性、推量の用法(ジーニアス英和大辞典を参考)を使って「貴方の専攻は~を満たすことができるだろう」という感じで訳しました。 ある回答者様からは、ここでここで使われている用法は「条件節を言外に含む婉曲用法の推量」で、訳は「あなたの専攻過程なら~を満たせるでしょう」といった感じになるという意見を頂きました。 ここでいくつか疑問がでてきてしまい非常に悩んでいます。 ここで could が使われているのは、この回答者様がおっしゃった「条件節を言外に含む婉曲用法の推量」が仮定法の一種で「助動詞の過去形+動詞の原形」という形をとらなければいけないからなのでしょうか? つまり、文法上の関係でCouldが使われているぐらいの認識で、もう少し強いニュアンスの「~できる、できるだろう」という意味でとっても問題は無いのでしょうか? もし問題がないなら、私の訳とは随分と訳のニュアンスと言うか意味が違ってくると思うのですが、どうでしょうか? 何故なら、ジーニアスだと could は確信度的には might と同じで非常に自信の無い感じを表すらしいのですが、それをふまえ、私のやり方で訳されたこの文章は、確信の非常に低い事に対してビジネス学部長が同意している(認めている)という事になり、実質この文章では、「~かもしれません(実際はわからないけど...)」ぐらいのニュアンスになり、かなり曖昧な感じになってしまうと思うからです。 また、更に混乱している要因の1つに、ある文法書に私が使った単なる推量の意味のcouldと「条件節を言外に含む婉曲用法の推量」のcouldは、同じように見なす事ができると書いてあったことが上げられます。この文法書に従うなら、単なる推量の用法だろうが、「条件節を言外に含む婉曲用法の推量」だろうが、上記のように確信の非常に低い事に対してビジネス学部長が同意している(認めている)という事になってしまうのではないか?と思うからです。 もう何十時間もこのcouldと戦っていますが、未だに納得のいく答えが見いだせません。この文章は結局、確信の非常に低い事に対してビジネス学部長が同意している(認めている)という事を表しているのか?それともある程度高い確信を表しているのか? もう混乱してしまってサッパリわかりません。 どなたか助けて頂けないでしょうか? よろしくお願い致します。 最後に長くまとまりのない文章であることをお詫びします。

  • 法には助動詞の語形変化も含めるか

    法には助動詞の語形変化も含めるか 法(話者の心的態度を表す動詞の形)の"動詞"には助動詞も含まれるのでしょうか? つまり、条件文の帰結節や It would be better to tell her the truth. 「彼女に本当のことを話した方がよいでしょう」 のような文におけるwould(もしくはwould+動詞原形/would+have+過去分詞)を仮定法過去/仮定法過去完了と言ってもいいのか、というようなことです。(もちろんwouldだけではなく) それともやはり条件文の帰結節のは"仮定的な用法"、It would be better to tell her the truth.のwouldは、"willの過去形としてのwouldではなくて、独立した助動詞としてのwouldで、willを使うより控えめな言い方になる"などと覚えるものなんでしょうか? 詳しい方、よろしくお願いいたします。

  • このcouldは仮定法??

    ある会話の中で、意表をつかれて唖然としている人に もう一人の人が笑いながら言ったセリフです。↓ If you could see the look on your face ! (自分の顔を見てみなさいよ!笑) この中の‘could’ですが、これは仮定法なのでしょうか?? 仮定法とは、実際に現実でないことを‘~でしょうに’‘~だっただろうに’ という用法ですよね?(とすると、上の文は違うような気もするのですが・・) If I had a much money, I would travel.のような文は(Ifが省略されている場合も)容易に理解できるのですが、 上のcouldも仮定法の一例なのですか?そうだとしても違うとしても、couldの意図するところがわかりません。。 また、よろしくお願いしますm(__)m

  • 直説法と仮定法のそれぞれの節についての名称

    Aの文 If it is fine tomorrow(1),I will go hiking(2). Bの文 If it were fine today(3),I would go hiking(4). の二つの文について教えてください。Bの文は「仮定法過去の文」で、(3)は「仮定法過去用法の条件節」と呼び、(4)は「仮定法過去用法の帰結節」と、以前教えていただいたことによりそうだと思います。 Aの文は自分の文法書では直説法と書いてあったのですが、(1)の節は「直説法現在用法の条件節」、(2)の節は「直説法未来用法の帰結節???」でしょうか?それともAの文は仮定法ではなく直説法だから(1)は「直説法現在」、(2)は「直説法未来」なのでしょうか?またAの文全体としては「直説法現在の文」、もしくは「直説法未来の文」どちらかでしょうか? 文法書、ネットなどいろいろ調べるうちに直説法と仮定法についてようやく分かりかけてきたのですが、上記については分けて説明してあるのがなかなかなく、自分一人ではハッキリとしないです。 この件とまた知っておいたらいい補足知識等があれば教えていただけると有難いです。よろしくお願いします。

  • すいません、又・・・・

    独学で勉強は本当に困りますね。 すぐに疑問が出てきてしまい・・・・ 又、良い解答お願いします。 1、as if~ 「まるで~のように」       この接続詞として働き仮定法を使うのですが、   この時に導かれた節を条件節と言ってよいのですか? 2、As if you didn't know!      この文は仮定法でいいのですか?   そしてこの文は帰結節の省略と考えていいのですか?   この時主節を帰結節と呼んでもいいのですか?   それともこれは帰結節の省略では特別なのですか? どうも仮定法の中で条件節、帰結節は何に導かれた時にそう言うのかが わかりません。 是非教えて下さい。  

  • 願望を表すwishと仮定法

    よく文法書に“S+wish+仮定法”で「~ならよいのに、~ならよかったのに」という意味を表すと掲載されているのですが、wishの後ろは仮定法の条件節と帰結節のどちらをもってくるべきなのでしょうか? I wish I were a bird.←条件節? I wish I could have come.←帰結節?

  • What I could have done

    タイトル通りなのですが What I could have done とは 私ができたであろうこと・・?ですか? 仮定形?過去・・??この用法って何だったでしょうか・・?? よろしくお願いします!! アト、I’ll end up lost in confusion という文は正しいですか? 現実に見た文なのですが end up のあとって名詞じゃなくてOKなのでしょうか?