• ベストアンサー

couldの起源について

Ganbatteruyoの回答

回答No.6

Gです。 文法なしで外国語を習い、習得し、使えるようになることはまずないといって良いと思います。 それほど文法と言う物は大切であり有意義な「道具」であり、用語も同じように「共通理解」を持つ事で、回りくどい教え方をする必要なしに教える事が出来るわけですね。 品詞名を知らなくてどうやって教える事事が出来、どうやってその教え方を理解できると言うのでしょうか。  昔から習ってきた「日本式仮定法」を仮定法とする、と言う定義があればそれで十分なのではないかと私は思います。 そのレベルでは仮定法と言う観念と用語は必要なものでしょう。 これなしで、If I was a birdの表現方法を身につけることは出来ないと思います。 しかし、日本には今英語圏での学校文法の考え方を持ってきてそれを同じ仮定法と言う名前を使う人がいるからより難しくしてしまっているのではないかと思うのですね。 つまり、仮定法には二つの考え方がある、とするなり、幅の広い意味合いを定義としてしっかり学校文法として全国一貫して教えれば良いと私は思います。 この考え方はもう既にこの質問で書かれてきている文法と英語力をお持ちの方々には持たれていると私は考えています。 私が懸念しているところは、このようにすばらしい使える文法理解をなぜ学校でもっとしっかり教えないのか、と言う事なのです。 教えにばらつきがある、と言ってもいいのかもしれません。 文法は教えるための道具です。 これを有効に使う事で6年間の600時間の授業で十分とは言えないかも知れないけどかなりしっかりした土台を作る事はできると思います。 そして、上記の専門家の方々の教え方を受けてきた学生は十分伸ばすための英語力と向上への関心が高められてきていると信じて止みません。 しかし、今回のような英語表現を仮定法(の一部)と解釈する事が通用するのか、と言うと私には思えない、と私は言います。 そして、仮定法だから、と言うのであれば、なぜ、仮定法だと判断するのかを説明すべきものだと私は言うのです。 ただ単に仮定法ですからこうなります、と言う説明では学習者はどうやってその判断力がつくと言うのでしょうか。 仮定法にすると意味が通らなくなく、と言うはっきりした理解があることで、そしてその理由を教える事で、少なくとも今回は仮定法の表現方法を用いた文章ではない、と判断できる方法を教えた事になるわけです。 SVOCのことについても私はまったく問題のない文法であり、使える文法知識であると思います。 事実この知識によって英語力を挙げた人たちがたくさんいるわけですから。 そしてそれに「動詞の表現方法を知ることでこの観念をよりはっきり持つ事が出来、より効率が高まる」と言う事なのですね。 しかし、文型番号に関しては「何で必要なの?」と言うことになってしまうと私は感じるわけです。 SVOCを有意義に使えば十分なのになぜ文型番号とマッチさせて覚えなくてはならないのか?と言う事なのです。 SVだと分かればそれで十分であり、それをわざわざ第一文型である、と言う知識に費やす時間に本当に600時間に含める価値があるのだろうか、と私個人が思うわけです。 わざわざ第一文型と言う用語名を使わなくてもS+Vであるといえばすむ事なのでは? いろいろな解釈の方法を知ることは常託すればするほど有意義なものとなるでしょうし、いろいろな解釈方法の存在を知ることも英語力の一部として非常に大切だと思います。 一つの固定観念だけで、他にも解釈の方法がある事を知らなければ、言い換えるとその事への深い知識が無いと言う事ですが、初学者にその固定観念を植え付けることになるわけです。 ですから、いろいろな解釈の方法は十分価値のあることだと思います。 しかし明らかに間違った解釈、通用しない理解、一つの文法知識だけで断言するようであれば、初学者にとっては弊害となるはずです。 そして、明らかに通じない英語表現を一般的に使われています、と断言すのはやはりまずいと思うのですね。  今回のご質問では、リンク先のNo.2の方のご意見も分かるような気がします、とおっしゃっているからこそ、私もそう思います、と言う私からのコメントになるわけです。 なぜなら、私にはどうやっても広い意味での仮定法の理解を使っても意味が通らないし、私がこの表現を聞いたらNo. 2さんの解釈を自然に感じてしまうからです。 と言うことで、文法は非常に大切な事であり、無視する事はすなわち英語力とは無縁の自分に追い詰めることになると信じています。 そして、今回のように助動詞の過去形が来たらすぐさま仮定法に結びつける事はcouldと言うcanの過去形であると言う文法を無視すると言うことになってしまいます。 ですから、二つの解釈の可能性があればそれなりに各可能性をより現実的に持っていくようにするために今回のご質問を書かれたのだと思っているので私なりの回答をさせてもらいました。 もちろん他の回答者のご回答を批判するために書いたわけではありません。 違う考え方を尊重し結局は「同じになる違い(same differences)」である事を認識する私ですが、明らかに間違った事を自分なりに持つ事は自由だがそれを他人に鵜呑みにさせることへの嫌悪感を持っているGの個人主張を交えて書かせもらいました。

pgdnpgup
質問者

お礼

辞書の名前、内容もうろ覚えですが、couldは現在では直説法(過去時制)で使われることは少なくなり、もっぱら仮定法の機能だけを持つ語になってきている。と書いてありました。これなども私の場合実際に自分の目で見ないと納得しない性質です。しかし辞書の直説法、仮定法の分類というのも単に過去時制の表現とそれ以外(丁寧とか)の表現を分類しているだけのものに成り下がっているように思います。ネイティブに聞いたら「何のことだい」といわれるような内容ということですよね。そういう意味で英語の変革、歴史というものはこのサイトでの検証のためにやっているというところもあり、どこまで、いつまでできるかわかりません。実用英語とは反対の方向に時間を使っているところもあります。もちろん歴史には興味はありますが奥が深いです。しかしここでの反証にはそのくらいの奥深さが時には必要になるように思います。あまり検証をする方もいらっしゃらないようですし私もいつまでやるかわかりません。

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