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責任転嫁する人

justnowの回答

  • justnow
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回答No.7

人生において、結婚というものは大きな決断になるかと思います。パートナーに対して、疑心暗鬼な気持ちを持ちながら生活していくと仮定するならば、それはかなりの負荷になるわけですから、現時点において、しっかり洞察し、しっかり自分で判断する事が大切であろうと思います。 人間は、そもそも不完全な存在です。ですから、良い面もあれば、悪い面もあるわけです。良い面だけを見て、悪い面については看過容認することで、相手を一時的に自分の理想像に押し上げる事は可能ですが、しかし、その悪い面が夫婦生活をしていく上で、致命的になる可能性が高いならば、結婚前にしっかり熟考しておく事が大事だと思います。 また、悪い面だけをあげつらい、相手を無意識の中で責めてしまう事も厳に慎まなければいけません。もともと、それほど性格的に悪くない人間であっても、相手に必要以上に責められていれば、精神的に腐る可能性はあり、必要以上に悪い面が拡大してしまう事もあろうかと思います。ですから、どうでもいい事には寛容に応対し、肝心な事には、冷静に、しかし相手に受け容れてもらえるような言葉選びをした上で、言葉を投げかける、時には教えてあげる、という行為が大切です。 質問者様が、彼の言動に対して、どれだけ「寛容」になれるのか、というのが最終的に判断する時の目安になるかと思います。 「お前って、ほんとドジだよなあ。。」(彼) Aさん:「そうだよね。ほんとドジだよね。今度こそは注意しなきゃ。」 Bさん:「・・・、なんで、そういう事言うの?ドジなのは分かっているけど、いつもいつも言わなくてもいいんじゃないの?(プリプリ)」 さて、質問者様は、Aさんタイプでしょうか、それともBさんタイプでしょうか。 Aさんタイプであれば、それは受け止め方に余裕があるので、ある程度の彼の心ない言動にもつき合える可能性があります。 Bさんタイプであれば、受け止め方が狭量なので、彼の言動一つ一つにカチンカチンときてしまい、彼の人格そのものを恨んでいく可能性があります。 以下に、過去にブログにて書いた文章を参考までに紹介しておきます。 ◆他人のせい(所為) 人とは、どういうものでしょうか。物事をミスなく完全に遂行する能力を、常に持っている存在でしょうか。人間は、不完全な存在です。どんなに偉大だ、と言われた人でも過去に必ず失敗を犯してきています。人が生きる、という事は、「失敗」を重ねていく、という事だと思います。何から何まで、完璧にこなし、「失敗」をしない人が、もしいたならば、その人は人間でないか、大嘘つきか、のどちらかでしょう。 人は、失敗した時に、すぐに言い訳を言うか、他人のせいにするか、をする事で、自分のせいである事を回避しようとします。意識的にする場合と無意識にする場合とがありますが、いずれにせよ、人間の醜悪の極みの部分・一面と言えると思います。相手の人からすれば、その人の醜態たる態度は、嫌らしくしか映らないのにもかかわらず、その張本人は当たり前のように、言い訳や他人のせい、を主張します。 なぜ、人は、明らかに自分の失敗であるにもかかわらず、自分の失敗を認められないのでしょうか?幼稚園・小学生時分は、恐らく、大人である今よりは、失敗に対して真摯に向き合い、素直に、「ごめんなさい」ができたのではないかと思います。ところが、大人になるにつれて、失敗したら自分の責任と認め謝る、という、当たり前の事が容易にできなくなっているのです。様々な要因は考えられますが、自分の失敗と認めるのが、「恥ずかしい」、「怖い」、「苦しい」、「嫌だ」、「プライドが許さない」、「評価が落ちる」などが挙げられると思います。 他人のせいにし、自分のせいと認めなかった場合は、一瞬、自分の責任を回避できたので、楽な気持ちになれたと思いますが、実は、これは錯覚です。実は、自分の責任を他人に転嫁する事で、自分の心の中に記憶として残り、何かのきっかけで、他人のせいにしてしまったその記憶が再び現れたりして、自分を苦しめ、一生引きずったりします。自分のせいなのに、他人のせいにした行為は、当然、不条理な行為です。ですから、その不条理を自分の記憶として、残す事は、自分の中で解決された事にはならず、未消化状態にある、と言ってもいいかもしれません。 他人のせいにして、人生を歩んできた方は、頭の中が結構モヤモヤしていて、大事な問題に直面した時に、しっかりした判断ができない人なのではないかと思います。これは、何事も他人のせいにしてきた為に、物事の善悪が分からなくなってきていて、判断一つにも対応できない、のだと思います。一つ一つの問題に責任をとってこなかった、という人生の蓄積から、判断できない、とも言えるでしょう。 他人のせいにする事で、もし一生苦しむのであるなら、これは大変なことです。それでは、どうしたらいいのでしょうか?答えは簡単です。自分のせい、にすればいいのです。つまり、何か失敗したり、自分に災難が降り懸かってきた時は、自分の至らなかったせいで、こういう結果が自分に起きた、と受け止め、受け入れればよい、という事です。人というものは、不思議なもので、積極的に自分の失敗を認め、受け入れる、と、後に残る事はなく、スッキリするものなのです。(スッキリとは解決している、という事です)「な~んだ、私が悪かったのか。それでは仕方ないよね。自分が馬鹿だったんだから。自分に怒ってもしょうがない。」という感じになります。表面上、失敗を認めつつ、内心、あいつの責任も少しはあるよな、と思っていたなら、スッキリすることはありません。全面的に責任を認めることが、重要なのです。 人間というものは、存在しているだけで、周りに影響を与えていて、時に悪い影響も与えています。本人が、悪い影響を与えようとしていなくても、相手がどう捉えるかは相手に判断が委ねられているので、時に相手を怒らせる場合があります。この場合、相手が勝手に怒ったと捉えるのか、私が気に障るふるまいをしてしまったと捉えるのか、の二つが考えられますが、自分の責任と捉えるのが正しい、わけですから、後者の私が気に障るふるまいをしてしまった、になるわけです。 絶対に、私は悪くない、と思っても、まずは自分に落ち度はなかったか、をしっかり検証して下さい。1%でも落ち度があれば、それは自分のせいにすべきことです。もし、相手にも落ち度があれば、自分の落ち度の反省の弁を述べつつ、指摘してあげればいい事です。他人のせいにする前に、自分のせいではないのか、の謙虚な姿勢が必要であり、これが真実の生き方というものなのです。 ◆反省ができない人間 「反省」とは、どういう意味であろうか。 『自分のした言動を省みて、悪い点を認め、改めようと考えること』 概ね、上記のような意味であろうと思います。ところが、人間というものはなかなか反省できないものであります。表面上、とか、口先だけでは、「反省してます」と、殊勝な態度はとるものの、内実は裏腹である場合が多いものです。 日常において、反省しなければならない機会は数多(あまた)存在します。例えば、人と会話していて、ついつい失言をしたり、お酒が入って暴言を吐いたりすることなどです。明らかに、自分が悪く、相手に謝らなければならない、のにもかかわらず、自分の責任として相手に謝るのが嫌な為だけに、その事実を無かった事にしたり、無視したり、あるいは、相手が悪かったんだ、とねじ曲げたりして、反省をしない場合があります。これは、単に自分が悪かったんだ、という自分の責任(罪)を認めたくない、受け入れたくない、という自己中心的な考えに基づくものと考えられます。 自分の責任と認められない人は、苦しみの人生が待っているので、この苦しみから脱却するには、まずは、自分の責任と認めることが肝要です。次に、自分の責任であると認められると、その事象について振り返り(回想)をします。振り返りをしていると、「あの時、あ~いう事を言ってしまったのは良くなかったなぁ。相手を傷つける言葉だったかもしれないなぁ。」と、自分の言動の悪い点が見えてきます。悪い点が見えてくると、これからは、そういった軽率な言動は慎まねば、との考えに至ります。この一連の行動を、「反省する」と言えると思います。 人というものは、縁が来れば、悪い行動をしたり、悪い発言をしたりする所があります。反省して、自分の悪い部分をしっかり知っていく事は、その悪い部分を認識しながら、その悪い部分が発動しないように注意しながら、生活することができるようになる、という事です。自分が悪さをする人間であるという事を知っている人が、極力悪さをしないように注意するのは、実は、こういった人は、反省がしっかりできるタイプだからです。逆に、反省ができないタイプは、自分の悪さ加減を知らないので、何度も悪い言動をしたりして、失敗を繰り返す、愚か者であったりします。 表面上の反省は、何も意味を持ちません。次回に繋がる反省だけが反省と言えます。ここで、注意しておきたいのが、自分の中だけで完結させる反省です。心の中で、十分反省したのだからいいのではないか、というものです。これでは、反省したことにはなり得ません。では、何が欠けているのでしょうか?それは、相手への謝り(謝罪)です。相手の前に行き、声を出して謝る、これが必要不可欠です。この行為をした事ではじめて反省が完了したと言えるでしょう。謝った時点で、自分の責任である事を自分に知らしめた訳ですから、謝る行為を外すことはできません。 反省し謝罪する、という行為は、現代において、非常に軽視されていて、どちらかと言うと嫌われていると思います。しかし、この行為の素晴らしい所は、それをする事を積み重ねていく事で、自信がついていくことです。もし、自信がないという方は、謙虚に反省することから始められるといいと思います。 ◆人は裏切るものなのか? 人は、ご立派な存在でしょうか? シンプルに答えますと、愚かしい存在です。約束をしていても、相手を軽視して破ってみたり、出来もしない約束を、自分の見栄の為だけにしてみたり、します。約束を破り、謝るのならいざ知らず、言い訳を並び立てる始末ですから、どこからどう見ても、愚かしい、としか言いようがない、それが人間です。 「信用していたのに、裏切られた!」という話はよく聞きますが、これは、人というものは裏切らない、という考えが、その人の中に少なからず存在していたから、起きたという事です。友達と雑談している時は、「人って、裏切ることもあるよね。」と分かったように発言したりしますが、実際に、その人の心の奥底を訪ねていくと、裏切らない人もこの世の中にはいるはずだ、という甘い考えがあったりします。「この人だけは特別。絶対に裏切らない。」という、美化した考えです。 人の真実の姿は、ご立派ではなく、愚かしい存在であるので、”裏切るという行為”をする事ができます。親子、夫婦、友達、会社の同僚、等々、様々な場面で裏切り行為は行われています。では、なぜ裏切るのか?それは、最初から裏切ろうと思っていたからか、自分に都合が悪くなったからか、のどちらかであると思います。例えば、ある友人にお金を200万円貸したとします。10年来の友人なので、必ず返してくれるという信頼を持っていたとします。ところが、ある日、その友人は忽然と姿を消してしまいました。信頼していたのに~、裏切られた、と思う訳ですが、その友人はお金を返すことより、とんずらを選択する方が都合が良かった、と言えると思います。都合次第で、いくらでも裏切れるのが、人というものです。 人を信用してはいけない、人を信頼してはいけない、という事を言っているわけではありません。もし、少しも信用・信頼をしないならば、社会生活を送ることはできません。ここで、述べたいのは、「人は、都合一つで裏切ることができる存在である」という認識を持つ必要があるという事です。あの人だけは、裏切らないという固定観念を持って、仮に裏切られてしまうと、そのショックは計り知れないものになるでしょう。そうならない為にも、事前に真実を知っておくことが大事です。人を美化し、理想化するのは勝手ですが、理想と真実(事実)とのギャップが大きければ大きいほど、人はそのギャップに苦しみます。ですから、自分で創りあげた理想を打ち壊し、真実を知っていく事が重要です。 ◆他人の評価は気になるものか? 自分は、周りにどう見られているのだろう? 人は、人と接する中で生活を送っています。ですから、人からどう見られているだろう、とか、どう評価されているだろう、とかが気になったります。時には、それが気になり過ぎて、人前でカチコチになったり、だんまりを決め込んだり、人が怖くなったりもします。こうなってしまうと、人間関係がどうだ、という問題以前に、自分をどうにかしなくては、になってしまいます。 さて、ここで問題にしたいのは、他人の評価をそれほどまでに気にする必要があるのか、他人の評価が当てになるものなのか、という点です。ある部下が、出世街道まっしぐらの上司に対して、「私は、あなたについていきます。」と賞賛したとします。ところが、その上司がある失態を犯し、降格させられました。その部下は、翌日から手のひらを返したように、その上司に対して冷たい態度をとるようになりました。これは、その上司が出世街道にある時は、部下にとって都合が良かったので賞賛、つまり良い評価をしていた訳です。しかし、その上司が降格となり出世街道から外されたと分かるや否や、冷遇、つまりは悪い評価を下した訳です。この部下の評価基準は、自分に利益があるか否かの「ご都合主義」で行われているわけで、彼の評価は全くと言ってよいほど、当てにはなりません。 お酒を飲んでいる時は褒めちぎるのに、普段は何かとけなす人もいます。人の評価というものは、気分一つ、状況一つでも変わるものなのです。逆に、自分が他人を評価する場合はどうでしょうか?自分の利益になるかどうか、損得勘定でどうか、自分がその人を好ましいと思っているか、というように、自分の都合で決めている場合が大半だと思います。欲目を入れないで、絶対的な評価をすることなど、人間にはできないのにもかかわらず、人は、他人の評価に戦々恐々となり、気にしてしまうものなのです。 他人の評価は当てにならない、という事をしっかり認識していないと、その評価に一喜一憂してしまい、振り回される結果に陥ります。これは、正直、愚かしい事です。当てにならないものを、当てにして、勝手に落ち込んでいるわけですから、まさに一人上手です。所詮、人の評価にしか過ぎない、当てにならないものだ、と分かっていれば、いちいちくだらない他人の評価など気にならず、堂々と自分の人生が歩めるはずなのです。(他人の評価は聞かなくてよい、という意味ではありません。人間関係を壊せ、という意味でもありません。他人の評価は当てにならないので、振り回されるのは馬鹿らしい、という真実、を知って欲しい、という意味です) ここで、最後に注意したいのは、他人の評価の中に、良い指摘が入っている場合もあるので、そういった内容にはしっかり耳を傾けなければならない、という事です。他人の評価も、一参考意見としては、自分の為にはなるので、無下にするわけにはいかなく、自分の成長の為には、大切にするべきです。 ここで述べたかったことは、偏に、他人の評価に振り回され過ぎて、自分を見失い、相手に合わせる事でしか、自分の存在を認められない、という状況に陥るのは、愚かしい事ですよ、という事です。

anzianzi
質問者

お礼

お礼、遅くなり申し訳ございません。 ありがとうございました。 その後。。。ようやく話が出来たのですが びっくりしたのは、自分は何も悪くない、 悪いのはすべて私、と言わんばかりの発言をされ、 あいた口がふさがりませんでした。 よくよく話てみると、観点がズレていました。 私がこだわっていた、 「わたしのせいにする彼の言葉」は、彼にとって全く蚊帳の外でした。 私は、そこに気がついて、反省をして欲しかったのですが、労力の無駄、 という感じでした。 その後の話合いでも 「○○(私)にしたら、オレの言うこと全部いい訳になる」 最終、「これがオレや、世間一般とかどうでもいい」という開き直る始末。 すべて自分が正しくて、自分の物差しが正解、 いい訳や責任転嫁、私のせいにしていること、全く 気が付いていなくて、どんなに訴えても 聞く耳をもたない彼に疲れました。 普段は優しいところもあるし、楽しくて面白い人なんですけどね。 理解力ないのか、子供なのか、性格ゆがんでいるのか・・・ すみません、愚痴っぽくなってしまって。

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