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推理力と洞察力は何が違いますか?

推理力と洞察力は何が違いますか?

noname#223755
noname#223755

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  • Parismadam
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回答No.6

こんにちは。先のご質問にも回答していますので、ご参照下さい。 1.推理力: (1)推理は文字通り「理屈で推し量ること」です。 (2)つまり、「既にわかっている事柄をもとに、考えの筋道(理)をたどって、またわかっていない事柄を推し量ること」です。 (3)推理力はその能力のことです。 2.洞察力: (1)「洞」は「つらぬく」→「通りぬく」→「悟り知る」と転意していったものです。 (2)そこから「洞察」は「物事を見抜き、見通すこと」を意味します。 (3)洞察力はその能力のことです。 (4)ちなみに洞察するのは、「内面的なものを深く」です。 3.語法の違い: 例えば、ある事柄に対して (1)「推理力がある」 (2)「洞察力がある」 と使い分けた場合、 (1)の方は、その事柄が生じた原因、なりたち、それに関わる状況の設定などを、複数の事実を元に、ある仮説を立てていくことをいいます。 その展開の仕方に論理力と説得性があれば、推理力があるとされます。 (2)の方は、その事柄が起こった原因、状況を奥深く見抜く力です。 推理と違い、仮説を立てる行程には言及していません。ただ、見通すだけです。 4.つまり、推理は「推論とそれから引き出す仮説の構築」という、「過程と結果」に言及しますが、洞察は「考え抜く」という「過程」のみに言及する行為です。 以上ご参考までに。

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  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.7

#5です。私は物理学者ですが、私の尊敬する世界的に著名な寄与を幾つもなさった方のコメントを載せておきます。 その尊敬する先生から個人的に聞いたは話ですが、あらゆる学問で最も重要な寄与は「仮説」を導入することだ、とおっしゃっていました。仮説とはその定義から判るように、それを正当化する論理がまだ存在していないときに出される主張です。ですから、仮説が推論という、論理的な流れから出てくることはあり得ません。もし、その推論の流れが提示されているのなら、それは正しい論理か、間違った論理のどちらかなので、それを会」あえて「仮説」という必要がないからです。 ただし、一旦仮説が導入されれば、それを論理的な推論によって、肯定的にも否定的にも確認できる可能性が与えられるわけです。ですから、仮説の導入は洞察に基づいた、何か神懸ったところがあり、それが自然科学といえども、何か芸術と共通した側面を要求されることになります。そして、その神懸かりは洞察力の特別に優れた方でなくてはなかなか出来ないことなので、私の尊敬する先生は上のように述べたのだと、私は理解しています。 実はほとんどの場合、仮説とは私の前に述べた絵画的な空間的相関に基づく、所謂「直感」から出てくるものです。ですから、まだ推論に基づいた時系列的な論理構成の認識が不完全な状況でのみ「仮説」が意味を持つのです。 したがって、「仮説」とは推論に基づく営みから出てくるものではなく、洞察から出てくる営みだと考えますが、どんなものでしょうか。

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.5

我々が物事を合理的に認識する方法に、大きく分けて二通りの方法が在ります。一つは、甲は乙を導き、乙は丙を導き、、、、と、時系列的に論理を組み立て、推論していく方法。もう一つは、全体を一望に眺め、自分の過去の経験や思索に照らして見て、そのあり方や主張が収まるべきところに収まっているかどうかを一瞬のうちに洞察する、言わば、空間的な相関を認識していく方法です。 前者、即ち推論は音楽的な認識法、後者、即ち洞察は絵画的な認識法と言っても良いかもしれません。 後者の空間的相関に基づいた認識法では、もしそれが正しかったら、必ずそれを正当化する時系列的な論理も見つかるはずです。しかし、大抵の場合それを洞察した時点では、まだ時系列的な推論の流れに乗った論理構造が提示されていないので、この空間的認識法の合理性を理解していない方にはミステリアスな認識法とも思えてしまいます。そこで、自分では説明できないが、どうもそう言う認識法も在るらしいという心象を表現している言葉が「直感」という言葉だと思います。

  • dulatour
  • ベストアンサー率20% (327/1580)
回答No.4

「推理」とは、論理立てて考えを進めていくことで、洞察とは「洞」(突き抜けて)「察する」ことです。 「スキル」で解決できることと、何か人間の本質に関わる「天才」との違いのような気がします。

  • jo-zen
  • ベストアンサー率42% (848/1995)
回答No.3

推理力は観察力の延長線上にあるといえます。周辺知識なども駆使して物事のありようを深く考えて理解し、一見不可思議だと思われるようなことを解読する能力を指します。 それに対して、洞察力は、物事のありようを直観的に見抜く力と言えるでしょう。主観的な自我の思いを介入させずに、物事をあるがままに観照するとき、そのとき、物事のありようが直視され、そしてそれが展開していく様相がひらめくように感得されるのであり、物事の推移が直観的に理解されるのです。

  • _backyarD
  • ベストアンサー率34% (199/580)
回答No.2

辞書を引けば一発かと思いますが... 推理は、何か情報等をもとに考えを進めて結論に到達すること。 洞察は、対象となる物事の本質等を見抜くこと。 元ネタをベースに考えを進め、何かを解決する力と、対象だけを見てそのものについて考え、そのモノについての理解を深める力。推理が考えを推し進めて推移する考え方とすれば、洞察は一点集中で何かを突き詰めて深く掘り下げる考え方、とでもいいましょうか。

  • suunan
  • ベストアンサー率14% (224/1569)
回答No.1

推理は理論一点張りであり目的は論点個々のデジタルな判別です。 洞察には感覚も用いられ、 目的は「全体の状態の認識」であり点個々ではありません。

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