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近代以前の人々はその土地や河川の自然の特性をどのように考慮しながら利用し克服していったのか?(濃尾平野と大阪平野を例として)
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 木曾川,長良川,揖斐川の木曾三川の合流する濃尾平野南西部は古来より洪水常襲地域であった。そのためたび重なる洪水への対応として,集落や耕地を堤防でめぐらした。この囲堤のことを輪中と称しました。  大阪は、古代は上町台地に町が作られたが、近世になり、堀川の掘削、河川の改修により、琵琶湖淀川航路と瀬戸内航路を結びつけることにより、全国の流通の中心になりました。 ...続きを読む
 木曾川,長良川,揖斐川の木曾三川の合流する濃尾平野南西部は古来より洪水常襲地域であった。そのためたび重なる洪水への対応として,集落や耕地を堤防でめぐらした。この囲堤のことを輪中と称しました。
 大阪は、古代は上町台地に町が作られたが、近世になり、堀川の掘削、河川の改修により、琵琶湖淀川航路と瀬戸内航路を結びつけることにより、全国の流通の中心になりました。
補足コメント
yokoaya

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ありがとうございましたっ!そしてー…。できればもっと詳しい説明が欲しいのですが。輪中や御囲堤のことなどについても・・・。お願いします。
投稿日時 - 2001-02-13 09:16:01
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