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イエスの救いの本質は

taco8chの回答

  • taco8ch
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回答No.11

おたくです。 「あわれみは好むが、いけにえは好まない」は、 形骸化した祭儀に対する愛と赦しの優越性というテーマで しばしば引っ張り出されて氾濫している有名な言葉だけど、 ただねえ。生贄のマニュアル本まで発行する聖書で、 生贄はいらん言われてもなあ。 思うにホセア…というかホセア書の記者の気に食わなかったのは、 ヤハウェ信仰を圧倒するまで混交して もはや区別されなくなってしまったカナン色の祭儀じゃないの? マタイの記者が厳密にどういった派閥に属していたのかは 少ない史料から推測するしかしようががないけど、 パリサイ派や律法学者らの政権側とは明らかに距離をおいてたわけでしょ? いわば政敵である祭儀集団とは一線を画していたわけだよね。 ノアやカインの時代には家長が勝手にできてたことになっているはずの、 しかも権威付けのみならず、活動資金や袖の下にもなる生贄を、 専業化してばんばんとりおこなう他派や異教徒を目にして、 そりゃ忸怩たる思いはあるだろうさ。 しかし伝統的なキリスト教ではパリサイ派や律法学者というと、 「律法の形骸化に陥った堕落集団」の代名詞として 聖書中ではすっかり悪者にされちゃうけど、 実際の彼らの神殿崩壊後の生き残りへの執念と情熱といったら、 一概に手本にならないとは言えないと思うよ。 荒野のクムランから発せられた訴追は、 犠牲を真剣に受け止めようとしない権力を糾弾し、 むしろ生贄の重要性と有効性を強調しようとする真摯な態度に基づいているんじゃないの? ホセア書にせよ福音書にせよ、彼らが批判したのは「形骸化し腐敗した犠牲」であって、 信仰の結晶としての犠牲そのもののコンテキストは 陳腐なまでに相変わらず聖書の基底(ベース)に ドーンと横たわっていると思うよ。 マタイ記者はその辺のところ割とさらっと通り抜けてるけど、 根暗のヨハネにいたってはもう、イエスの「贖いの子羊」像を これでもかというほどじめじめと印象付けるしさあ。 そして何より結局はイエス、というかキリスト?(ま、どっちでもいいか) 自身が磔刑を嫌々ながらも受け入れましたって話になってるしさ。 ああ、そうそう、余談だけど 「神(イエスのことでよろしいかな?)が自分勝手に 十字架上に登って 死に就いた」 というのは明らかに間違いだよ。 聖書中の物語にはイエスを告発しようとする企みが度々出てくるし、、 凶悪犯を無罪放免にして「イエスを十字架につけろ」と叫んだ群衆がそこにはいた。 そして何より、「イエスを十字架につけろ」は、 果たして究極的にはだれの告発かということを聖書は突きつけていると思うね。 「罪人とは果たして誰のことか」なんてことになるだろうね。 生贄には、「供犠」という形態のほかにも、 「迫害」という形態もあるんだな。 聖書の中のイエスという珍妙な登場人物は そのどちらも満たしているかもしれないよ。 まあ、議論するなというサイトだからもう〆るけどさ、それにしても イエスの誕生日に、死体の防臭剤を献上されるくだりを読まされた日にゃ、 薬だけに、よく錬り合わされた話だと関心しちゃうんだな。俺なんか。

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