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本当の理由

お願いします本当の理由をお教え下さい 日本が大東亜戦争を引き起こした(日本が戦争に参戦した・引き起こした・ どう表現すればいいかも解らない)本当の理由を知りたいのです 近隣諸国から戦後60年もたっているのい未だに非難囂々 近隣諸国にも歴史があってその歴史の中には 戦争・略奪・侵略・・・ 日本以上の事もしているはず 何故未だに戦争責任など問われるのか 戦争突入に理由があるのか知りたくて質問します。

  • 歴史
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回答No.15

その時代、世界はフランス、イギリス、オランダ、アメリカなどの少数の欧米諸国(列強)の植民地と化し、アジアでの独立国は日本とタイだけでした。そして、植民地の争奪戦は続いていて、完全な植民地でなかった中国を列強が狙っていたのです。  一方、独立を維持することが明治維新以来の国家の目標だった日本は、日清戦争の勝利で得た朝鮮の独立で、ロシアに対する防波堤が出来ることを期待しました。しかし、ロシアの植民地化していく朝鮮の姿に戦慄し、朝鮮が完全な植民地になる前に、ロシアと戦う決意をし、日露戦争となります。多くの名将達の必死の戦いで勝利を得ます。その後、朝鮮から日韓併合の話が持ち上がり、その反対筆頭の伊藤博文が暗殺されることで、日韓併合が進みます。朝鮮を日本にして、5000校の小学校、多くの保健所、水力発電所などを作成し、朝鮮人の生活レベルを日本人と同じにする努力が行われます。その後、天才石原莞爾の戦略で満州国を作り上げ、朝鮮と同じ事をおこないます。  そして、中国の利権を狙う米国と日本が対立することになったのです。さらに、ドイツがヨーロッパを占領してしまったので、米国はドイツと戦いたかったのですが、米国民が反対でした。そこで、米国は、ハルノートで、満州の利権を米国に譲るか、石油禁輸で日本の戦争能力を奪うことにしました。その結果、日本が米国に戦いを始めることを期待したのです。日本は、熟慮の上(間違った判断でしたが)、植民地になるぐらいならと全力で戦いを開始し、世界の植民地を解放することを戦争の目標としました。そのため日本は、占領地域に原住民による軍隊を作り、その結果、日本の敗戦後、再植民地化のために再上陸してきた連合軍は敗退し、植民地が独立できました。でも、日本は敗北しました。そして、連合国は、過去の植民地支配を隠すために、植民地を奪われた恨みを晴らすために、原爆の非道を隠すために、戦後の言論の無い時代に、あること無いこと日本を悪者にでっちあげ、日本人を洗脳したのです。 ですから日本は悪者ではありません。虐殺もほとんどが連合国のでっち上げです。あの戦いは、間違ったものでしたが、同時に、世界の歴史を変えた偉大な戦いでもあります。

oz451001oz
質問者

お礼

たくさんの方の回答 ありがとうございます。  私の考えも大体この様に頭の中ではまとまっているのですが いろいろな方の意見・考えがあって参考になります もうしばらく回答を受付ておきます。  

その他の回答 (16)

  • sudacyu
  • ベストアンサー率35% (687/1961)
回答No.17

<何故未だに戦争責任など問われるのか>  イギリスのアイルランド併合、アメリカのベトナム戦争・アフガニスタン・イラク、ソ連のアフガニスタン派兵、日本の中国大陸侵攻、中国のチベット侵攻・・・  全部失敗です。歴史の教訓として、他国の領土で長期に戦いを続けること、他民族を長期に支配することは、必ず損をして終わります。  他国にちょっかいを出さないと言う歴史の教訓を無視して、戦争を起こして失敗した責任を回避すると、同じ失敗を繰り返す確率が増えます。  自分が犯した馬鹿を認め、責任を取れる人は成長する。  民族も同じ。  戦争責任は時効が成立するわけでもなく、基本的に消えない。民族として成長して、誰も追及しなくなることがあるだけ。  (賠償・条約により、物理的・金銭的に補償できるものは解消するが、道義的な責任は消えない。=同義的責任には、義務は伴わない。)  自分のやった馬鹿なことを追求されて、反論しても意味がない。まして、相手が同じような馬鹿をやっているからと、自分のやった馬鹿を正当化するなど、愚の骨頂。  他人の馬鹿はほっておいて、日本国民は過去の馬鹿さ加減(=ヨーロッパの植民地主義・帝国主義の馬鹿国家群の真似をして競おうとしたこと)をよく理解して、より高いものを目指すべきです。 

oz451001oz
質問者

お礼

ありがとうございました。

noname#58790
noname#58790
回答No.16

>何故未だに戦争責任など問われるのか 「未だに」は、「欺瞞」です。 過去の日本人が罪を問われているのではありません。 「今」の間違いです。 「今」の日本人が責任を追及されているのです。 1、 日本の教科書が、「反米」「欧州」「絶対日本主義」で形成され、 日本人は神なので間違いを起こさず、アメリカ人は白いので間違いが多い。 と教育を受け、卒業している「事実」 この事実を「中国の教科書」と「反日」にすり替えて主張している事実。 2、 石原個人に全ての罪をなすり付け、政府は無関係と主張。 奪った土地や金品は全て政府が接収。 犯罪者の逮捕行為、生命と財産の保障義務を怠り、 逆にこれを不法に所持、「所有権と正当性を主張」(国際連盟脱退) また、右数名が犯罪に及んでいるので、犯罪は犯して構わないのだ。 と言う間違った法律の解釈を「強要」「行使」 白は白。黒は黒。 犯罪は犯罪。 悪い事は悪い事。 分別すら失念する有様です。 これが、 相手が外国人なので「悪業が正当化され」 植民地化、治安軍事力移動、円滑な租税接収に資金を使ったので (日本語)教育をした。鉄道を敷いてやったとなります。 身ぐるみ剥ぐのに使ったガソリン代の請求です。 戦争突入に理由など「ありません」 必死に命をかけて「国を守った英霊が全部悪い」 ので「今の日本人」は「尻拭い」をさせられています。 違います。 喧嘩して仲が良くなるタイプと、絶対そう出来ないタイプがあります。 日本がまさにそれで、「時効」を待つタイプです。 仲良くする能力が完璧に欠落しているので、非難がたえません。 相手は、 金をポン!っと置く日本人を見て「腹が立ちます。」 「金で何でも買えると思っているらしいな。」

oz451001oz
質問者

お礼

ありがとうございました。

  • sudacyu
  • ベストアンサー率35% (687/1961)
回答No.14

 詳しく知りたい場合は、  田原総一郎「日本の戦争」2000年、小学館  がよくまとまっています。彼の番組での発言のような、灰汁の強さもあまり見られず、外交資料を駆使して戦争へ向かっていった、いきさつが述べられています。  「負けると分かっていた戦争を何故始めたか。」と言う自分自身の疑問を解くために、書かれた本です。

oz451001oz
質問者

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ありがとうございました。

  • googahaku
  • ベストアンサー率17% (43/242)
回答No.13

(1) 欧米列強から見れば、日本が、中国大陸での権益を独占しようとしているように見えたこと。 (2) 植民地(経済圏)獲得に後れを取り、既に列強の植民地への侵食を目指したドイツ・イタリア・日本・・・三国同盟が、列強の怒りを買ったこと(日本の場合、仏印進駐)。 主にこの二点が原因となって、その仕返しとして欧米列強から「ABCD経済封鎖」を受け、くず鉄も入手できなくなったとこれで、ドイツのが起こした第2次世界大戦、緒戦の連戦連勝で、日本の軍部を中心に、「バスに乗り遅れるな、勝てる、と錯覚して」と戦争を起こし、窮地の打開を図ろうの気持ちになったことにあると思います。  背景として、主にアメリカの日本敵視政策「日本人移民の虐待」や「中国支援」が両国民の国民感情を極限まで悪化させていた状況もあります。  私は、歴史的な流れから見て、あの戦争は避けられないものだったと考えています。負けたのは日本が弱かったから。

oz451001oz
質問者

お礼

ありがとうございました。

回答No.12

脱亜入欧から考えるのも一つの方法だと思います。

oz451001oz
質問者

お礼

ありがとうございました。

  • kodon
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回答No.11

大東亜戦争を起こした原因はあまりにも多すぎてはっきりとこれだと言い切れるものはないと思います。私はあの時代の世相が戦争に突入させたと見ています。あれだけ大きな戦争をするのに国民の支持なしには開戦できません。戦後の国民は嘘の歴史を教えられて国民が望まない戦争に誰かが引きずり込んだと考えているようだが真珠湾攻撃の戦果を聞いた時はついにやったかと国民は感激したものです。それまでアメリカに軍縮会議で対等の軍備を認められず、人種差別禁止法は反対され、対日 移民法でも差別され、最後には石油禁輸法で明らかに戦争を仕掛けられていたことは国民は皆承知していた、ここまでおいつめられているのに 何故海軍は戦争出来ないのかとバカにされようとしていたやさきに開戦 に踏み切った戦争ですが、海軍の中には始から逃げ腰で戦争していた高官がいたようで山本五十六が考えた真珠湾攻撃の本当の目的を理解せずに空母をとりにがしたまま引き上げたことがその後の作戦に大きな齟齬 を来たし、のちのミッドウエイ海戦の敗戦に繋がります。戦後よく言われることは何故負けると判っていながら戦争を始めたのかと言ふことが良く言われますが、開戦を決断した者に勝利の望み無くして戦争をはじめません、ロシヤとの戦争も世界はみな日本が負けるだろうと見ていた が結果は日本の勝ちになった過去があったのでアメリカとの戦争も勝てるかもに賭けたきらいがあります。 当時の世相とはどんなものであったか勿論マスコミによって形図繰られたものですが主導的役割をはたしたのが朝日新聞です。あの南京陥落で提灯行列までしてゆわったものです。軍人が国家の主導的立場に立てるよう応援したのはマスコミです。軍人は社会をどのようなものにしようとしていたのかと言えば、彼等が望んでいたのは社会主義体制です。右翼も左翼も狙いは社会主義です。しかし政府が最も警戒していたのはソ連の国際共産主義の侵入を恐れて治安維持法など施行して取り締まりましたが、ソ連のゾルゲや尾崎のスパイに情報が筒抜けになり日本と蒋介石の和平協議も妨害され日本は中国からぬけだせなくなり。アメリカではソ連の工作員がルーズベルト大統領の側近をつとめていることにきずかず日本との開戦に突き進んで行った。元総理の近衛が昭和18年ごろ 自分が総理の時何か目に見えぬ力が働いて思っているように進めようと してもすすまなかたと嘆いていたそうだが、日本だけでなくコミンテルンと力が日米共に働きそれにきずかず戦争を始めてしまい、その結果世界に共産主義勢力を広めてしまいアジアでは未だに中国と北朝鮮は衰え を見せていません。しかしあの戦争のおかげで独立できた国は日本を評価しています。もしあの時アメリカには勝てないからアメリカの言いなりになって引き下がっていたならアメリカの横暴は計り知れないものになっていただろうし、それよりも世界は白人の支配することが当然のようになっていただろう。

oz451001oz
質問者

お礼

ありがとうございました。

  • sudacyu
  • ベストアンサー率35% (687/1961)
回答No.10

 「国益を判断し、戦争突入を回避する政治決断をすることが出来なかった。」のが、開戦の理由と考えています。  終戦も天皇が決断するまで、出来ませんでした。  日本が開戦したのだが、日本には積極的に開戦する理由がなく、開戦決断もしなかったので、「戦争責任」が見えなくなってしまっています。  回答者No.3,6,8が正しいと考えています。  少し長いですが、これらの方の考えの基となる歴史の経緯詳細を以下に。 <満州事変・日華事変・太平洋戦争(=対米戦争)の詳細経緯>  戦前の政治体制では、軍(皇軍=天皇の軍隊。陸軍=参謀本部、海軍=軍令部)と内閣(=行政府)は同格の存在として、天皇の下に並立しています。(統帥権の独立)  明治・大正時代までは、枢密院が天皇の補佐として実質的に日本の政治・軍事を統括した国政の主導機関として機能していましたから、並立する軍・内閣を統合するシステムが存在・機能していました。  ところが、昭和になると枢密院の権威の低下と(枢密院は事実上、その構成員の個人的力によって動いていました。明治時代の枢密院のメンバーは、明治維新の立役者であり、倒幕軍の指揮官を経て新政府の高官となった人が多く、軍・政両方に幅広い人脈を持ち、両者を統括する力を持っていました。)、天皇自身のリベラルな考え方(美濃部達吉の天皇機関説とほぼ同じ考えを持っており、御前会議では、ほとんど異議を唱えませんでした。例外は2・26事件と終戦の決断の二つといわれています。)の結果、軍と行政を統合した国際的視野を持った政治判断が失われてていきます。  この、政治と軍事を統合する視野を欠いたまま、満州事変・支那事変(日華事変・日中戦争)が起こっていきます。  ですから、中国本土への介入が日本と言う国家にプラスであると言う判断なしに、支那事変が起こり継続されたと考えています。 ・満州事変  「石原莞爾」という特異な才能の元で、演出されました。  上に述べたような政治状況の中で、政府・参謀本部ともに「満州では、張学良と極力事を構えない。」方針でした。(満州の軍閥、張学良の兵力は、満州に駐留している日本軍の10倍あるといわれていたからです。)  ところが、満州派遣日本軍(=関東軍)の参謀であった石原莞爾・板垣征四郎が、この方針を無視して軍事行動を起こし、張学良軍を電撃作戦で圧倒、軍事作戦としては大成功をおさめ、満州を占領してしまったのです。  この大戦果に、参謀本部・日本政府ともに関東軍の軍事行動を追認し、満州国建国に至ったのです。(ここまでは、石原莞爾の戦略通りの展開となりました。)  その結果、石原は陸軍同期の中で最も早く大佐となり、陸軍内部で「軍参謀は中央の方針に反しても、作戦で戦果を挙げれば、出世する。」という認識が生まれることとなりました。  石原莞爾は、満州を取って「日本・朝鮮・台湾・満州を日本の経済圏として開発することに専念すれば、アメリカに対抗できる。」との見方を持っており、そのための戦略として、満州を勢力下に置いた後は、他国との軍事衝突は外交力を総動員して回避し、軍事費を抑え経済開発に専念するというものでした。 ・支那事変(日華事変・日中戦争)  石原莞爾は、1937年の日中戦争開始時には参謀本部作戦部長となり、内蒙古での戦線拡大に作戦本部長として、中央の統制に服するよう現地にまで出かけていって現地軍指揮官の説得に勤めたが、かえって現地参謀であった武藤章に「石原閣下が満州事変当時にされた行動を見習っている」と嘲笑される結果となりました。  戦線が泥沼化することを予見して、石原は不拡大方針を唱え戦線の拡大を抑えようとしましたが、当時関東軍司令長官東條英機ら陸軍中枢と対立し、1937年9月には参謀本部から関東軍に左遷され、支那事変は継続していきます。  日中戦争を開始した中国派遣軍参謀を評して、石原は「鵜の真似をする烏」と言ったらしのですが、過去の自分の行動が影響を与え、石原の戦略は崩壊することとなって行きます。 ・満州事変の性格と支那事変の性格  高校の日本史の資料・年表程度のものに目を通せば、その実態が分かります。  満州事変(1931年)当時の日本陸軍の総兵力は45万程度で、「電撃戦での勝利」であったため、兵力・日本経済には大きな影響を与えていません。  支那事変が、1937年7月に起こり、在留邦人保護と言う名目で継続され、1941年12月には、真珠湾攻撃を行い、アメリカとの戦いに入っていくのですが、それらの時点での主な統計数字を見れば実態が見えてきます。  真珠湾攻撃をする直前の、日本本土・満州・中国大陸にある兵力は約190万(支那事変後に急激に増え、満州事変前の4倍になっています。参考:現在の日本=人口12000万の陸上自衛隊約16万、中国=人口13億の人民解放軍陸上兵力170万{誤差は大きいかもしれません}程度。)は、とんでもない数字なのです。  対米、南方作戦のために、その後も更に兵員の数だけは増えていき、終戦時には、更に増え650万だったそうです。女性・子供・老人を除外した成年男子に対する軍人の割合を考えれば、国家経済が維持できるはずもありません。  これだけの兵士を、生産を行わない「軍人」として動員したため、日本の戦前の各種工業生産力は1937年をピークに減少・横ばいを始めます。  さらに、1938年には国家総動員法・1940年には食料の配給制が国内で始まります。  アメリカとの戦いを始める以前に、中国との泥沼の戦争で、国力の大きな消耗が起き、顕著に国民生活を圧迫しているのです。  政治が「軍」をコントロールしていれば、工業生産力を低下させてまで長期に戦いを続けることは考えられません。国益に明らかに反していて、無意味な消耗ですから。  私個人としては、「軍が軍の理論で戦っていた。」以外の答えを今のところ見つけておりません。  中国側は、「負けなければ勝ち」なのに対し、日本側は「勝たなければ負け」という、抗戦側の理論と侵攻側の理論のギャップで、戦闘を中止して撤退すれば『負け』という状況となっていました。    『負け』ないためには、戦い続けるほかに方法はなく、アメリカから石油禁輸をされた日本(当時の日本産業の動力源は石炭。輸入石油の半分は軍が艦船・飛行機・車両の燃料として消費していました。)は、結局、中国からの撤退か、西太平洋の制海権を手に入れて、オランダ(既にドイツによって占領され、独立国家として機能していませんでした)の支配する領インドシナの石油を手に入れるかの選択となったのです。  さらに、軍が急激に膨張した結果、多くの「職業軍人」は、平和時にはありえない異常なほどの昇進を手にしていました。

oz451001oz
質問者

お礼

ありがとうございました。  お礼文 短くてすいません・・・・

noname#58790
noname#58790
回答No.9

最初に、 アメリカは平和を脅かすファシズムと軍国主義を絶対に許さないと言う3国に対してのアメリカの姿勢を連合国に文書で明らかにします。 これは連合国全ての意見でもあります。 ここから、A級戦犯(平和に対する罪)はすでに始まっていたのです。 部分的に石油、くず鉄の輸出が原因では無く、 そのファシズム国家の存在自体を否定していたのが大きな原因です。 それは解体されました。

oz451001oz
質問者

お礼

ありがとうございました。

  • imp-dsc
  • ベストアンサー率25% (57/222)
回答No.8

大東亜戦争は日中戦争に誘発された形です。 大陸に利権を求めた日本とそれに対する中国(中華民国)との戦争で日本と同様に大陸に利権を求めたアメリカが支援していました。いつものやり方です。余談ですがアメリカはソ連によるアフガン侵攻でそれをやりタリバンを育て、イランでそれをやり反発を招いてイスラム原理主義革命を引き起こしています。昔からの伝統で自分で種を蒔いて自分で刈り取れずに悶絶するのが好きな国なんですよ。こればかりは伝統ですから仕方ありません。 それに日本が乗って挑発されて石油や鉄鉱石を禁輸されてヤケクソになって真珠湾に出かけていった・・・それだけですよ。 ホント驚きです。悲劇なんてどこにも無かった。 あったのは喜劇と更に輪にかけた喜劇と演じるピエロだけだったんですよ。 それから近隣諸国からの戦争責任云々はとっくに話は済んでます。そうじゃなきゃ国交なんて樹立してません。国交正常化交渉と条約の成立で終わりです。条約の文書にその辺きっちり書いて履行しなければなりませんからね。文句あるんだったら証文書く前に云いな味噌汁で顔洗って出直して来いとだけ言えばそれで済む話です。そのための条約ですからね嫌なら破棄しろその後戦争するか?です。 だからこそ話合い。話し合いの場所に相手を引きずり出す為の軍備が必要です。国際社会は言わば地球規模の西部劇。ちがうのは腕利きのガンマンの主人公がいないだけが違う点ですね。山賊砦の悪人に降伏を迫るなら騎兵隊揃えてからの方が少なくとも悪人達の面子を立てることになるだけの事です。 それと戦争責任とは負けた国の指導者がその国の主権者に責任を問われるのが筋です。現在の日本ならば国民。昭和20年8月までなら天皇が主権者です。 だってそうでしょ?サッカーのワールドカップで日本チームが負けたらどうなりますか?相手チームの監督や選手が責任に問われますか?「あんたらが強すぎたのが悪い」とか「経済援助してるんだから少しは手加減しろ」とでも言ってね。当然そんな事にはなりませんね。日本チームの監督やポカやらかした選手が吊し上げ喰らって終る話じゃないですか?

oz451001oz
質問者

お礼

ありがとうございました。

  • eroero1919
  • ベストアンサー率27% (3007/11114)
回答No.7

ドイツだって未だに東欧諸国からは非難を受けていますよ。サッカーでドイツ代表とユーゴスラビア代表(当時)が戦ったとき、ユーゴスラビアの監督は「君たちの両親がドイツにどんな目にあわされたか思い出すんだ。君たちは爆撃機となってヤツらを叩きのめしてやるんだ!」と檄を飛ばしたそうです。

oz451001oz
質問者

お礼

ありがとうございました。

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