• 締切済み

真言宗豊山派の線香3本の意味について

yuhkohの回答

  • yuhkoh
  • ベストアンサー率48% (350/723)
回答No.4

焼香は「たゆまざる修行の実践」、つまり精進を表すものです。 仏前への基本的なお供えとして灯・花・香があります。 闇を照らす灯明は「物事の正しい道理を見詰める力」の象徴であって、智慧を表します。 周囲を飾る花は「苦を除き、楽を与える行為」の象徴であって、慈悲を表します。 それをふまえると、香は智慧の火をともし、慈悲の香りが隔てなく四方へと行き渡る。そして燃え尽きた香は灰となって、次の香を焚く土台となる。まさに精進ですね。 実は、仏前に供え物をする際に、ついつい私たちが神仏に対して供え、拝んでいるとばかり考えがちですが、真言宗には「相互礼拝」という教えがあって、仏様も私たちの内に秘められている仏様の種(仏性)を拝んでいる。 つまり、供物を捧げるのは一方的に神仏にものをあげているのではなく、それと同時に供物を通じて仏様が、それぞれの供物に象徴される仏の教えを説かれている。つまり「無言の説法」をされているのです。 (実際に香の香りをかぐと心が落ち着き、集中力が増しますね。こういう部分でも焼香が「修行」を意味するのです) ですから、三本の線香を供えるのは、大日如来や弘法大師、当家先祖の各々に供えるという気持ちももちろん大切ですが、それだけで終わらない。焼香そのもの自身が修行の象徴ですから、それを三本供える場合は、前述の身口意の三密の修行を、または仏法僧に帰依して日々正しく生きていくことを表しているのです。 もちろん、1本でも2本でも5本でも誤りではないのですが、真言宗の修行は三密の修行であるから、3本を薦めているのです。 なお、灯明・花・焼香以外の水と飯の意味は以下の通りです。 水…インドでは家に入る前に足を洗っていたところから、仏の足をすすぐ水であり、執着心を捨てて他者に施す意義として「布施」。 飯…身体を養い、体力を維持させるところから、瞑想修行の実践である「禅定」。

関連するQ&A

  • 大日如来様のご真言の意味を教えて下さい

    大日如来様のご真言の意味を教えて下さい。 オン バザラダト バン と ナウマク サマンダボダナン アビラウンケン の意味を教えて下さい。

  • 高野山真言宗・臨済宗他

    宗教とか仏教には無知なのですが、最近何か信仰したくなりました。 美輪さんや江原さんがTVで観音様の事を話していて、観音様信仰しようかなと調べていたら何していいかわからなくなりました。 不動明王さんも良いかなと思っていたら、高野山真言宗では大日如来、弘法大師、不動明王が仏壇に入り、信仰によってそれぞれのお経を唱えるという事を知りました。 観音経も唱えるそうですが、なぜですか? 家族の干支の守り本尊が大日如来、不動明王、普賢菩薩なのですが、一緒に信仰しても良いですか? また、臨済宗では全ての神仏を信仰しているみたいな事を聞いたのですが、本当なのですか? いずれにしてもその宗派のお寺が近くにないのですが、その場合どうしたら良いですか? 全く無知なので教えてください。

  • 新義真言宗

    私の家は 新義真言宗なのですが 真言宗とは別なのですか? お寺には弘法大師様の御影がいらっしゃいます。 詳しい方教えてください。 浄土宗と浄土真宗みたいな感じですか?

  • 真言について

    だれかご存知の方、教えてください!! 大日如来の真言、「オン アビラ ウンケン」と 大威徳明王の真言「オン シュチリ キャラロハ ウン ケン ソワカ」 のウンケンという部分は同じ何かを意味する言葉なのでしょうか? 何の意味なのでしょうか?ご存知の方、ご教授お願いいたします。

  • 真言

    密教や修験道の護摩供のときに、僧侶や行者が唱える真言(だと思います)の中に『バン バン バン』『ラン ラン ラン』という一節が続けて出てきます。意味をご存知の方教えてくださいませんか。 『バン』は恐らく大日如来の種字だと思うんですが、『ラン』の意味がわかりません。

  • 真言宗も総合仏教?

    先週、幾つかの真言宗(豊山派)の寺院にお参りに行ってきました。 それぞれ御本尊がお不動さん、十一面観音さん、阿弥陀さん、薬師さん、お釈迦さんと色々でした。 真言宗では「自分も含めて諸仏諸尊は大日さんの一部である」という教義らしいですが そこで阿弥陀さんを御本尊とするお寺の和尚さんに「阿弥陀さんには阿弥陀経を上げるのですか?」と聞いたら「15日が縁日ですのでその日には私達僧侶が阿弥陀如来根本陀羅尼を唱えたらお檀家さんや拝観者さん達と一緒に御名号と御真言を七回唱えて阿弥陀経を読んで差し上げます。」と仰っていました。驚きました。まさか真言宗寺院で「南無阿弥陀仏」と唱えているとは思ってもみなかったからです。さらに「葬儀法要でも御故人に極楽の御浄土の信仰があると分かった場合は阿弥陀三尊に御来迎戴いて引導を渡すこともします。」と和尚さん。 帰って来て檀那寺の和尚さんにその事を話したら「そりゃあそうでしょう!大切な事は信徒さんや亡くなった人が何を求めていたかを見極めることだよ。人の価値観や信仰は十人十色だからね。安心(あんじん)になってもらわないと。教科書的に弥勒さんとお大師様が迎えに来て兜率天に往生しましたと言っても理解出来ない人が多いんだよ。細かい事を気にしない人や遺族だったらそれでもいいのだけど阿弥陀さんと縁がある人には阿弥陀経を上げて阿弥陀さんの元に逝ったと言うさ、あんた。葬式は遺族の心の安らぎのためでもあるんだから。」と。 私「では、薬師さんを信仰している人には浄瑠璃世界もあり得るんですね?」 和尚さん「そのとおり!『南無薬師瑠璃光仏』と唱えて御真言や陀羅尼と唱えて薬師経をあげさせていただきますよ?」 私「死んだら大日如来に帰依するんですよね?」 和尚さん「そうだよ。この宇宙は大日さんそのものな訳だから阿弥陀さんが治める極楽だってこの宇宙の一部な訳だから極楽に行って阿弥陀さんのお世話になったとしても大日如来に帰依している事に何ら変わりはないんだよ?」 私「つまり、特に信仰がない人やこだわないであろう人には大日さんの弟子に、特定の仏さんに縁がある人にはその縁を尊重するという事ですか?」 和尚さん「その通り。」 私「法華経はうち(真言宗)には関係ないのですか?」 和尚さん「そんな事ないよ?結論から言うと全てのお経は大日経と金剛頂経に通じているんだよ。だからどのお経を上げたって結局は大日経や金剛頂経をあげているのと同じなんだよ。だからお坊さんによっては阿弥陀経は必要ないって考える人もいるらしいよ。でも僕はそうはおもわないけど。 だってそのお経にしかない個性があるでしょうよ、あんた。阿弥陀さんには阿弥陀さんにしかない個性があるでしょうよ、大日さんにはない個性がね。それがまたいいんだよ。」 私「法華経はレベルが低いってお大師さんは言ったらしいですね?」 和尚さん「完璧なお経などありゃしないさ。それにさっきもいったように全てのお経は大日経と金剛頂経に通じているのだからそういう解釈ができたんだろうね。でも本当にそんな事言ったのかねえ。」 最後に「それぞれの縁日毎に色んなお経を上げているから時間があったらいらっしゃいな。」と。 阿字観という座禅、様々な種類の念仏と真言、豊富な種類のお経・・・。 天台宗とはまた違った切り口で総合仏教であると感じました。間口が広大です。 密教ですが顕教も内包しているのでしょうか? そういえば天台宗も正式名称は天台法華宗で伝教大師は法華経に重きを置いたのに時代がさがって密教等の要素を取り入れたのを思い出しました。

  • この仏像は、阿弥陀如来でしょうか?

    私の祖先が、今から約130年くらい前に、真言宗豊山派の長谷寺に何度も通って、そこから15センチほどの仏像を頂きました。 この仏像は、いま仏壇に収められていますが、釈迦如来なのか、阿弥陀如来なのか、大日如来なのかが分かりません。 鑑定をお願いします。

  • 加持祈祷?

    真言宗が加持祈祷をする宗派だということを最近知りました。 お大師さんを信仰している。 大日如来が唯一の仏さんなどなど・・・ 色々特徴があるんですね。 真言宗のお坊さんは、みんな呪術使いなんですか? ほかの宗派は真言宗をどう思っているんでしょうか? 知りたいです。 私は、真言宗徒である事に誇りを持っています。 だって、天皇や公家の寵愛を受けてきた宗派ですから。 ちなみに我が家は、真言宗御室派です。

  • 大日如来とは?

    真言宗は天台宗のように非常に檀信徒や民衆に対して宥和的で慈悲や理解があると宗教だと思うのです。素晴らしいと思います。 さて大日様はワイルドカードのような総括的存在なのでしょうか? しかし私の檀那寺は真言宗豊山派ですが御本尊は不動三尊です(納骨・位牌の間はお地蔵さん)。 護摩を焚いたりする時にお不動さんの力を借りるのでそうなっているのでしょうが全国の真言宗の寺院で大日様を御本尊としている所は少ないようです。仏壇の御本尊は多くが大日さんなのに何故でしょうか?王冠や少し豪華な衣装を身にまとっている以外はこれといって特徴のない仏様なので人気がないのでしょうか? もっともそれはそれであまり仏教に詳しくない人に都合がいいという側面もあるみたいです。 例えば私の祖母は我が家の大日さんに向かって「南無阿弥陀仏」と唱えています。 ワイルドカード的存在だからOKかなと思っていましたが今「もしや全て三世諸仏に通じているのでは?」と思いました。 大日様はこの宇宙そのもの(森羅万象)、即ち全ての物質や現象だそうですがもしそうなら大日様は全ての時空に同時に存在し得る存在といことになるので私自身でもあり三世諸仏、一切経、一切僧でもあるという事にもなりますよね?釈尊や阿弥陀さんも大日さんの一部なのでしょうか?そして大日様は実在の仏様ということですか? 弥勒さんは遠い未来に如来となって救いに現れるらしいですが既に大日さんを通して弥勒さんは今自分とともに如来としてもいらっしゃるしお釈迦様や阿弥陀様、観音様、過去の阿閦如来さんもそれは同様だと思ったのです。 だとすればすごい仏様ですね。 これは正しい解釈ですか? それとも「通じている」のではなくて単に時空を超えた森羅万象を形成しているに過ぎない存在なのでしょうか?

  • 真言宗のお勤めについて

    私の家は元々真言宗の檀家ですが先月、高齢の母方の祖父と祖母が越してきました。 祖父の家は天台宗だったためか我が家の御本尊の前でも法華経の方便品や阿弥陀経等を 読経したりしていて祖母は「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えています。 真言宗では般若心経や観音経や光明真言であって他のお経はご法度ですよね? それとも大日様はどんなお経でも受け入れてくれるのでしょうか?

専門家に質問してみよう