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他人の評価ばかり気にしてしまいます。

noname#229691の回答

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noname#229691
noname#229691
回答No.12

20代前半で自分のそういう点に気づいているなら、早いほうだし貴重な発見だと思いますよ。 私は30代前半ですが、いまだにそういう自分との格闘ですよ。 私も環境と性格があわさって「常に人より上でないと」「抜かされたくない」「よく思われたい」という感情の中で自分をすり減らしてきました。部活のレギュラー取りから受験も就職もそんな感情で必死にやってきたんだと思います。その感情がなければ、私は何も挑戦しなかったと思います。若いころなんてそんな動機しかなくても仕方ないのでは(笑)と今になっては思ってます。みなさん言われるように、質問者様のその感情もマイナスばかりではないんですよ。 しかし私の場合もそれが強かったため、20代後半で苦しくなり始め、30歳になって完全に行き詰りました。 若いときは「きれいね」「頭いいね」「なんでもできるね」とちやほやされるのが私の生きがいでしたが、30歳近くになってからその賛嘆の対象が若い子に向いていき、親には「あなたまだ結婚してないなんて若い子からみたらお局様よ(冗談まじり)、もう若くないんだから価値も落ちてるの」と言われるようになり、職場での居心地も変わり、「私って何?」と思い始めたのです。 あらゆることでスポットライトから外れたな、と感じてから、自分を見つめるようになりました。 そこから本当に心穏やかで幸せな心の自分になるには?と追求が始まりました。 あなたと同じですね。 しかし、質問文からはまだまだこれからだなと思いました。 他の回答者様も指摘されているように、自分への執着、というのをいい意味で他人へと目を向けていくことだと思います。 それしかないです。 自分だけに目が向いている限り、ある意味『我』が強い質問者様の場合はその苦しい心境から逃れられないですよ。 私は、ある意味で、人間は誰でもちっぽけな存在であり、同時に無限の可能性がある存在でもあると思います。 ちっぽけな存在とあえて言うのは、命も限りがあり、人生の中で一人でできることは限られている、そして自然の恵みや他人の助けがなければ 生きられないどうしようもない存在ともいえます。 このことに気づいてから、私も自分の目が自分以外へ移り、本当の意味で他人を尊敬し、他人をほめたくなる気持ちが生じるようになりました。 外見や成績などほめられて、もちあげられても、それはすごいことではあるけれど、はかない栄光でしかないし、すぐに消えてなくなっていくものです。 どんなに綺麗に着飾っても、一瞬だけ脚光を浴びて、みんな忘れてしまうものです。他の方もおっしゃっていましたが、自分が思うほど周りが自分を見ている余裕なんてありません。 ただ、誤解していただきたくないのは、着飾ることは大切なマナーだし、自然体で楽しめることは大変良いことです。 身だしなみを忘れたら、生きるパワーが弱っているサインでもあるかもと私は思うので、外見は磨くことは大事だと思っています。 大切なのはどういう気持ちでやっているか、ということです。 ・・・ということから、いつまでも残るものは華やかな外見や成績ではなく、非力な自分のために何かをしてくれる他人への感謝、人と気持ちがつながっていること、喜びを分かち合うこと、ささやかな幸せをありがたく思えること、などでしょう。 このように心の底から思えるようになることが続くようになったとき、私も自分を一歩変えられた、と思うと思います。 これは大事な問題で、質問者様が若さを失い、年をとったとき、自信をもって老後を迎えられるか、それともグチばかりの寂しい老後になるかは、今変わろうとするその行動にかかっていると思いますヨ。老いていくとき、質問者様のもっているその感情がそのままであれば精神状態にネガティブに作用してしまうからです。 しばらく時間がかかるかと思いますが、悩んでいることはすごいことです。 頑張って下さいね。

love-j-o
質問者

お礼

こんばんは。 とても長文のご回答で、 また真剣に自分のためにメッセージを書いてくれているんだなと伝わってきました。 時間も割いてもらって・・有難うございました。 lovelyGoghさんも、私と同じような考え方があり、 悩み、様々な経験を積んでこられたんですね。 自分と向き合い、追求して、経験を重ね、今に至るのですね。 ご意見に説得力があるなと思いました。 自分への執着を、他人へと向けていく・・・ 難しいことですが、少しずつ周りを見れるようになりたいです。 仰る通り、人はちっぽけで、周りの助けや自然の恵みがなければ生きられない、 それらのおかげで自分は生きていられるのですよね。 感謝の気持ちを持つと心が穏やかになれます。 外見的なことや、形的なことで誉められたりちやほやされる事は、 本当に、はかなく一瞬のことなんだなと思いました。 >大切なのはどういう気持ちでやっているか、ということです。 良く思われたい、という事より、マナーや、楽しいという気持ちを忘れないようにしたいです。 >非力な自分のために何かをしてくれる他人への感謝、人と気持ちがつながっていること、 喜びを分かち合うこと、ささやかな幸せをありがたく思えること 昔、とても辛かった時に手を差し伸べてくれる人がいました。 その人への感謝の気持ちは今もわすれません。 いつまでも残るもの・・・。 文章をよんで、はっとしました。 素敵なことですね。 今からの行動がとても大事ですよね。 今はまだまだダメな私ですが、暖かい老後を迎えれたらいいな・・。 ご自身の体験を交えながら、本当に参考になる意見を沢山聞く事ができました。 何が大切で、いつまでも心に残るものなのか・・ それを忘れないで、一歩ずつ頑張っていきたいです。 暖かいご意見、本当にありがとうございました!

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