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「死」を悩まずに生活するにはどうすればいいのでしょうか?

僕は高校生なのですが、最近「死」について考え、悩んでしまいます。 初めはただ好奇心で「死んだらどうなるのだろう」と思っていました。 ブルース・モーエンの「死後探索」シリーズを読んでみたりもしました。 好奇心だけならよかったのですが、そのうちに「自分もいつか、確実に死ぬのだ」という考えが頭から離れなくなってしまうようになり、 「いつか死ぬというのになぜ生まれてきたのだろう」とか、 「他の人間はどうしてあんなに幸せそうなのだろう」など 次々とマイナスの思考ばかりして、何もできなくなってしまう時さえあります。 普通に生きたとして死ぬのは何十年も先なのだ、と理解はしているのですが、 どうしても考え方を変えることができません。 「死」や「永遠」が怖くてたまりません。 どうすればこのようなことを忘れ、楽しく生きられるようになるでしょうか?

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  • kyoromatu
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回答No.3

死生観という言葉があります。意味についてはご存知の通りですが、もし分からなければ辞書を引くなり人に聞くなりしてその言葉の意味を先ず理解して下さい。 さてこの言葉をよく見ますと、死のほうが先になっていますよね。 これは 人はもともと死んでいた、、という考え方からなのです。 そしていま、たまたま現世に生きているのですが、それは宇宙創成からの気の遠くなるような経過時間と比較すれば、ほんの一瞬と思ってもいいぐらいのものです。ですのでこれによれば、死ぬこととは、また、かつていたもとの無の世界にもどるだけの話ということです。 誰にもそれは証明できませんがそう割り切って開き直ることで死は怖いものではなくなるハズです。 言わずもがな何事も、いくら考えてもしょうがないことはしょうがないし、仕方のないことは仕方がないのです。 いかなる問題も、それをつくりだした同じ意識によって解決することはできません。つまりあなたがここで山ほどアドバイスを集めても最終的には、あなたのそうなってしまった意識を変えない限り解決しませんよ、、ということです。簡単に結論づければあなた次第ということでしょう。 舟は船頭さんに任せればよいし、病気は医者に任せればよい、、 生きる死ぬということは、神仏に任せておけばよいのです。 あまりビクビクばかりしていると、心身とも病むことになりかねません おおらかに心に余裕をもって暮らしましょう。 何がどうなったところで大勢に影響ありません 心頭滅却すれば火もまた涼しですよ 五体不満足の乙武さんでしたっけ あのような体でありながら、人生を前向きに笑顔で頑張って人のために尽くしていますよね  色々書きましたが、それでも、どうしてもその意識がぬぐえないようでしたら、あまり酷くならないうちに一度、心療内科なり精神科に行って一度診察を受けてくださいね。では 尚、生死観という言葉はありません  喝~ッ!!!

vista20vx
質問者

お礼

ありがとうございます。 ときどき気持ちが軽くなるときがあります。 それが続けばいいのですが、すぐに不安になってしまいます。 気の持ちようでしょうか…

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その他の回答 (12)

  • katyan1234
  • ベストアンサー率18% (347/1849)
回答No.13

死ぬのではなくあなたの魂は生きてます。見えなくてもね。

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回答No.12

小学2年の時にそんな感じのこといっぱい考えたことがあります。 「どうせ死ぬのに何故・・・」とか、 「死んだら消えてなくなるんだ」とか、 で、さんざん考えたあげく最後には何故か、 「どんなに辛いことがあっても、いつかは「無」に返れるんだ。 じゃあ、それまでは頑張ろう」って思ってました。 今もその考えは変わってません。

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  • shift-2007
  • ベストアンサー率14% (143/1013)
回答No.11

#5です。 いえ、私の死はないという話でした。 もし哲学に興味が出てくればその辺の話も分かると思います。 おじさんの経験談で話をすれば、あと数年でそんな悩みは消えます。つまりそういうお年頃ということですね。

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noname#69788
noname#69788
回答No.10

このようなことは、宗教を使わないと解決できません。永遠の地獄は恐ろしいかもしれませんが、永遠の天国は怖くはないでしょう。

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noname#163144
noname#163144
回答No.9

なんだかちょっと悟ってしまったようなお気持ちですかね? 本などに影響されて死や永遠を考えていると、途方に暮れてしまいますよね。 たいていは、もう忘れてしまったり、自分で答えを決めて落ち着くものですが、ずっと考えを変えずにいられることもスゴイと思います。 >でも、世間で言っている「命は大切にしよう」は結局どういうことでしょう? 命、というとつかみにくいもののように思えますが、生命、と聞くと神秘と尊厳を感じませんか?その気持ちのことだと私は思います。 自分たちより寿命の短い生き物を大切にすることでそのような気持ちは感じます。ですから、幼稚園や小学校ではウサギを飼うんです。 私はあるとき、意識を失う寸前、死ぬのではないかと感じたことがあります。 お花畑も見ました。(笑) そんな経験をすると、意識がなくなることは死に多少繋がっているのではと思い、 何だか唐突に死が訪れても仕方ないかな、でもできるだけ生きよう、と今まで意識しなかったことを思うようになりました。 >「いつか死ぬというのになぜ生まれてきたのだろう」とか これは永遠の謎ですね。っと私は思います。素人意見ばかりで申し訳ないですが・・・。 死への考え方は本当に色々あります。無理に忘れようとせずとも、あなた自身の答えをどうか決めて欲しいと思います。

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noname#194289
noname#194289
回答No.8

私は死によって支えられて生きていると思っています。我われは死んだものからいろいろなものをもらって生きていると考えられないでしょうか。

vista20vx
質問者

お礼

ありがとうございます。 そうですね。毎日何かの命からつくられているものを食べて生きているわけですから。 そのためにも、しっかりと生きていかなければ申し訳が立ちませんね。

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  • kensan39
  • ベストアンサー率13% (227/1648)
回答No.7

死ぬことにとりつかれているのですね 普通は直ぐには死なないですよ 死ぬのは大変難しいのです まず 自分の寿命は10年と考えて 行動すると死から抜けることができます そして10年間を精一杯生きようと思うことです これで前向きに成ります 10年とは長いようで短いですから 常に寿命は10年と思うことです 何をするでも後10年と思うことです そうすると10年は生きられます 寿命は10年しかないです これで今を生きることです 私はこのようにして40年になります 今も後10年と思って生きています いよいよ 本当の後10年が近づいていますが なかなか死は来ないですね

vista20vx
質問者

お礼

ありがとうございます。 デール・カーネギーの「道は開ける」を読んだことがあるのですが、 そのなかに「今日一日の区切りで生きよ」というのがありました。 ご存知かもしれませんが、過去も未来も考えずに、今日だけを生きよ、 というものでした。でも、僕にはkensan39様の考え方のほうが合っているような気がします。

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  • 007_taro
  • ベストアンサー率29% (540/1831)
回答No.6

私は、vista20vxさんが素晴らしい所に目を向けられていると思いました。 ただ、マイナス思考がでてきてしまったのですね。 人間は何時かは死ぬ。 確かにその通りです。それが恐ろしい事であれば、逃れようのない恐怖となってのしかかるでしょう。でも、世間で言っている「命は大切にしよう」は結局どういうことでしょう?「生きるってすばらしい」と言う言葉も、「死」と言う局面がなければ、単なる交通標識と同じような、良く見る言葉になって、意味が薄れます。でも、「死」はどういう意味があるのだろう、とか、「死を迎える」とはどういうことだろう、と考えた時、ずっと「生きる」と言うことが違って見えます。今は、恐怖ばかりが見えていると思いますが、すぐではなく少しづつ考えていく度に、違う考えが出てくると思うのです。「忘れる」ではなく、頻度を抑えられれば好い訳ですよね。 どうしても、恐怖が付きまとってしまうのであれば、スクールカウンセラーさんとお話をすることも好いと思いますよ。別にそういう悩みで話をしに行っても、全く問題ありません。別に精神疾患と片付けられる訳でもありません。 今すぐには読まなくても良いですが、こういう捉え方をしている人たちも存在する、ということで、以下の本も参考にされて下さい。 E・キューブラ・ロス 著 「死ぬ瞬間」「死ぬ瞬間の子供たち」 このシリーズは、別に臨死体験が書いてあるのではなく、病気等で死を確実に迎える人・子供たちが、自分の死や病についてどう捉えているのかをインタビューし、本にまとめたものです。なんとなくホッとするのが不思議な本です。 http://www.amazon.co.jp/%E6%AD%BB%E3%81%AC%E7%9E%AC%E9%96%93%E2%80%95%E6%AD%BB%E3%81%A8%E3%81%9D%E3%81%AE%E9%81%8E%E7%A8%8B%E3%81%AB%E3%81%A4%E3%81%84%E3%81%A6-%E4%B8%AD%E5%85%AC%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%B6%E3%83%99%E3%82%B9-%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%82%B9/dp/4122037662/ref=pd_sim_b_1_img/249-3638817-9200316?ie=UTF8&qid=1190202423&sr=1-8 http://www.amazon.co.jp/%E6%AD%BB%E3%81%AC%E7%9E%AC%E9%96%93%E3%81%AE%E5%AD%90%E4%BE%9B%E3%81%9F%E3%81%A1-E-%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%82%B9/dp/4643920556/ref=sr_1_8/249-3638817-9200316?ie=UTF8&s=books&qid=1190202423&sr=1-8 http://www.amazon.co.jp/%E6%AD%BB%E3%80%81%E3%81%9D%E3%82%8C%E3%81%AF%E6%88%90%E9%95%B7%E3%81%AE%E6%9C%80%E7%B5%82%E6%AE%B5%E9%9A%8E%E2%80%95%E7%B6%9A-%E6%AD%BB%E3%81%AC%E7%9E%AC%E9%96%93-%E4%B8%AD%E5%85%AC%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%B6%E3%83%99%E3%82%B9-%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%82%B9/dp/4122039339/ref=pd_sim_b_2_img/249-3638817-9200316?ie=UTF8&qid=1190202423&sr=1-8

vista20vx
質問者

お礼

ありがとうございます。 たしかに、忘れる、とまでいかなくとも、気にならない程度なら大丈夫だと思います。 >でも、世間で言っている「命は大切にしよう」は結局どういうことでしょう? 自分の解釈ですが、自分の人生で、一度しか出会えないものだから、 また、その命にも一生があるのだから、ということでしょうか。

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  • shift-2007
  • ベストアンサー率14% (143/1013)
回答No.5

一つの視点なので参考にしてください。

参考URL:
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3350051.html
vista20vx
質問者

お礼

ありがとうございます。 知らないものを恐怖してもしかたがない、ということでしょうか… 案外、それほど悪いことではないのかもしれませんね。

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  • inaken11
  • ベストアンサー率16% (1013/6245)
回答No.4

同じ生きてる生身の人と話をしろ。 何もなければ、自分より確実に早く死ぬ、親が適当かもしれん。

vista20vx
質問者

お礼

ありがとうございます。 どう切り出していいかわかりませんが、やってみます。

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