• 締切済み

般若心経は間違った経典

kanjizagooの回答

回答No.30

中阿含経  四洲経第三 尊者阿難は静かなところで座禅をしてこのように考えた。「世の中で欲望に満足する者は少なく、欲望を嫌って終命する者は少ない。世の中で欲望に満足して、欲望を嫌って終命する者は得難い。」と。阿難は夕方になって仏の所へ行き、仏にいった。「世尊、私はこのように考えました。『世の中で欲望に満足する者は少なく、欲望を嫌って終命する者は少ない。世の中で欲望に満足して、欲望を嫌って終命する者は得難い。』と。」 仏は阿難に告げられた。「その通りだ。世の中で欲望に満足する者は少なく、欲望を嫌って終命する者は少ない。阿難、世の中で欲望に満足して、欲望を嫌って終命する者は得難い。阿難、しかし、欲望に満足せず、欲望を嫌悪せずに終命する者は非常に多い。 阿難、昔、頂生という名の王がいた、転輪王となって智慧があり聡明であった。四種の軍をもち、天下を治めていた。また、七つの宝をもっていた。その七つとは輪転、象、馬、宝珠、女、居士、兵隊この七つである。千人の王子がおり皆端正で勇敢でありよく民衆を統制していた。王は天下を統領するのに武力によってではなく、法をもって統治し、人々を安楽にさせた。 阿難、頂生王は後にこのような考えを起こした。『私はこの地上世界(閻浮提)のすべてを手に入れた。大富豪であり多くの人民をもっている。そして。千人の王子がいる。私のこの宮殿に七日間宝物の雨を降らし、宝が膝に至るまで集めよう。』と。 阿難、この頂生王は神通力をもっていたので、この心を起こして、七日間宮中に宝の雨を降らし、ついに膝に達した。阿難、頂生王はまた次のように考えた。『私は地上世界をもっている。大富豪で、七宝を備え、人民をもち、千人の王子がいる。宮中に宝の雨を七日間降らし、ついに膝に至った。 頂生王はいった『私は古人の言い伝えで西方に瞿陀尼(くだに)という世界があり、その世界は裕福な国で、多くの人民がいると聞いた。私は今から瞿陀尼洲へ行って統治しようと思う。』と。阿難、この頂生王は神通力があるので、空中を飛び、四種の軍隊とともに瞿陀尼洲に到着した。阿難、彼は数万年の間瞿陀尼洲に滞在し、瞿陀尼洲を統治した。 そしてまた次のように考えた。『私は今、閻浮洲を所有し瞿陀尼洲も所有することが出来た。私は古人の言い伝えに東方に弗婆碑陀提(ふつばびだだい)という世界があり、その世界は裕福な国で、多くの人民がいると聞いた。私は今から弗婆碑陀提へ行って統治しようと思う。』と。阿難、この頂生王は神通力があるので、空中を飛び、四種の軍隊とともに弗婆碑陀提に到着した。阿難、彼は数万年の間弗婆碑陀提に滞在し、弗婆碑陀提を統治した。 阿難、彼はまたこのように考えた。『私は今、閻浮洲を所有し瞿陀尼洲を所有し、弗婆碑陀提もすることが出来た。私は古人の言い伝えに北方に欝単曰(うつたんわつ)という世界があり、その世界は裕福な国で、多くの人民がいると聞いた。私は今から欝単曰へ行って統治しようと思う。』と。阿難、この頂生王は神通力があるので、空に乗じて四種の軍隊とともに欝単曰に到着した。 阿難、頂生王は遙か彼方の平地が白いのを見て、諸大臣にいった、真っ白な平地が見えるか。諸大臣は答えていった。見えます大王と。王はいった、お前たちは知っているかあれは欝単曰人の『自然の粳米』で、欝単曰の人の食物である。お前たちと一緒に食べてみよう。 阿難、また頂生王は美しい柵の裹に巨大な美しい樹が並んでいるのを見て、諸大臣に言った『お前たち、あの美しい樹が見えるか。』と。諸大臣はいった『見えます。大王』と。王はまたいった『この樹は衣樹といって、衣のなる樹である。欝単曰人はこの樹から衣を取り着ている。お前たちも衣を取って着てみなさい。』と。阿難、頂生王はこのようにして数万年の長い年月欝単曰に滞在し、欝単曰を統治した。 阿難、この頂生王は後にまたこのように考えた。私は閻浮提をもち、大富豪で多くの人民をもち、七宝と千人の王子がいる。宮中に七日間宝の雨を降らし宝は膝まで積もった。また、瞿陀尼洲、弗婆碑陀提洲、欝単日洲をもっている。 私は古人の言い伝えに三十三天という天界があると聞いた。私は今から行って、三十三天を見ようと思う。 阿難、この頂生王は神通力があるので、空中を飛び四種の軍隊とともに日光に向かって去っていった。阿難、この頂生王は三十三天中の須彌山の上に大雲のようなものを見て諸大臣に告げた『お前たち、あの大雲のようなものが見えるか。』諸大臣は答えていった『見えます。大王』と。王はまた言った『これは三十三天の晝度樹という樹である。三十三天の衆はこの樹下において、夏四月に娯楽を楽しんでいる。』と。 阿難、また、頂生王は遙かに三十三天の須彌山上の南側に大雲のようなものを見て、大臣たちに告げた『お前たち、あそこに大雲のようなものが見えるか。』と。諸大臣は答えて言った『見えます。大王』と。王はまた告げていった『あれは三十三天の正法の堂である。三十三天の衆はあの堂の中で、八日・十四日・十五日に天のため、人のために法を思考し、真理について思考している。』と。 阿難、こうして頂生王は三十三天に到着した。そしてその堂の中に入った。中には天帝釈がいて、頂生王に隣へ座るようにすすめた。頂生王はそこに座った。天帝釈と頂生王は光、色、形、礼節、衣服となんら変わることはなかったが、ただ目の輝きだけが違っていた。 阿難、この頂生王はまた次のように考えた。『私は閻浮提洲を支配下に置き、また瞿陀尼洲、弗鞍碑陀提洲、欝単白洲を支配下に置いた。そして、今三十三天の大集会を見ることが出来た。そして、法堂に入ることができ、天帝釈の隣に座ることができた。私と天帝釈とは少しも変わることなく、違っているのは目の輝きだけである。私は今、天帝釈を追い払いこの座を奪い取って天人の王となり、この世界を自在に統治しよう。』と。 阿難、頂生王がこの考えを起こした瞬間、神通力を失い、瞬時に閻浮提に移動し、瀕死の重病人になってしまった。そして、まさに命が終わろうとする時、大臣たちがいった『人民が大王が死ぬとき何か言い残しましたかと聞かれたら、何と答えるべきでしょうか』と。 そのとき頂生王はいった『もし人民に頂生王は何か言い残しましたかと聞かれたらこのように答えよ。頂生王は閻浮洲を得ても満足せずに命終り、頂生王は七寶を得ても満足せずに命終り、千の王子をいても満足せずに命終り、頂生王は七日間宝を降らしても満足せずに命終リ、頂生王は瞿陀尼洲を得ても満足せずに命終り、頂生王は弗鞍碑陀提洲を得ても満足せずに命終り、頂生王は欝単日洲を得ても満足せに命終り、頂生王は諸天の集會を見ても満足せずに命終り、頂生王は五欲の功徳(色聲香味触)を備えても満足せずして命終った。』と。 ここで世尊はうたにしていわれた。 『天の宝を降らしても欲望を持つ者は飽きることを知らない。欲望は苦であって楽ではない。智慧者はこのように知るべきである。金をこの大雪山のように積んだとしても足りるということはない。天の微妙なる五欲を得ても楽しまず、愛着を断じ、欲望に執着しなければ、等正覚の弟子である。』と。 また、世尊は告げられた『阿難、何を隠そう、この頂生王とは誰でもない過去世の私である。私はその時自分のため利益を求め、人のために利益を求め世間を憐れみ、天のため人のために義及び安楽を求めた。しかし、法を説いて究竟に至らず、清浄を究竟せず、梵行を究竟せずに終わった。その時には、生老病死・啼哭憂戚を離れず、一切の苦を離れることは出来なかった。 阿難、私は今如来になった。私は自ら利益し、また他を利益し、大勢の人を憐れみ利益し、天のため、人のために義と利益を求め安楽を求める。私は今法を説いて究竟に至り、清浄を究竟し、梵行を究竟するに至った。今私は生老病死・啼哭憂戚を離れ、一切の苦から脱することが出来た。』 これを聞いて、阿難と比丘たちは歓喜した。 仏陀の説いた「普遍的かつ客観的な事実」を記した経典より

関連するQ&A

  • 般若心経は間違い?

    スマナサーラさんの『般若心経は間違い?』という本を読みました。 彼が言うには、「色即是空、空即是色」という部分で、空は色の上位概念であり色即是空は正しいが、空即是色は正しくないというのです。例えば、「みかんは果物です。」は正しいけど、「果物はみかんです」は正しくないのと同じだと。もし、「色即是空、空即是色」が成り立つなら空=色となり、わざわざ別の単語を使う意味がないではないかと。 この経典の著者は空を正しく理解していないとのことです。 皆さんはどう思われますか? それから、この本とははなれますが、こんな説があります。サンスクリット語で書かれたこの経典の世界最古のものは7世紀の法隆寺のものです。カナダ人の学者が、この経典は中国人が作った偽経をあとの時代になってサンスクリット語に逆翻訳したものではないかと言っています。

  • 般若心経 の色即是空、空即是色を唱えた人は誰ですか

    般若心経 の色即是空、空即是色を唱えた人は誰ですか? 般若心経を書いたのは誰ですか? 色即是空、空即是色の意味はどう捉えていますか?

  • 般若心経と浄土教

      色即是空空即是色、この世の全ては無であり空であると説く般若心経。  易行易修、念ずることである、ただひたすら念ずれば救われると説く浄土真宗。 この2つ教えを一つの仏教として結び付け一つに統合したい。 どのように考えますか。    

  • 般若心経と末法思想

      色即是空空即是式、この世の全ては無であり空であると説く般若心経の教えは後の末法思想への基礎となったと考えて良いか。  

  • 密教と般若心経

    密教と般若心経は、どう違うのでしょうか?? 唱えるお経が違うのは知っていますが、まったく別なのでしょうか? 密教で有名なのは空海だと思いますが、般若心経の「空」との関連性はないのでしょうか(色即是空)? もしそうだとしたら、般若心経の開祖は誰でしょうか? ちなみに四国の八十八遍路は、空海ではないのでしょうか? かなり的外れな質問だったら、すみません・・。

  • 般若心経の「受・想・行・識亦復如是」の解釈

    「色不異空空不異色色即是空空即是色」という文に「受想行識亦復如是」と続きますが、なぜ「受想行識亦復如是」という文言が必要なのでしょうか?「受想行識」は「色」に含まれないのでしょうか?そもそも、「色不異空空不異色」という文言があれば「色即是空空即是色」は不要だと思うのですが、どうなのでしょうか?

  • 般若心経の疑問

    般若心経は、空というものを強調しているように思えますが、全てが空ならばこの般若心経も他の経典に書かれたことも、お釈迦様も舎利佛様も観音菩薩様も、「ぎゃーてい、ぎゃてい…」と唱えることも、全く意味がないような気がして、いったい何のためにと思います。まるで般若心経だけが色として成り立った上で、空の意味合いが存在しているみたいです。どうか、仏教にお詳しい方、また御僧侶お教えください。

  • 般若心経の意味

    なんですけど、 解説書もいろいろあり、どうやら誇大解釈が多すぎるような気がしました 誰かが解釈したそのままをほぼパクって常識的解釈になっていませんか?宇宙なんかを言われても、当時の人々に実際の宇宙がイメージできないですし おそらく世界旅行も出来ない時代に万物の法則ってごく狭い地域での法則特徴ぐらいだと思いますが? 色即是空、空即是色 原語でこれを聞いた当時の一般人はどうイメージしたのか?ぶっちゃた解説をおねがいします

  • 仏教の教えは唯一つ

      仏教は唯一つのことを説いているのではないか。 色即是空空即是色、この世のあらゆるものは空であり、無である。 仏教が説いているのは唯これだけであり、それ以外には何も語っていないのである。 色即是空空即是色、仏教においてはこれが全てであると思っております。 仏教はあの世のことなど何一つ語っていない。 極楽浄土のこと、地獄のこと、人が死んで成仏するとかしないとかのこと、六道輪廻のこと、戒名や戒名料のこと、お題目のこと・・・等々、これらについて仏教は何一つ語っていないのである。 仏教が説いているのは唯一つのこと、色即是空空即是色である。 この世のあらゆるものは空であり、無である。 あの世のあらゆるものもまた空であり、無である。 何故ならあの世はこの世が作り出したもの、あの世とはこの世のことだからである。 故に極楽浄土は空であり、地獄は無である。 これで良いのではないか、これで何の問題もないのではないか。 私はこれで十分であると考えます。 このように考えると極楽浄土も、地獄も、成仏も、戒名も、六道輪廻も、お題目も、・・・およそ坊主の考える一切が空であり無となるのではないか。    

  • 「浄土真宗と般若心経」のベストアンサーを読んで。

    「浄土真宗の教義に反します。」とありました。  教義に反すると、どうなるのですか? 私は大乗仏教の経典の中で、般若心経が一番ありがたいお経だと思っています。浄土真宗の門徒です。「般若心経を捨てろ。」と言う仏様には救って欲しくは無い。