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般若心経は間違った経典

kanjizagooの回答

回答No.41

 私は次のように聞きました。ある時、仏は勝林給孤独園(しょうりんぎゅうこどくおん)に滞在しておられた。その時、仏は鉢を持って、舎衛国の摩納(まのう)という人の家に乞食に行かれた。しかし、その時、摩納は留守であった。  摩納の家には一匹の白い犬がおり、床の上で金の器で餌を食べていた。その犬は仏が来るのを見てひどく吠えた。世尊は白犬に向かっていった「吠えるのをやめなさい。おまえは『叱る』から『吠える』に変わったのか」と。白犬はそれを聞いて大いに怒り、床から下に降りて茂みの中にかけ込み、すっかり元気をなくしてしまった。  やがて、摩納が帰って来て、白犬が木の茂みの中で元気をなくしているのを見て、家族の者に聞いた。「誰か犬に何かしたのか。」家族の者は「今日、沙門(しゃもん)の瞿曇(くどん)(釈迦の名前)が乞食に来た時、この犬が瞿曇に吠えたので、瞿曇は犬に『吠えるのをやめなさい。お前は叱るから吠えるに変わったのか。』と言っていた。それを聞いて犬は大いに怒り、床から降り、茂みに入って、茂みの中で元気をなくしているのです。」といった。摩納は家族の者の話を聞いて大いに怒り、世尊に文句を言おうと思って、仏のいる勝林給孤独園へ向かった。  その時、世尊は多くの弟子達に囲まれて法を説いていた。世尊は摩納の来るのを見て、弟子達にいった「お前たち、摩納の来るのが見えるかね」「見えます」世尊はいった「もし摩納が今、命が終わったら必ず悪い世界に至り、瞬時にして地獄の中に生まれるだろう。なぜなら今、彼は大いに怒っているからである。もし人が怒って命が終われば必ず悪い世界に行き、地獄の中に生まれる」  そこで摩納は怒って世尊に向かっていった「瞿曇、今日、わが家に乞食に来たか。」世尊は答えていった「私はあなたの家に行って乞食をした。」「その時、白犬に何を言って怒らせたのだ。犬は床から降りて茂みの中に入り元気をなくしてしまったではないか。」世尊は答えていった「私はあなたの家に乞食に行ったが、その時、白犬が私の来るのを見て吠えた。そこで私は白犬に言った『吠えるのをやめなさい。お前は叱るから吠えるに変わったのか』と。その時、犬は大いに怒り、床から降りて茂みの中に入り、元気をなくした」と。  摩納は世尊にいった「白犬の前世は何者だったのか。」世尊はいった「それを聞くのはやめなさい。もし、それを聞けば必ず私のいうことを信じなければならなくなるだろう。」それにもかかわらず、摩納は世尊に何度も尋ねた。世尊は摩納にいった「あなたは三度も私に尋ねて止めなかった。摩納、よく聞きなさい。あの白犬の前世はあなたの父親で、名前は都提(とだい)という」と。  摩納はそれを聞いてますます怒り、世尊にいった「私の父都提は生前に大いに布施を行った大祭司であった。寿命が終われば必ず梵天界に生まれているはずだ。それが何の因縁でこの下賎な犬の中に生まれるものか」  世尊はいった「あなたの父は増上慢の因縁によって、この下賎な犬に生まれたのである。増上慢の梵志(ぼんし)は命が終われば次の六つの中どれかに生まれる。鶏、犬、猪、山犬、ロバ及び地獄である。  摩納、もし私の言葉を信じられないのなら、家に帰って犬にいいなさい。『もし、前世が私の父ならば、白犬よ、床の上に上がりなさい』そういえば白犬は必ず床の上に上がるだろう。次に『もし、前世が私の父ならば白犬よ、金の器で餌を食べなさい』と。白犬は必ず金の器で食べるだろう。そして次に『もし、前世が私の父ならば、白犬よ、父が以前に言っていた金、銀、水晶などの財宝の所在を示してくれ。私は知らないから』と。摩納、白犬は必ずあなたの父が以前に言っていた金、銀、水晶などの財宝の場所を示すだろう。これはあなたも知らないことである」と。  仏の言葉を聞いた摩納は、早速家に帰り白犬にいった「もし前世で私の父ならば、白犬よ、床に上がりなさい」犬は床の上に上がった。「もし、前世が私の父ならば、白犬よ、また金の器で食べなさい」白犬は金の器で食べた。「もし、前世で私の父ならば、昔私に言っていた金、銀、水晶などの財宝の場所を示してほしい。私は知らないから」白犬は床から降り、前世にいた場所に行って、口や足で床の下を掘った。 摩納はそこから財宝を手に入れることが出来た。  摩納は大いに歓喜し、地面に座って手を勝林給孤独園に向け、三度、世尊を賛嘆した。「沙門瞿曇(しゃもんくどん)のいうことは本当であった。沙門瞿曇のいうことは真実である。」そうして、勝林給孤独園に向かった。  その時世尊は大勢の大衆に囲まれて法を説いていた。世尊は遥かに摩納の来るのを見て、弟子達に告げた「諸君、摩納が来るのが見えるかね。」「見えます。」世尊はいった「今、摩納の命が終わったら瞬時にして善い世界に至り、天中に生まれるだろう。なぜなら、彼は今極めて私に善意の心を持っている。もし人々がいて善心を持って命が終われば、必ず善い世界に至り、天中に生まれる」  その時、摩納は仏にお伺いを立て近くに座った。  世尊は摩納にいった「どうだね、摩納、私のいった通りになったかね」摩納はいった「瞿曇、実におっしゃった通りでした。そこで、もう少し伺いたいことがあります。答えて頂けるでしょうか」世尊はいった「何でも聞きなさい」  「瞿曇、どういう因縁で衆生は人間に生まれて、上下や美醜があるのですか。世の中には長寿の人短命の人、器量の好い人悪い人、威厳や徳の高い人、威厳や徳の低い人、尊貴の人下賎の人、裕福な人貧乏な人、悪智慧のある人、善智の人がいますが。瞿曇、どうか私のために解りやすく説いて下さい」  世尊は告げられた「摩納、よく聞いて、よく考えなさい。あなたのために解りやすく説明しよう。」「お願いします。教えをしっかり聞きます。」  仏は言った「摩納、 1、短命の因縁は何か。 人がいて殺生し、極悪非道で、害意を持っており、人から昆虫に至るまでに対し、少しの慈悲心も持たない。こういう人は命が終わった時、必ず悪い世界に至り、地獄に生まれる。もし人間に生まれても非常に短命である。これが短命の業報である。 2、病気の因縁は何か。 人がいて拳(こぶし)、木、石あるいは刀や杖によって害する。こういう人は命が終われば必ず悪い世界に至り、地獄に生まれる。もし人間に生まれても病気が多い。これが病気の業報である。 3、人の美醜の因縁は何か。 性質が性急で悩みが多く、彼は人の話を少し聞いては大いに怒り、嫉妬して憂いを生じ、言い争いを生じる。こんな人の命が終われば、彼は必ず悪い世界に至り、地獄の中に生まれる。人間に生まれても醜い。これが美醜の業報である。 4、威厳や徳の因縁は何か。 内に嫉妬を懐き、他人が何かを得ると嫉妬を起こし、人の物を見れば自分の物にしたいと思う。こんな人の命が終われば必ず悪い世界に至り、地獄に生まれる。人間に生まれても、威厳や徳はない。これが威厳や徳のない業報である。 5、卑賎の族の因縁は何か。 高慢で敬うべき人を敬わず、重んずべき人を重んぜず、貴ぶべき人を貴ばず、仕えるべき人に仕えず、供養すべき人を供養せず、礼拝すべき人を礼拝せず。こういう人の命が終わった時、悪い世界に至り、地獄に生まれる。もし人間に生まれても、卑賎の族の中に生まれる。これが卑賎の業報である。 6、財産の因縁は何か。 施主とならず、人に施さず、沙門、梵志、貧乏人、孤独者、旅の者、乞食などに飲み物、食べ物、屋舎、床、灯明、給仕などを与えない。こういう人は命が終わる時、悪い世界に至り、地獄に生まれる。もし人間に生まれても財産を持つことが出来ない。 7、悪知識の因縁は何か。 妙徳の沙門や梵志がいても、彼らの所へ行って、真理を聞かないからである『何が善で、何が悪なのか、何に罪があって、何に罪がないのか、誰が善くて誰が悪いのか、どれが白でどれが黒か、白黒は何によって決まるのか。どういうことが現世の報いで、どういうことが後世の報いとなるのか。』と。これが悪知識の業報である。」  これを聞いた摩納は「解りました。有り難うございます。私を在家の弟子にして下さい。一生涯奉仕します。」といって喜んだ。  阿含経より(要約)

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