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般若心経の疑問

般若心経は、空というものを強調しているように思えますが、全てが空ならばこの般若心経も他の経典に書かれたことも、お釈迦様も舎利佛様も観音菩薩様も、「ぎゃーてい、ぎゃてい…」と唱えることも、全く意味がないような気がして、いったい何のためにと思います。まるで般若心経だけが色として成り立った上で、空の意味合いが存在しているみたいです。どうか、仏教にお詳しい方、また御僧侶お教えください。

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  • satol2012
  • ベストアンサー率23% (3/13)
回答No.5

空は、この世界が仮の世界である事を説明するための、表現です。つまりこの世界は、虚像の世界なので、空です。高次元に実像の世界があり、そこから、投影された影の世界なので、空です。また、脳を自我を休めて頭を空にすると、宇宙の心と交流する事が出来きて、悟る事ができます。だから悟りの表現として、座禅の要領としての、空もあります。時間が、速くなっていると感じる人が、多くなってます。止まる前触れだと言われています。時間が止まり、この仮の世界が終わるのが、アセンションです。この世界は、仮の世界なので、シュミレーションです。この世界の外に本当の世界が、あります。この世界は仮の世界です。だから始めと終わりがあります。始めから終わりまでが時間です。本当の世界は永遠なので時間はありません。これはアインシュタインの相対性理論や仏教哲学で証明されています。マヤ暦では2012年だと言われています。宇宙の太極は、完全調和の世界です。調和の世界が、成長拡大するためには、まわりの周辺部の、不完全、不調和を、調和に変換する必要があります。そこで変換する場所として、仮の世界の地球が創られました。ここで不調和世界の脳と、調和世界の自然の心である神が、出会う事になりました。そこへ調和の世界から、宗教で言う神の子の無我が来て、不調和世界の脳の自我と、合体して、人が誕生しました。だから人の心は、自我と無我が合体して出来ています。最初の頃は、無我が強く自我が小さいので、神の超能力がありました。だから神と人の合いの子である、神人と呼ばれていました。アトランチス古代文明頃までいました。神人がピラミッドを創りました。現代は、人は、自我が強く無我が小さいので、神の超能力はありません。そして人は、脳が自我が自分だと勘違いをしています。人は本当は、無我の神の子です。しかしいよいよ仮の世界が、終わる時が来ました。終わると、仕切り直しになるので、人の心は、脳の自我と、神の無我が、解体されて、それぞれ元の世界へ帰ります。脳の自我は、不調和世界の脳の世界へ、神の無我は、完全調和世界の神の世界へ帰ります。人は、神の子だから神の世界へ帰ります。

その他の回答 (4)

  • henmiguei
  • ベストアンサー率45% (1764/3870)
回答No.4

佛教家でも何でもありません 学生時代に研究室(工学系)で話した事が 少しでも貴方の御考えの参考にでもなればと思います 空=無=0 即ち宇宙の成り立ちは0から生まれた 0(空=無)からビッグバンが起こり現在の地球含む宇宙が出来た この宇宙もやがて膨張するだけ膨張してやがては他の者に変わるかもしれない また、消滅(空=無=0)してビッグバン以前の宇宙の種になるかもしれない 他の方も言われている様に「永遠に同じものではない、空=変遷の可能性が有る」 この様な話を教授とした事を思い出しました 拙い意見ですが御参考になればと思い解答いたしました。

donkey_200
質問者

お礼

ありがとうがざいます。仏教の話によく宇宙がでますが、俗に言う宇宙のことかはわかりません。私の宇宙は、「宇宙戦艦ヤマト」や「UFO」、「天体」などの宇宙ですが、ご説明の内容から、仏教のいう宇宙につながるような気もします。

回答No.3

般若心経の「空」というのは、「永遠に続くものではない」という意味です。 この世に永遠に続くものは何一つとしてない、という事を言っています。 たとえばある犬がいるとします。この犬は今は若いですが、やがて年老いて老化し、最後には 死んで土になります。 若い犬・年老いた犬・灰になった犬のうち実体として後に永遠に残ったものはあるでしょうか? ひとつもありません。犬はずっと若い時のままでもなく、ずっと年寄りのままでもなく、ずっと土のままでもありません。不老不死の犬はおらず、時間の経過による影響を受けないものはこの世に何ひとつとしてないのです。 だから「色即是空」すなわち「色」(かたちあるもの)=「空」(いつかは変転するもの)なのです。 しかし、現時点での犬という実体が目の前にあることはこれもまた疑いようがありません。 ですから「空」(いつかは変転する)もすなわち「色」(今は存在している)なのです。 「色即是空空即是色」となります。色の状態と空の状態は表裏一体、という意味です。 それと同時に、中間部分では、今度は意識や想念の話をしています。 先ほどの犬は、ご飯を貰った時は嬉しく、お留守番している時は寂しかったかもしれませんが、 それも、飼い主が帰ってくればまた嬉しくなり、また出かけたら寂しくなるかもしれません。可愛いメス犬がいたらまた嬉しくなるかもしれません。よって 感情も、永遠に続くものではないのです だからこの世の物質や、またもろもろの感情にとらわれることは愚かしい。全て永遠に続くものではないのだから。 となります。永遠に続くものが何ひとつない世界に生まれた、悲しい生き物が人間なのだ。それなのに、世の中のひとびとは、いつかは滅びるにすぎないもの(財産・物質・感情)に振り回される。それこそがありとあらゆる苦しみを引き起こす仕掛けなのに。どうしたら人々に真実を見せられるだろうか、助けられるだろうか、とブッダは考えました。それで表面的な物事を越えてモノを見る目を獲得する、これこそが唯一、値打ちのあることだ、そしてそれが仏道だ、と考えたのです。 仏教の専門家ではないです。最後のほうは自分の解釈になってしまいますが、ご参考になればと思います

donkey_200
質問者

お礼

ありがとうございます。何か当たり前のことですが、されど般若心経。難しいです。

回答No.2

般若心経の「空」というのは、永遠に残るものではない、という意味です。

donkey_200
質問者

お礼

ありがとうございます。空の解釈を間違っていました。

  • yuyuyunn
  • ベストアンサー率41% (20359/48651)
回答No.1

こんばんは 私が聞いたことがあるのは こだわりのない 偏らない広い心というのを現していると聞いたことがありますよ それがすなわち空(くう)であると

donkey_200
質問者

お礼

ありがとうございます。解釈が間違っていたようです。

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