- ベストアンサー
- 困ってます
般若心経の意味 般若波羅蜜多について
般若心経の最初に 仏説摩訶般若波羅蜜多心経 観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 ・・・ とつづきますが ここで 観自在菩薩は菩薩のお名前でいいのでしょうか 次は般若波羅蜜多を深く行じていたときに という意味でしょうか ここで質問です 般若波羅蜜多というのはどのような行なのでしょうか 般若心経にはそのことがなにも書かれていないようですが

- 哲学・倫理・宗教学
- 回答数6
- ありがとう数12
- みんなの回答 (6)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
- ベストアンサー
- 回答No.6
- yuhkoh
- ベストアンサー率48% (350/723)
「般若波羅蜜多」はあえて訳せば「悟りの世界に至る智慧(瞑想による根源的なる力)」となるでしょうが、ここでは般若波羅蜜多は般若波羅蜜多という固有名詞と考えてもいいでしょう。 次に「心」ですが、これはサンスクリット語でフリダヤ。心臓を意味しますが、そこから「(生命の)中核」、それは同時に真言(咒)を意味します。旧訳の般若心経では『般若波羅蜜神咒』『般若波羅蜜大明咒経』など、フリダヤの部分ははっきりと咒であると説かれます(現存する最古のサンスクリット語の心経でも「以上が般若波羅蜜のフリダヤ(咒)である」と締めくくられます)。 弘法大師による心経論『般若心経秘鍵』では観自在菩薩を「諸乗の行人」の意味と説きます。つまり「諸々の大乗仏教の修行者」という意味です。つまり礼拝対象の観音菩薩という意味にとどまらず、「観」は瞑想の意味であるから瞑想自在なる修行者。 その瞑想とは「ギャテイ ギャテイ・・・」の般若波羅蜜多の咒を唱えるという修行です。その修行の結果として「五蘊皆空」という境地に達した故に「一切の苦厄を度した」。この苦厄を度する力が「ギャテイの咒」にあるからこそ心経は信仰されてきたのです(ちまたにあふれる心経解説書は“こだわりを捨てる心”などと説き、咒を付け足しぐらいに紹介していますが、それは心経成立の歴史を知らない不完全なものです)。 『般若心経秘鍵』では「大般若波羅蜜多心経と者(いっぱ)、即ち是れ大般若菩薩の大心真言三摩地法門なり」と的確に説きます。般若菩薩とは般若波羅蜜そのものを尊格化した菩薩ですから、現代訳すれば“般若心経とは偉大なる般若波羅蜜多の大心真言による、深い禅定(瞑想)に入るための教えである”。ですから「観自在菩薩」から「咒即説咒曰」までがギャテイの咒の偉大さを説くものです。 また羅什訳『仏説摩訶般若波羅蜜多心経』、義浄訳『般若波羅蜜多心経』には末尾に「此の経を誦せば十悪五逆九十五種邪道を破す。若し十方の諸仏を供養し、十方の諸仏の恩を報ぜんと欲せば、当に観世音の般若を誦すること百遍、千遍にすべし。無間の昼夜に、常に此の経を誦せば、願ひとして果さ不といふこと無し」と読経と真言念誦の功徳を説きます。「観世音の般若」とはギャテイの咒のことですから、的確に真言念誦による瞑想を説いています。 ですから般若波羅蜜の瞑想を行う者、自身がそれを行えば自分自身が観自在菩薩に成ることも意味します。 より詳しくは『般若心経秘鍵入門』(村岡空著:大覚寺出版部)を参照ください。 http://www.sagagoryu.gr.jp/shop/hiken01.html
その他の回答 (5)
- 回答No.5
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
私の覚えた時は、 「観自在菩薩」は、 「世の中を自在な目で見る(観る)ことのできる菩薩」というように覚えました。 「行深般若波羅蜜多時」は、ご質問者さんと同じように、 「【般若波羅蜜多】を深く行じていた時」と覚えています。 「般若」は『知恵』。 「波羅蜜多」は『彼岸(悟りの世界)に至る』。 つまり、『知恵によって悟りの世界に至る』という意味らしいです。
質問者からのお礼
ありがとうございました
- 回答No.4
- mmky
- ベストアンサー率28% (681/2420)
参考まで 般若心経にある観自在菩薩というのは、人の名前ではなく観自在になった状態の菩薩のことでしょうね。菩薩界の最上段(如来界の最下段)の状態ということでしょうね。 観自在の状態まで悟りが進むと、いろいろなものの本質がみえてくるということを、釈尊が舎利に話した内容のように思いますね。だから物事の本質が般若心経に書かれているように体感できれば、観自在菩薩の状態にあるといえるのでしょうね。
質問者からのお礼
ありがとうございました
- 回答No.3
- avalokita
- ベストアンサー率17% (20/114)
>観自在菩薩は菩薩のお名前でいいのでしょうか そうです。大乗仏教の在家の若者です。 >を深く行じていたとき 般若波羅蜜多の瞑想をしたということ、その方法を書いてあるのが般若心経のいみです。つまり瞑想の指南書だということ。 http://www.mikkyo21f.gr.jp/hannya_honto/concept_hannya.html
質問者からのお礼
ありがとうございました URL参考になりました
- 回答No.2
- avalokita
- ベストアンサー率17% (20/114)
>観自在菩薩は菩薩のお名前でいいのでしょうか そうです。大乗仏教の在家の若者です。 >を深く行じていたとき 般若波羅蜜多の瞑想をしたということ、その方法がかいてあるのが般若心経のいみです。 ラストにある真言を唱えることですが、詳しくは下記をお読みください。 http://www.mikkyo21f.gr.jp/hannya_honto/concept_hannya.html
質問者からのお礼
>ラストにある真言を唱えることですが URL参考になりました ありがとうございました
- 回答No.1
- zorro
- ベストアンサー率25% (12261/49027)
質問者からのお礼
ありがとうございます URLの中に >お釈迦様は深い悟りの瞑想に入られました。その時、観音さま(観自在菩薩)は深淵な“完全なる智慧(般若波羅蜜多)”の修行をされて次のように とありますが 「深淵な“完全なる智慧(般若波羅蜜多)”の修行」というのはどういった修行なのでしょうね 座禅とかでしょうか
関連するQ&A
- 写経(仏説摩か般若波羅蜜多心経)について
「般若波羅蜜多心経」「摩か般若波羅蜜多心経」「仏説摩か般若波羅蜜多心経」のどれを書き出しに使うのでしょうか。また、その違いを教えて下さい。
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
- 般若心経について
「600巻に達する”大般若波羅蜜多経”をいろいろな高僧がまとめた(訳した)。なかでも一番有名なのが玄奘三蔵の”仏説摩訶般若波羅蜜多心経(いわゆる般若心経)”である」というところまではインターネットで調べられました。 が、以下の2点について調べ切れませんでした。ご存知の方がいらっしゃいましたら教えてください。 1.一般にいう「538年 仏教伝来」の際には玄奘三蔵は生まれていないが、他の高僧が訳した「大般若波羅蜜多経」はその際に伝わってきたのか 2.玄奘三蔵の「般若心経」が日本に伝わってきたのはいつ頃か よろしくお願いします。
- ベストアンサー
- その他(カルチャー)
- 般若心経
般若波羅蜜多の教えの最後として、次の真言を授けて終わります。」 そう言われて、次の真言を説かれた。 ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼじ そわか 「次の真言を説かれた」・・・説いた主体は、 観自在菩薩さまですね。 愚問ですが、よろしくお願いします。
- ベストアンサー
- その他(生活・暮らし)
- 漢文の読み方について 教えてください
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時、照見五蘊皆空、度一切苦厄。 般若心経の最初の一文ですが、「観自在菩薩」が主語となるのか、それとも「観自在菩薩よ」と呼びかけているのか。 呼びかけているのなら、「行深、照見、度」をしたのは他者(釈迦?)となりますね。 漢文の慣習的な読み方としては、どのように読むのでしょうか。 よろしくご教示ください。
- ベストアンサー
- 中国語
- 般若心経を唱えてしまった!!
般若心経は一般の方が唱えることはお控えください。というのも、般若心経の霊力は亡くなった霊には無条件で大慈大悲を与える功徳があります。これはこの般若心経の言霊(ことたま=言葉そのものが霊力を持っている)が霊にとっては非常に暖かく明るい光明に見えるのでどんな霊も唱えている人のところへ集まってきます。どんな霊もくるので必ずしもいい霊ばかりとは限りません。般若心経は他の真言と合わせて使わないと無防備で非常に危険なのです 単に般若心経を唱えれば質問者さんにはまったく関係のないその辺にいる霊がどんどんやってきてしまいます。あまりいい死に方をせずに成仏しないで浮遊している霊達が「もっと唱えてくれ~」と次から次へとやってくるのです。唱えるのをやめても霊達はまた般若心経を聞きたくてその場にとどまってしまいます。 ですから一般の方が般若心経を唱えるのは本当は怖いことなのです。防御系に強い菩薩の真言を奏上してその後内観という心の内を澄み切った愛情で満たしたうえでかくなる方法にて般若心経を唱えなくては霊にとってはまったく意味がございません。逆に霊を迷わす原因となります。 上のような文章をみて、どうしたらいいかこまっています。 まったくの素人です。般若心経をとなえてしまいました。しかも実家は浄土真宗なのに。。きいているあいだ、なんだか体がぐらぐらしました。 パソコンから、お坊さんがとなえたものも、聞いました。どうしたらいいでしょうか。こわいです。心を落ち着かせるために、写経をしようとおもっていたのですが、やめたほうがいいでしょうか。。アドバイスください。般若心経は邪を払ってくれると聞いたのですが、悪い霊をよびよせないで、安全な唱え方などはないですか。
- ベストアンサー
- その他(占い・超常現象)
- 般若心経の読み方について
法事でいくとたいてい般若心経を読まれるのですが、 いつも読み方について疑問に思っていることが2、3あるのでお聞きします。 1 冒頭の観自在菩薩のところで菩薩の読みでボサツとふりがながふってあるのですが どなたもボーサーと呼んでいるようですが、ここは伸ばすところなのでしょうか。 2 空不異色 色即是空のところでクーフーイーシキ シキソクゼークウと読む方と クーフーイーで切って、その後シキシキソクゼークウと読まれる方がいます。 普通に考えれば前者の方が正しいのでしょうが、後者の読み方はなんなのでしょう? 変なところで切る方は他にも変なところで切る傾向があるようで偶然ということもなさそうです。 退屈紛れに聞いていて、気になり出すとなぜか気になってしまいました。 宗派の違いとかあるのでしょうか。それとも単なる個人的な考えなんでしょうか。 下らないことかもしれませんが、よろしくお願いします。
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
- 般若心経の効用について
般若心経の効用について 実父の位牌を仏壇に安置し、毎日、お線香とともに般若心経を唱えています。 先日、般若心経の解説書に、「般若心経は般若菩薩の心を語るお経」と記載されておりました。 ということは、現在、生きている人々を対象のお経なのでしょうか? また、般若心経を毎日唱えても、実父の供養にはならないのでしょうか? 先日来から、疑問に思っております。 ご教示お願いします。 ちなみに、曹洞宗です。
- ベストアンサー
- マナー・冠婚葬祭
質問者からのお礼
じゅんじゅんとお説きくださいまして すこし判ってきたように思います 当地の図書館に 村岡 空著 般若心経入門 1989.6 があるようなので おすすめの著書とは別でしょうが 同じ著者なので、中をのぞいて見ます たいへんありがとうございました