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般若心経は間違った経典

aoumigameの回答

回答No.29

23、25、27のaoumigameです。  仏教はブッダの教えです。ブッダの教えは正しく、あとから改良できるわけもないのだから、動かすべきではないというのがテーラワーダの立場です。誰が書いたかわからない後世のものを拠りどころにすべきではない、という立場です。  空を語りすぎると、空でなくなります。空を哲学にしてしまう観念的な態度は、釈尊の説かれた仏教とかけ離れています。ですから初期仏教において、空は実践すべきものです。  「空性=中道=不生不滅の縁起」は、どのように実践するのですか?  般若心経の写経ですか? 詠唱ですか?  それは仏説ではないでしょう。  仏教を実践するには、八正道の実践が欠かせません。  悟るには、ヴィパッサナーの実践しかありません。  ですから「五蘊皆空」と見極めて悟りを開くというなら、次のように観るべきです。  「肉体には実体がない」「感覚には実体がない」「概念には実体がない」「衝動には実体がない」「認識には実体がない」  これで一切の執着を絶ち、「なんだ、無我じゃないか」とわかれば悟りです。そういう冥想の実践です。それが釈尊の教えです。  ですから「色即是空」はよいのですが、「空即是色」はダメなのです。そのように冥想指導のプロ中のプロがおっしゃっているのです。  釈尊が「このようにして悟りなさい」と残してくださったのが仏教です。それを見失って、「大乗仏教は、全知者たる釈尊の教えをさらに深めているのです」というのは、成り立ちません。  悟りは難しいかもしれませんが不可能ではないし、八正道の過程において確実に幸福になります。それは誰でもすぐに実感できるのです。ぜんぜん難しくありません。その教えは、きちんと伝えるべきです。  もっとも釈尊の教えに近いテーラワーダ仏教の長老が、釈尊の教えを、仏教を伝えてくださっているのです。仏教徒なら我見を捨てて、「なるほど、そうでしたか!」と楽しく聞けばよろしいのでは? 釈尊の教えに触れられるのは、もう二度とないほどの幸運なのですから。  お幸せでありますように。

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