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般若心経は間違った経典

les-minの回答

  • les-min
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回答No.19

#4です。  本屋さんで見かけたので、ご質問文にある書籍を読んでみたのですが・・・既にとても詳細なご回答が挙がっていて圧倒されてしまいました。(勉強させていただきました。)  自分の自己満足もいいとこですけど、個人的な心証としての「読む前」「読んだ後」だけ記させてください。  全般の印象は、前回の投稿と変わらず、当然ながら「どこまでも上座部系の人」だ、という感じでしょうか。  前回記した「色即是空・空即是色」は「同義反復」という考えが明確に「誤り」とされているのですが、これはどこまでも平行線になりそうだな、と感じました。  前掲の立川武蔵氏の著作では、インドでは、大乗仏教内でも空即是色は色即是空の反復とは捉え難く、何がしか引っかかったようであまり積極的に触れられていないとされています。(上座部系仏教ではなおさらだろうと思います。)  ただ、空思想を扱う経典や龍樹の思想、またその流れを汲む「中観派」では「空性(=真如・真理)を自性とする」という言い回しがあり、「A=B」「B=A」の反復が成り立つ思想が見られます。  長老は、心経の製作者を実践が足りないとしますが、空観は常に実践論とセットで語られてきたもので、決して哲学思想ではないという点はどう捉えているのかな、と思います。龍樹にしても中観派の論師たちにしても、常に実践(菩薩道)を説いていました。  また、既に#18の方が詳しくご回答されていますが、空思想というものは、そもそも「有的」な実有論を説いていた上座部系部派を張り倒すハリセンとして用意されたものなので、その経緯に触れずに上座部のお坊さんが空思想を自らの専売特許の如く語り、大乗や龍樹を批判するというのは、(かつて大乗が、上座部系部派を小乗と蔑称したことを差し引いても)えらく随分じゃないか??と思いました。(「どっちもどっち」かもしれないけど・・・)  同じことは唯識批判にも言えて、大乗の唯識思想のベースには上座部系部派のアビダルマが強く影響しているので、上座部は唯識を実在論だと批判できるのか??と思うのですけど。  その他、釈然としないなと思う部分はありますが、共鳴できる部分もあります。(自分は軸足は大乗仏教の方に置いていますが、ガチガチの至上主義者ではないつもりなので。)  お釈迦さまがすべてを語っているというのは、その通りだと思いますし、大乗仏教が何も新しいことを打ち出したわけでない、というものそうだと思います。  当たり前の話、そうでなければ大乗仏教も含め仏教は成り立たないからです。お釈迦さまの説いた教えに「普遍の真理」を観たからこそ、上座部では常にお釈迦さまを通してという形で法(真理)を捉え、大乗では法の普遍性と方便の有効性を確信して飛躍したというわけで、決定的に異なるのはこの点だけだと思っています。  上座部系の方はどう思うか知らないですし、大乗も(とくに日本では)問題ないわけではないですが、基本的にお釈迦さまの説かれたことから離れたわけでも、逸脱したわけでもないと思います。  今さら(しかも上座部側から)2000年前と同じような話しを蒸し返してどうしたいのかな?と思いましたが、読み物としては面白かったです。  自分にはどちらがどうだか善し悪しは判断できませんし、長らくお釈迦さまの教えに忠実であろうとした上座部系仏教にも敬意をはらいたいとは思います。けれどそれは結局「大乗仏教徒が不満だった仏教」なのだな、ということを改めて感じました。  読後、長老のおっしゃることを含めてみても、やはり「色即是空・空即是色」は同義反復だという考えは変わりませんでした。  たびたびに失礼しました。ごめんなさい。    

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