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第一次大戦中のフランス文化活動

第一次大戦はフランスにとって一大事の歴史でした。それこそ国が滅びかねない、成人男子の2割くらい戦傷死する(170万戦死)とかいうとんでもない事態だったわけですが、文化活動はどうも衰えなかったような印象を受けました。絵画建築音楽文芸さまざまいろいろやっているし、そういう文化人の活動は戦争どこ吹く風だったようです。 この国風というか余裕はいったい何なのでしょうか?フランス人というのはとんでもないやつらなのでしょうか?戦争映画も結構余裕チックアイロニーに描いてますし(日本のものとは対極)

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  • DieMeute
  • ベストアンサー率70% (571/807)
回答No.3

19世紀末から1914年の第一次世界大戦勃発までの、文化、芸術が興隆した時代をベル・エポック(良き時代)と呼びます。 そして戦争が終了した1920年から始まった文化、芸術の興隆をレ・ザネ・フォル(狂乱の時代)と呼びます。 このように、フランスの芸術、文化史は、第一次世界大戦で、一旦区切りが付けられています。それはこの戦争の期間、ある程度、芸術・文化活動が制約を受けたり、若い芸術家が兵士として戦地に赴いたからです。 例えばガラス細工で有名なガレの工房や、ドーム兄弟の工房は戦争により操業が停止され、再開されたのは戦争が終わってからでした。 画家のフェルナン・レジェやラウル・デュフィ、作曲家のモーリス・ラヴェルやジャック・イーベルは従軍しています。彼らは無事、生きて帰り、後に芸術活動に復帰しましたが、実は、この第一次世界大戦に兵士として参加した世代で、後に芸術家として名を成した人物は少数であり、多くの芸術家達の卵達が戦死し、失われてしまったと言われています。 戦争中、フランスの文化活動を担っていたのは、ベル・エポックから活躍していた芸術家達が殆どであり、年齢的に兵士になれない中高年層が殆どでした。 画家のピエール・オーギュスト・ルノワールやエドガー・ドガ、クロード・モネ、オディロン・ルドンは70代です。アンリ・ルソー、フェルナン・コルモン、エミール・シェフネッケル、ラファエル・コランらは60代であり、他の画家達も殆どが40代、50代です。 エッフェル塔の立案者のモーリス・ケクランや橋梁技術者でミラボー橋を作ったジャン・レサルらは50代でした。 彼らは年齢的にも肉体的にも、もはや芸術活動をする以外の術を持ち合わせてはいなかったのです。 また戦争中の絵画や文芸の活動・作品についても戦争と無関係のものばかりでもありませんでした。芸術と愛国心を一体化して表現しているものが結構あります。画家のアンシは戦争画家と言われたように、愛国心からフランス軍を賛美する作品を描いています。 また、フランス政府が、画家達に愛国心と戦意高揚の為の絵を描かせてもいました。 「ル・モ」という文芸雑誌でジャン・コクトーが発表した作品はゲルマン人(ドイツ人)に対するガリア人(フランス人)の美徳を書いたものでした。 戦争中のフランスの芸術家達の作品は戦争とは全く無関係の作品ばかりでもなかったのです。

noname#41852
質問者

お礼

とても詳しいご解説ありがとうございます。やはり地質時代を分ける指標のように、大戦というのは歴史的断絶として認識されているようですね。対戦中にも活躍していたのは、ご老体のみということ、しかしこの文化は否定しないというのはさすがですね。国威高揚文化っていうのもあったんですね。

その他の回答 (2)

  • bossnass
  • ベストアンサー率44% (176/394)
回答No.2

なぜ、人的大損害を受けた時代に絵画建築音楽文芸は衰えを見せなか ったのか? やはり、西欧独特の階級社会という制度が関係しているのでしょう。 戦場で際限なく殺されるのは、やはり階級社会の下の方からです。 貴族・上流・富裕階級出身は、将校以外基本的に出征しません。 将校だって、戦場の後ろでふんぞりかえっているだけです。 文化活動を行うのは、平時でも貴族・上流・富裕階級の者たち。 彼らと、彼らの庇護を受けて徴兵されない作家たちです。 技術者も、高い教育を受けられたのは、やはり上流・富裕階級者でした から。兵役にはつかないです。 だから、戦争中でも高水準の文化活動が行えたのでしょうね。 1912年のタイタニック沈没でも、死者の多くは2等船室以下の階級 が下の人たちであることを見ても、当時の状況が想像できます。 そのせいか、さすがに戦場で兵士たちは敵よりも上層部への不満が 爆発し、幾度か反乱が起きているようですね。 敵側のドイツでも状況は同じ。 イギリス軍の戦車に、生身で突撃させられたのは、やはり階級が下 のひとたちでした。 ドイツは、他にも裕福なユダヤ人は戦場に出るのを金で免除されて いたと信じられており、これが戦後のユダヤ人迫害の一要素になって います。 フランス映画が、戦争を「余裕チックアイロニーに描いて」いるのは この純然たる階級社会に対する風刺が込められているんでしょうね。 「戦争なんて、上の連中の娯楽。所詮自分たちは捨て駒」という 厭世観が強いのでしょう。 かといって、階級闘争をする気にはなれないし、すでに何度となく やってますが、結果的に階級差はなくならない。 その理由は、階級が下の人間たちにも原因があることを知っている から余計シニカルに笑いにするしかないのでしょう。 敗戦で、英仏に比べ階級差が縮まったドイツでは、ナチスが勃興し フランスを破ります。 戦後も経済的にフランスを圧倒してますね。 21世紀は、同じく共産主義により階級差が無くなった東欧やロシア そしてドイツにフランスは飲み込まれていくでしょう。 実は、これが「自らの中華思想」にしがみつくフランス人が最も 恐れることなんでしょうね。

noname#41852
質問者

お礼

日本よりも、階級社会の徹底さというものがあるのでしょう。それが文化を停滞させなかったというよい面にも持っていくことができるのですね。

  • hirosi3
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回答No.1

 フランスでは第1次世界大戦が始まった1914年の人口4千万人のうち850万人が動員され、139万人が死に、74万人が不具となった。大戦中徴兵年齢に達した世代では男子の半数以上が大戦で生命を失ったとされる。フランスにとって大戦は勝利したとはいえ幻滅以外の何ものでもなかった。  これがフランスでの状況。この頃世界では、1918(大正7)年3月頃、大戦の最中にあったアメリカ軍の兵営で発生したのが、通称スペイン風邪と呼ばれるパンデミー(世界的規模でひろがる感染症)であった。 発生するとすぐに、西部戦線の両軍兵士の間で蔓延した。この風邪がインフルエンザであることは明らかだが、非常に症状が重かったことが特色で、全世界で2,000万人から6,000万人が死亡した。ちなみに当時の世界総人口は12億人にすぎない。アメリカでは約85万人が死亡した。わが国でのスペイン風邪の感染者は2,380万人で、当時の全人口の3分の1に達し、死者も38万人にのぼり、東京の火葬場では遺体を焼ききれないところも出たと言われている。  つまり第1次世界大戦は、フランスだけでなく世界中に大きな傷跡を残した。それにも拘わらず、大戦間の文化活動はフランスだけでなくドイツでも素晴らしい成果を上げた。とくに物理学の分野での量子力学の発展は素晴らしいものだった。  フランスもドイツも、ピカソやカザルスのスペインも、この時代のヨーロッパ文化にはとてつもない大きな魅力を感じます。

noname#41852
質問者

お礼

やはり、底力の文化力はすごいんでしょうかね。本当に大変な悲劇、まさに世界悲劇の歴史でしたね。最後に対戦中よりも人命が失われたスペイン風邪が襲ったというのも、本当に大変なことでした。

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