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難太平記
難太平記は太平記とどういう関係があるのでしょうか?「難しく」なっている、という意味ではありませんよね?
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「難太平記」とは、今川了俊が書いた書物です。 内容は、「太平記」の欠点や間違いを「批難」するためにかかれたものであり、これにより「難 太平記」と言う書名がついたものです。元々は書名がついていなかったものであるが、後から付けられたものです。 「太平記」は一般に言われているように、読み物として書かれているため、事実関係に間違いがあったり、南朝を持ち上げる内容であるため、足利家あるいは北朝側から見ると、修正意見を書かねばならないところがあります。 また、「太平記」に今川家の業績が正しく書かれていないことなども今川了俊が「難太平記」を書くきっかけになったものと見られます。 北朝側から「太平記」の欠点や誤謬を指摘した書物には、「梅松論」などもあります。 しかしながら、「難太平記」や「梅松論」などが南北朝の時代にすぐに書かれているということは、「太平記」が当時すでに多くの人々に伝えられていた証拠です。