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陰徳太平記

毛利元就が厳島合戦の際に捕虜に和歌を読ませた。その捕虜は「名を惜しむ人といえども身を惜しむ 惜しさに代へて名をば惜しまじ」と和歌を読んだ。元就はよい和歌だとしてその捕虜を助けた。「陰徳太平記」には、この話を人々が美談としてもてはやしたと結んでいる。(インターネットから) その隠徳太平記のどの部分にこの話が載っているのですか。どなたか教えてください。

みんなの回答

noname#101087
noname#101087
回答No.1

>隠徳太平記のどの部分にこの話が載っているのですか。 「隠徳太平記」は持ってないので、ネットで検索。  http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/ships/shipscontroller >東京大学史料編纂所データベース から、大日本史料総合データベースで調べると、   弘治1年10月1日 毛利元就、子隆元、小早川隆景、吉川元春等を率ゐ、陶晴賢を安藝厳島に襲撃す、晴賢、敗績して、自殺す【史料綜覧】 の項に「吉田物語(吉田記)」を引用した稿本(画像 0031.tiff)があり、   陶カ同朋宗阿弥 名ヲ惜ム人トシイヘト身ヲ惜ム惜シサニカヘテ名ヲハ惜マズ トヨミケリハ是モ命ヲ助リケル とありました。 (同朋衆とは「たいこもち」みたいなのでしょうかね。皮肉な見方をすれば、口先で命拾いしたともいえる)  

trubuzon
質問者

お礼

さっそく回答をいただきありがとうございました。私にとっては分からない分野ですが、陰徳太平記のこの部分について知りたいと思っていました。丁寧な回答をいただいて感謝申し上げます。これから回答にある資料を調べます。まだ、寒さも続いているので、これからもご自愛されますように。

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