- 締切済み
陰徳を積むと良いことが起きる?陰徳の利点欠点限界盲
陰徳を積むと良いことが起きる?陰徳の利点欠点限界盲点とは? 哲学カテゴリー皆さんの ご回答のほど、 お待ちしております。
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
みんなの回答
- hue2011
- ベストアンサー率38% (2801/7249)
いいかげんで、何かの言葉を出して「利点欠点限界盲点」というのをやめませんか。 具体的な処世術にたいして利点欠点限界盲点というならともかく、隠徳なんていうもので論じてなにかきっちりした回答がありうると思っているのですか。 ミャンマーとかあのあたりの仏教徒は、食べ物を作って自分の家の庭先にならべ誰が来ても誰が食べても構わないということをする人が割合多くいます。ひどい貧乏人でもないけど、大金持ちでもない階層です。 こうやって人を無償で助けていると、お釈迦様だったか閻魔様だったかがずっと見てくれているはずだから、自分が死んだときに必ず極楽に導いてくれるはずだということを当てにしてやっているわけです。これを「来世に徳を積む」と言います。 そういうことを当てにしてやるというのは気持ちが不純だというような感想を持つ人もいるかもしれないけど、実際にそれでホームレスなんかが死なないで済むなら徳には間違いないのです。 寄付なんかで議論があってよくいわれるのは、寄付をしたということが大事なのであって動機や品性を問うべきではないということです。寄付自体は誰かを助けています。その面では隠徳です。 で、いまその動機や品性を問うべきでない、ということを突っ込むと、泥棒をして得た金とか人身売買で儲けた金を寄付しても感謝するのかという見方がどうしてもあり得ます。 しかし、もしこれが商売であって、寄付することで別の儲けが直接的にくるものなのであれば、人身売買なんていうのは、その儲けのために加速して大規模にヤリタイと思うでしょうから犯罪の推進になりかねません。でも、寄付だったらすぐに何かの儲けになると約束されたものではありません。 人身売買をして幼い子供を苦しめた懺悔として寄付したなんていう意識を持つならば、非難の切っ先は鈍ります。 要するに、何かの報酬を当てにしてやることは「隠徳」にはならないんです。その意味では、来世に徳を積むという考えは信仰が深いほど欲が丸出しという性質のものになります。これは明白な矛盾です。 しかしながら、「隠徳」などというものもの強い用語は使わずに人を助けるというのは推奨すべきことです。見返りを期待しないで誰かを助けるというのは間違いなく隠徳ですけど、その意識はないほうがいい。 極めて単純ですが、助けられたほうは普通は助けてくれた人に感謝します。 何かがあったらお返しをしたいと思う。それが「恩返し」という反応です。 自分が困った時に、その人が手を差し伸べてくれたら、今度は自分が助かるでしょう。 ビジネスでも力のある人は必ず人を助けています。末端の労働者でも管理職でも助けることはできます。同じ論理空間にいなければそれは容易です。 そうすると、恩返しに相手が考えてきてくれることで自分のビジネスが助けられ発展するのだから、当然です。 これが隠徳の法則だと思います。
利点→どんな形であれ、善行を行っている。 欠点→人に知られる事は無い。 限界→無い。 盲点→何の盲点か分からない。
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
まあ「情けは人の為ならず」ってとこですね。 http://kotowaza-allguide.com/na/nasakewahitono.html
- 177019
- ベストアンサー率30% (1039/3444)
「人知れず良い行いをすれば必ず良い報いがある。」(中国の前漢時代の言葉です)陰徳が実際に何をする事なのかは、その時、その場の状況で判断するしか無いと思いますが、要は陰徳と呼べる「良い行い」と言うのは、人知れず又は人が知ろうが知るまいが自分の利害に反してでも行うような振る舞いという事だと思います。もう一つ言える事は「陽報が現れた時、はじめて陰徳を知る」と陽報の約束が無ければ陰徳を積まない、そういう人に陰徳を積むことは出来ません。(陽報=はっきり表れる良い報いの事)
- tknkk7
- ベストアンサー率11% (378/3310)
投稿者”様_利点・欠点・盲点・限界・境界・法律違反有無・理解度・非良識。?