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死ぬ自由

nabayoshの回答

  • nabayosh
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回答No.26

No.22です。 >哲学の説明も納得できるものが多いです。できれば結論に至るプロセスをもう少し噛み砕いていただけないでしょうか。4つの定義から結論は結びつくんですが、少し弱いです。特に4つ目が難しいです。 4つの「定義」と書いてありますが、別に定義したわけでもありません。ただ単に言いたいことを書き並べただけのようなものです。 難解とおっしゃる 「・許可や禁止といったものをとっぱらって考えるのが哲学でもある。」 について説明します。 割と簡単です。この背景には、自由とは何か、という問題があります。 よく、「周りに口出しなどで干渉されないで、自由にやりたい」などと考える人がいますが、周りの干渉がないことが自由である、という考え方から、出発しています。 人間同士では干渉があるようですが、世界と人間との関係に立ち入ってみると、そこには一切の干渉がないということに気付きます。 「~してはいけない」とも言わないし「~してよい」とも言わない。禁止も許可もされていないこと、これこそが自由なのです。 多くの人は「禁止も強制もされない」と考えますが、「禁止も許可もされない」というのが論理学的に的確であると思います。 世界は人間を自由なまま放置します。サルトルが言う通り「人間は自由の刑に処せられている」と言えます。 善悪であるとか、是非であるとかは人間の判断であり、その人間の不自然な干渉によって社会は成り立っていると言えます。 しかし、哲学は社会学ではありません。許可も禁止もない自由な自然状態が根底にあり、その上に許可や禁止、善悪の判断があるという社会のある種幻想的な地平が存在しているのですが、哲学は社会という一部分だけを見て納得してはいられません。 >これらが説明されている哲学入門書を教えて頂けないでしょうか。 私の説なので、入門書というのは難しいですね。 哲学史を概観してもらえれば、大体のことがわかると思います。 例えばソクラテスやプラトン、アリストテレスの時代から、よく生きるということは大事にされてきました。 しかし、その流れをニーチェが「善悪の彼岸」という言葉で断ち切り、ウィトゲンシュタインが「語りえぬものについては沈黙しなければならない」と黙殺するようになった19世紀末から20世紀の哲学を見るといいと思います。 人は観察された事実よりも、それを説明する空想の仮説(神話にしても科学的説明にしても)の方を重んじるところがある、という趣旨のことをコントが書いていますが、善悪やら法の正しさやらは、あくまでも空想の仮説にすぎないという面があるのです。こういうことを書くと、倫理や法を信奉している人に非難されるかもしれませんが。

noname#32404
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 「人間は自由の刑に処せられている」とはすごい言葉ですね。とりあえず哲学入門書を探してみますが、いつかはサルトルを読んで何か感じてみたいです。 >しかし、哲学は社会学ではありません。許可も禁止もない自由な自然状態が根底にあり、その上に許可や禁止、善悪の判断があるという社会のある種幻想的な地平が存在しているのですが、哲学は社会という一部分だけを見て納得してはいられません。 本当は理解できてないかもしれませんが、この文は分かりました。かつて物理学者たちが重力に縛られながら宇宙物理学を発展させたように、哲学は社会の幻想の地平に縛られず自由に考えるものだという事じゃないでしょうか。 とりあえずこの質問は締め切りますが、納得できたというより入り口を見つけたといった感じです。丁寧な解説ありがとうございました。

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