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死ぬ自由

noname#26926の回答

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noname#26926
noname#26926
回答No.20

倫理的に見るか、哲学的に見るか、教育学的に見るか、宗教的に見るか。いろんな見方によって、結論や表現が変わってくるだろう。 しかし、質問者様は、今さら言わなくても、それぞれの結論は理解してらっしゃるように見える。 だから、あえて感情論を言う。 ちょっと話しづらいので、あくまで仮の話と思って聞いてもらいたい。 数年前、恋人が交通事故で体の自由がなくなりました。 脳に障害が出たため、意思を伝達することもできない。 でも、生きている。 医者は脳がまったく働いてないというけれども、楽しい話をすれば笑うような表情をするし、悔しい話をすれば涙も流す。 意思を伝えられないだけで、どこか分かってるとしか見えなかった。 まあ、身内だからそう見えるといわれてしまえば何もいえない。 医者は臓器移植の話ばかりするし。(こういう状態の人間をどうこうするよりもその臓器を誰かに入れた方が名前が売れるし、医者としての醍醐味にもなるんだと他の医者から聞いた。) それでも家族と自分は絶対に臓器移植なんかさせないと頑張った。 もちろん、もしかすれば本人は死を望んでるんじゃないかと毎日考えた。 ━━頑張らせるのはむごいことじゃないか? 院内感染でなくなるまでの長い月日、毎日考えた。 ━━生きていてほしいと思うのがエゴなのか? ━━でも、あの時、一度は完全に止まっていた心臓を動かして生き返ったんだ。どうしてだ?本人が生きたかったからじゃないのか? ━━一瞬の判断だっただろうけれど、死ぬだろうギリギリの場面で生きることを選択したんじゃないのか? ━━だから、頑張ろう、生きよう。 ━━でも、もう疲れたろう…長すぎるもんな。 ━━でも、治る人もいるんだ。治るんだよ。頑張ろう… 毎日毎日葛藤。 でもね、 意識がないって言われても実際笑うんだ。楽しい時もあるんだ。 だから、最後まで、治ると信じてみんなで頑張ったんだ。 感情論にしかならないけど、 人間は、生きようとする生き物だと信じてる。 何か、身体的環境的に死にたくなるとしてもそれは思考をはさんでの話。 本能は生きる方向にしか向いてない。 死なせないことを許す許さないではなく、 生きるということがもう前提として人間の細胞の中に入ってる。 生死の境にいる人が家族なら救おうと思うだろう。 恋人なら、やはり救いたい。 赤の他人、病院だからまったく知らない赤の他人の、同じような症状の人もみるが、どうしたって救われてほしかった。 多分、病気でもなんでもない人が死のうとしていても。 根っこは同じ。 たとえば死にたい原因が解決できたら? 例えば、借金で死のうとする人にいきなり宝くじが当たったら? 例えば、尊厳死を選ぼうとする人に、ある日治療法が見つかったら?一発で治る薬が発明されたら?苦しみも死の恐怖もなくなると保障されたら? 例えば、いじめにあって死にたい子供が何かのきっかけでクラスの英雄になったら?転校でいいやつばかりの環境があると知ったら? そんなふうに死にたい原因を解消する方法さえあれば、やはりいきたいと思うだろう? 死以外で救われるなら救われたいんだ。 死に向かおうとする人に関わった人は、たとえ救う方法を持っていなくてもなんとか一緒にその方法を探したいって思うだけなんだよ。 それが他人であっても身内であっても同じだ。 それの善悪は分からない。 世の中には確かに死よりも悪いことがあるから。 でも、やり直してうまくいくこともある。(死んだらあとはもうやり直しはないからね。) それだけでも、生きてみる価値がある場合もある。 権利なんて言われたら、もしかしたら自分もあの時本人の権利を奪ったのかもしれない。 でも、死が本当に望みだったのか、分からない。 言葉を発することができない状態だったからということじゃない。 今まさに自殺しようとしている人でさえ、本当に死が望みかは本人にだって分からないときがあるんじゃないか? 死ぬ権利は生きる権利とはまるで次元が違う。対ではない。 人の考えはいつまでも同じじゃないからだ。 昔はそう考えていたが、今は違うことってたくさんある。 死だってそうだ。 死にたい時があったとしても、それがいつか変わるかもしれない。 時間ってものは環境も変え、人間そのものをも少しずつ変えていく。 死の権利を認めるのはいい。 けれども、それによって、変わったかもしれない未来の自分の考え、体、行動、全部奪うのと同義にならないか? 質問とずれてるように見えると思うけれども、行間を読んでもらえれば質問者様には伝わると思います。

noname#32404
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 大切な話を教えていただきizurrさんにはとても感謝しています。例え論理や倫理的に正しい事でも、人には受け入れられない事があると改めて考えさせられました。この質問はもう少し続けますが、締め切るときに再びお礼をさせて頂きます。ありがとうございました。

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