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人殺し

kani-rocketの回答

回答No.32

回りくどい言い方になってしまうのですが,「罪を晴らす」というのは,被害者,加害者(及びその近親者),そしてそれ(罪)を情報として受け取る第三者の満足という形を取る以外ではない,と僕はしばらく前から考えています. (「悪」と「罪」を混ぜちゃっていますが,問題ないでしょうか?) 死んだ人は生き返らないし,その償いというのは,結局世論そしてそれに含まれる個人感情への訴えかけでしかない,という,僕の周囲でも殆ど共感して貰えない,何だか,救いのないものの捉え方です. でも,この視点に立つと,次のことが言えると思うのです.「殺人が悪だと言うのも,結局はそれを悪と見なす人の感じ方の問題でしかない」と. 世論という言い方をすれば,殺人がどうして罪なのか,人に説明できなくても,そう感じる自分の心を偽る必要がないというその必要のなさは,常識という「当たり前」に,自分が合致しているという安堵がもたらすものではないでしょうか.例えば電車で化粧をする女性をマナー違反と見なす風潮があります.僕は,電車の中での通話はマナー違反(不愉快)に感じますが,化粧に対しては,言われれば気になる,というくらいで,不愉快には感じません. 殺人が,斯くも世界共通に不愉快に感じられる原因については,ここで触れると収拾がつかなくなるので割愛しますが,僕にとっても殺人は,不愉快です.反対です.なんか,軽いですが. 人は論理で動くものではない,というのは,一般論でも格言でも何でもなく,中立的な事実だと思います.論理といえば数学ということで,例えば「無理数」.0.9999999…と1は等しいということを証明するこの拡張数学理論は,自然界では起こりえない,ひとつの「考え方」でしかありません.専門家ではないので,是非補足・反論を頂きたいところなのですが,数学上の理論も結局は,人によって,数学の権威によって承認されます.無理数という「考え方」が数学界に受け容れられた過程に,例の「ゼノンのパラドクス」に有効な回答を与える,という点が評価されてはいないでしょうか?このパラドクスなしに無理数が,理論としての魅力を発揮する機会はどれ程のものなのでしょうか. 論理というのは,人を納得ではなく,説得する手段です.数学の価値を認めるところで,我々は数学に説得されていますが,本当にそれに納得している人がどのくらい存在するのか?一方,我々は自分を魅了するものごとについて,論理性をどの程度求めるのか?…もしこの問いに何らかの共感を抱いて頂けるなら,以下の結論にも,拒絶以外の対応をして貰えると思います. 共感の抱ける相手を,「人」と呼びます.故にそれはアニメのキャラクターの場合もあるし,愛車である場合もあります.一方,一切の共感が抱けなければ,それがホモ・サピエンスだろうがネアンデルタールだろうが,その人物にとっては人にはなりません. 故に,戦争などで「殺人」をせねばならない場合,相手を人と見なさいことでそれは可能となります.相手を人と,相手の中に人格を認めつつ,それを殺害することは,人が自分を人扱いする以上,不可能ではないのか?というのが僕の考えです. 時事ネタで言えば,今鈴木宗男議員が死んだとして,それ(を知った瞬間)に同情を覚える人は,不謹慎な程少ないでしょう.ただ注意しなければならないのは,それがあくまで「自分の中の感情」である以上,神妙な顔つきのニュースキャスターの顔を見ているうちに,急に同情を思い出すことも多分にあり得るということです. 自分の中に湧き起こってしまった感情に逆らうことは困難です.特にそれが周囲と同調してしまった場合には. 故に,如何なる事情があれひとつの人殺しが,悪と見なされ続けないのは非常に稀なことと思います.そのようなものはしかし,大抵語り継がれるので,あまり稀なこととは考えづらいかも知れません. ただそうだからといって,吉良上野介を人扱いしていない自分を,許容する理由にそれは,僕の場合ならないのですが…. 結論: 殺人が悪にならないためには,その被害者が世界同時的,歴史上恒久的に,人でなしであり続ける必要がある.

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