• 締切済み

思考は文字を媒介するのでしょうか?(長文でスミマセン)

 自分の頭の中で考えるとき、文字を使用していますよね。頭の中で自分の声が響いている=聞いているのは自分だけ、といった風に。分かりやすい例を言えば、恋心を告白しようと思う異性がいて、最初のデートに臨むときに、相手がこう言ったら自分はこう言おう、と何度となくシュミレーションをしたりします。そのときは明らかに言葉のやりとりをします。思考は言葉を媒介にします。  さて、このサイトを閲覧している読者諸賢に(これは皮肉な表現ではありません。為念)お聞きしたいのは、「文字を媒介にしない思考はあるでしょうか?」ということです。  どうも私はそういうことがあるような気がします。書かれた文字を読むようなゆっくりしたスピードではなく、速読の達人のように、一瞬にして考えをまとめることがあるようなときがあります。そういうとき、思考の入り口と出口が短絡するのではなく、途中のプロセスをきちんと辿りながら、まるで条件反射のように結論に辿り着く。殆どが未知の問題への反応ではなく、日常生活のルーティンでの対応だと思いますが、文字を読むような思考ではなく、ある種に「感じ」(文字では言い表せません)を媒介にした「思考」ではないかと思います。  皆さんはそういう経験はおありでしょうか?おありでしたらその内容を表現していただければ幸いです。  ただし、今回は「失語症患者の思考」や「言葉を覚える前の赤ん坊の思考」、「言葉を持たない人種の思考」といったものを前提にしておりません。あくまで日本語を日常言語として使用している高校生以上の方で、拙文の意味を理解された方の「思考」を対象としています。  また、以上の問題意識に応えている書籍がありましたらご紹介いただければ有難いです。

みんなの回答

  • takuta98
  • ベストアンサー率0% (0/1)
回答No.17

思考は頭の中で文章になる場合とならない場合があると思いますが、日常生活していると思うのはたいてい後者です。 小説などで誰かが何かにひらめいたりしたとき、その人物は「まさかあの時・・」などと考えていますが、よくよく自分を振り返ってみると、そのような時頭の中に文章ができたことはないです。

never-ness
質問者

お礼

 ご回答ありがとうございました。 >そのような時頭の中に文章ができたことはないです。 そうですね、文章ではなく瞬時に反応し、ひとかたまりの「印象」のようなものが「感じられます」よね。これが文字を媒介にしない思考なのか、それとも瞬時に一連の思考を文字で行ったのがあまりに速過ぎて文字思考と本人に感じられないのか、というのが問題なのです。  少なくとも、それを感じている当人が文字を意識しないということは「ある」のだと思います。思考は概念によってなっされるもの、とお考えになる方は、瞬時の思考も思考であるならば文字を媒介にしている、それが瞬時に行われるのはプログラムでいうサブルーチンが一瞬で行われているだけで、そのプロセスは意識上にないだけ、ということかも知れません。これについては、この質問をいったん締め切り、私自身がもう少し自分の論点を整理してからまたご質問の場に出てきたいと思います。  takuta98さんのお礼の欄をお借りして、今までご回答頂いた方々に心よりお礼を申し上げます。  この「文字を媒介しない思考」というものは私の物心ついたときからの謂わば宿痾のようなものですから、いずれまた同内容の質問でお目にかかるかと思います。ご回答いただいた皆様、有難うございました。

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回答No.16

そういうのは普通にあります。 こちらの4と5を読んでみてください。 http://okwave.jp/kotaeru.php3?q=1881202

never-ness
質問者

お礼

 ご回答ありがとうございました。

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回答No.15

アメニモマケズ カゼニモマケズ ユキニモナツノアツサニモマケヌ ジョウブナカラダヲモチ ヨクハナク ケツシテイカラズ イツモシズカニワラッテイテ 宮沢賢治、得に引用なし この詩はご存知ですか、万一、ご存知でなければ百回読み返すか ご質問者様のよく知っている詩や歌で試してください。 「アメニモマケズ」で言葉をとぎると、「カ」に鳴り切れなかった不思議な印象が頭の中に有りませんか? 言葉に成り切れなかった、言葉以前のもの、なんとも表現できないものですね。 そもそも、思考そのものが良く解りませんから、難しいですが。 ある物とない物を整理しましょう。一先ず此処は物理主義で 知覚は物質ですからあります、 その先は、感情・意識・思考・クオリア、これらは解りません。 ただ、どう考えても、記憶はある、此処では物理主義から脱出。 なぜなら記憶がなければ、私がいない。 此処では、思考を考えるより、記憶を使ってどのように思考した様な結果が生まれるのかと、考えた方が良いでしょう、注意点は、思考は思弁のためではなく、行動のために有るのが本質だという点でしょうか。 運動記憶や習慣は知覚から直接、行動に進みます。行動に選択が出て来た時、思考が結果的に現れます。 要するに、思考を攻略する為には、記憶を調べなければならないのでは、と感じました。 それと、スティーブン・ピンカーでしたか、NHK出版で出ていた本の一つに 雪の結晶を左右上下非対称にして、回転させた図形を同じか違うか判断する為に、角度が少ないほうが早く理解できる事から、脳の中で図形を回転させている、といった説明がありましたが、どうなのでしょう、私にはよく解りません。 最後に言葉で考えることについてですが 例えば、脳の中で考えていると仮定した場合、言葉その物は、視覚にせよ聴覚にせよ、感官に入った物理的に言葉の刺激は、音波にせよ光にせよ、神経細胞に置いて別の刺激の変化に置き換えられているはずです、脳の中で起きている、イオン電子の発生や、神経細胞の伝達物質の増幅抑制が思考だとすると、言語は細胞レベルで感知できる記号に翻訳されていると考える事もできますね。#6さまの回答は、この辺りの事を仰っているのではないでしょうか。 長々失礼しました。あと、最初の詩をもう一度読んでいただいて、回答を終わらせていただきます。

never-ness
質問者

お礼

 ご回答ありがとうございます。 >「アメニモマケズ」で言葉をとぎると、「カ」に鳴り切れなかった不思議な印象が頭の中に有りませんか? 言葉に成り切れなかった、言葉以前のもの、なんとも表現できないものですね。 ごめんなさい。何を仰りたいのか判然としません。 >知覚は物質ですからあります これもごめんなさい。これも理解不能です。知覚が神経系を通じて脳に伝わるとき、神経細胞を構成するものは物質である、ということなのでしょうか。  当方のくたびれた脳細胞による理解ではお書きになっている内容が上手く理解できませんでした。

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noname#21336
noname#21336
回答No.14

こんにちは。 ちょっと話が小難しくなりますが、never-ness様の仰います思考とは、知恵の輪のような動作的思考やルービックキューブのような具体的な心象を借りての心象的思考、その他の方の仰います、認識における悟性や、デカルトのコギトのような自己意識、などではないと判断いたしました。また解決方法があらかじめわかっている場合は思考とは呼びません。 本来思考とは概念的思考のことを差します。 例えばこのご質問に対する回答のように、具体的な状況を離れて問題状況の普遍的構造や関係の考察が必要とされる場合、われわれは抽象的な普遍的な単純な観念の操作に向かわなければならなくなります。 つまり我々の持つ概念を結合させたり、分離させたりといった自由な操作によって判断や推理を行ったりするわけです。 ただし多くの概念は言葉と結合していますので言語的概念の操作が多くなってしまいます。 しかし概念は言葉と結びつくとは限りません。言語とは結びつかない観念の操作すなわち表象的概念による思考もあるということです。

never-ness
質問者

お礼

 ご回答有難うございます。 >言語とは結びつかない観念の操作すなわち表象的概念による思考もあるということです。  当方の錯綜しがちな考えをまとめていただいて有難うございます。  「表象的概念による思考」ですか。わが意を得たりという感じですが、「表象的概念」についてもう少し敷衍していただけると更に有難いです。

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  • kobarero
  • ベストアンサー率29% (106/361)
回答No.13

#9です。 never-nessさんの思考についての考え方を読ませていただきました。同じ「思考」という言葉でも、人によってその意味するところは、随分違うのだなと改めて感じ入りました。 それで、never-nessさんがお考えの「思考」について考えてみました。never-nessさんがお考えの「思考」について、私が正しく理解できているか、実は、まだ、自信がないのですが、一応以下のような<将棋モデル>で考えてみました。 <将棋モデル> 今、将棋をする人が、次の一手を考えるとき、もっとも、基本的なプロセスは、「もし、この駒を進めたら、相手はこう出てくるはずだから、そのとき、こちらは、このように対応する。また、もし、相手が別の手を打ってきたら、こちらは、こう出る.......」のように、一歩一歩ステップを踏んで考えていくと思います。これを、「基本思考プロセス」と呼ぶことにします。これは、思考に一定の時間を要します。 しかし、実際には、次のようなこともあります。すなわち、実践を積んだ棋士の場合は、ある局面で、相手が、ある手を打ってきたら、その次の手については、既に過去に何度も経験しているので、勝ちパターンがわかっています。今更、「基本思考プロセス」を踏まなくても、次の一手をどうすべきかの結論が出ています。これを「定石型思考プロセス」と呼びます。この場合は、一瞬で思考が完了します。 また、以下のようなことも起こりえます。ある局面は、以前に経験したことがあるのですが、これまでは、どうもうまい次の一手が見つからなかった。しかし、今回は、以前に思い付かなかった妙案が、ふっとヒラメいた。これを「ヒラメキ型思考プロセス」と呼びます。これも、一瞬で思考が完了します。 さて、ここで、never-nessさんがお考えの「言語を媒介にした思考」というのは、上記の「基本思考プロセス」のことではないでしょうか? また、「言語を媒介にしない思考」とは、上記の「定石型思考プロセス」や「ヒラメキ型思考プロセス」のことではないでしょうか? 「基本思考プロセス」は、思考者が初めて経験するプロセスで、ステップ・バイ・ステップで、思考を一歩一歩進めるしかないものです。「定石型思考プロセス」は、思考者が過去に既に何度かステップ・バイ・ステップで思考した経験があり、あらためて、ステップ・バイ・ステップで思考を繰り返さなくても、結論が得られるものです。また、「ヒラメキ型思考プロセス」は、過去におけるステップ・バイ・ステップの思考と無意識の思考が統合して、見かけ上、あるとき、突然のように結論が得られるものです。 never-nessさんは、当初の御質問で以下のように書かれています。 「書かれた文字を読むようなゆっくりしたスピードではなく、速読の達人のように、一瞬にして考えをまとめることがあるようなときがあります。そういうとき、思考の入り口と出口が短絡するのではなく、途中のプロセスをきちんと辿りながら、まるで条件反射のように結論に辿り着く。」 これは、上述の「定石型思考プロセス」や「ヒラメキ型思考プロセス」のことを述べておられるように思います。実際、「定石型思考プロセス」は、過去において、一度は、ステップ・バイ・ステップの「基本思考プロセス」を踏んでいるわけですから、全く、無から生まれたわけではなく、過去に言語媒介思考を経た後に、言語非媒介思考に転換されたと考えることができます。「定石型思考プロセス」は、コンピュータで言うと、サブルーチンが記憶の中に書き込まれ、それが、呼び出されたようなものだと思います。 以上ですが、当たっていますでしょうか?

never-ness
質問者

お礼

 ご回答ありがとうございます。  当方の粗雑な回答に対して、問題点を整理し要点をまとめていただいて感謝しています。 >以上ですが、当たっていますでしょうか? この質問に対して、「おおよそ当たっています」というのが、現在の当方の回答ということになります。ただ、そういうまとめ方を予想していなかったので、質問と回答のやりとりを発展的に終了させる筋道がよくわからなくなった、というのが正直なところです。  ここで、いったん質問を締め切らせていただき、すこし勉強しなおしてから出直そうと思います。せっかく問題点を整理していただいたのに大変失礼な反応になって心苦しいのですがご了承ください。  コリン・ウィルソンの「X機能」というのもが頭の隅を掠めましたが、これについてももう少し考えてみます。  大変丁寧なご回答を頂きまして感謝に堪えません。ありがとうございました。

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  • moritan2
  • ベストアンサー率25% (168/670)
回答No.12

言葉を介さない思考はあると思います。たとえばルービックキューブの最後の詰めの手順を頭で考える時、言葉で「上面を右に回して、、、」なんて絶対に考えません。図形のイメージが頭の中で回転して、こう動かせば完成するということが図形のイメージとしてひらめくはずです。

never-ness
質問者

お礼

 ご回答有難うございます。  そうですね、ルービックキューブもそうですがある技芸に熟練すると、言語による思考を待たずに体が勝手に動く=問題解決へと動きますね。それは多分コリン・ウィルソンが言っているX機能のようなものだと思います。思考は概念のみによるという立場をとられている方には決しても了解してもらえないでしょうね。

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  • yama06
  • ベストアンサー率61% (101/164)
回答No.11

> では、こういった記法に慣れた場合、設計図を見たときに > 一瞬でそのプロセスを理解するということはあるのでしょうか? 学習や訓練の結果として、一瞬で分かることはあります。 実際にはそのようなものはパターン化されているか 何か典型的なもので、脳の中では概念や論理を使わずに、 既存の知識や経験との類似性に基づいた分類によって 理解したことになっているのではないかと推察されます。

never-ness
質問者

お礼

 再びご回答有難うございます。 >学習や訓練の結果として、一瞬で分かることはあります。  貴重なお話しをありがとうございます。一瞬で「分かる」ということは、「言語化」されるスピードをはるかに超えているということですから、「言語を媒介しない思考」の例ですね!  ここで、ふと「理解」は「思考」か、と思いましたが、その点は少し考えてみたいと思います。

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noname#31063
noname#31063
回答No.10

成長、学習したとは体感感覚を会得した ということとの前提にすると 経験のない人と経験のある人がバレエの演技を見ていて 視点も違い 素人だと部分的に拘る捉え方になります。 玄人なら全体のバランスや、 現象の背後や予後期待する部分(直感と合わせて)までも 同時に並列的に追う拘り方が出来ます。 人は言語習得だけで思考の達人になるのではなく やはり社会性の習得値や 人や自分への信頼感による感じ方 (これは記憶に残っていないような幼い時期の経験もあるでしょう) がパーソナリティーになって育んでいると思います。 そして、経験も量より質で 同じ経験ばかり積め込んで量がかさむと 発展というよりフリーズです。 色んな経験をするということが 更新しながら容量を軽くし 動作性を高めることだと思います。 思考は全人格的に(前生や魂をも含んでいるかも?) 経験(読書なども含む)により媒体され 言語は確認作業と結論の媒体のように思います。

never-ness
質問者

お礼

 ご回答有難うございます。  仰ること非常によく分かります。熟練したり認識のレベルが上がれば「全体を一瞬にして見る=分かる」ことが出来るのですね。それも「言語を媒介しない思考」ということでしょう。

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  • kobarero
  • ベストアンサー率29% (106/361)
回答No.9

#6です。 >そのとき「この道を…」は意味の塊として出現し、言語化されなくても自分の思考として「ある」と考えるのです。つまり、言語を媒介しない「思考」としてある。そうは考えられないでしょうか? 私は、元々、全ての思考の実体は、言語化されていないと考えているので、まさに、おっしゃる通りだと思います。でも、質問者の方は、「この道を…」が、むしろ例外的に言語を媒介にしない「思考」だとおっしゃっているんですよね。 私には、何故、「この道を…」は「思考」であるのに、「あの店の牛丼はまずい」(印象)は「思考」でないのか、区別がよくわかりません。質問者の方は、どういう基準で、「思考であるもの」と「思考でないもの」を区別しておられるのでしょうか? 例えば、以下の例では、(1)~(4)は、質問者の方が「思考でないもの」と考えておられるわけですね。では、(5)~(12)は、どうなのでしょうか? (5)~(8)は「思考でないもの」で、(9)~(12)は「思考であるもの」ですか? 私には、うまく仕分けができないのですが。 (1)失語症患者の思考 (2)言葉を覚える前の赤ん坊の思考 (3)言葉を持たない人種の思考 (4)印象や感じ(「お腹が空いた」など) (5)あの人は以前に会ったことがあるかどうかの判断 (6)今日、上司の機嫌が悪いかどうかの判断 (7)サッカーで、ここぞというタイミングで、ゴールに蹴りこむ判断。 (8)この服は自分に合うかどうかの判断 (9)健康のために、野菜をたくさん食べようという判断 (10)今日は疲れているから、残業はしないでおこうという判断 (11)彼女を映画に誘うより、ケーキを食べに行った方が良いという判断 (12)出張先には電車で行くより、飛行機で行った方が良いという判断

never-ness
質問者

お礼

 ご回答有難うございます。 >私は、元々、全ての思考の実体は、言語化されていないと考えている とのことですね。  基準を示せとの仰せですが、今回の質問はもともと熟慮の末のことなどではなく、以前から感じていた事柄について、当方以外の方はどうお考えかと思ってしたものです。ですから、確固としたクリテリオンがあるものではなくてかなり恣意的な基準ですが、以下の「ような」ものだと思ってください。  五感によって得られる信号(情報)が神経系を通じて脳に伝わります。それは「暑い」「甘い」「痛い」といった言語に置き換わります。言語に置き換わった時点で「思考」となる、ととりあえず述べておきます。 「お腹が空いた」は、その信号が脳に届いた時点で空腹「感」となって伝わります。わたしが空腹感を感じた時点ではそれは「思考」ではなく「感じ」です。「感じ」を「思考」とは考えない立場でいます。  あなたのお示しの(1)から(12)でいえば、  (1)から(3)については、この分野についてはよく知らないということで議論を避けたというわけです。  (4)は「思考」ではないと今述べました。  (5)から(12)はすべて「思考」です。ただ「判断」する前の段階、判断する直前の段階は言語を媒介しなくても「思考」だと思います。それこそ、ここでわたしが問題にしている「言語を媒介しない思考」である可能性があります。  ということで、こうやって書き連ねている当人も「うまく言えないな」と少し申し訳なく思っています。   また、 >「あの店の牛丼はまずい」(印象) は、牛丼を食べたときに「まずい」と感じたことは「思考」ではなく、「あの店の牛丼はまずい」と言語化されれば、そのプロセスも含めて「思考」だと思います。

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  • tokytime
  • ベストアンサー率37% (43/114)
回答No.8

No.7です。 パーソナル・パワー という、文字を媒介しない思考、感情の伝達について書籍がありますから紹介します。 参考になれば幸いです。

参考URL:
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4944035241/249-9686987-8383528?v=glance&n=465392
never-ness
質問者

お礼

 ご回答ありがとうございます。  参考図書をご紹介くださり有難うございました。文字を媒介しない思考というのは、私が中学生だったころからの疑問ですから、もう少し突き詰めて考え、また改めて質問の場を設定できれば、と考えています。

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