yajiro-bayのプロフィール

@yajiro-bay yajiro-bay
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有機体という言葉はもとはといえば生物体を指していたのだが、いまではもう少し広い意味につかわれ、有機体論という名のもとにその性質が論じられるようになっている。そこでの議論では「有機体とはそれをつくっている要素のあいだに『特殊な関係』が結ばれており、その関係によってみずからを組織化し、全体の統一を果たしている体系である」といわれる。このいい方からわかるように、有機体とは「関係」そのものであるから、もし有機体を分割すれば関係は破れてしまい、有機体としての本性は失われてしまう。したがって、有機体を要素の集合として理解することはできない。つまり、全体を部分に還元することはできない。 (『心の起源』木下清一郎) >「関係」そのものである こういう表現が、どうも、「不徹底である」感じてしまうのです。

  • 登録日2006/07/17
  • 政府紙幣と日本銀行券

    今、われわれが、使用している、お金は、日銀が発行している日本銀行券ですが、政府が発行する政府紙幣というものも存在するみたいなのですが、この二つの違いは、その発行元にお札を刷った分が借金として残るか残らないかということらしいです。日本銀行がお札を刷れば、それは日本の中央銀行である日本銀行の借金として残るが、政府がお札を刷れば、それは借金とならないというのです。この意味がどうしても理解できません。日銀の借金ということは、いつか返さなくてはいけないのですよね?いつ返しているのですか?また、なぜ、政府紙幣は、借金にならないのですか?ご指導ください。

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    • NIPTUCK
    • 経済
    • 回答数3
  • 言語はどのように生まれたのですか?

    人類が初めて言語的な意味のある音として声を出すようになったのはいつ、どのような時だったのでしょう?初めから、名詞、動詞、数詞、等を合わせて使っていたのでしょうか?その後、文法ってどうやって決まっていくのでしょう?

  • 遠景の喪失(?)と子育て

    みょうなタイトルですいません。本来ならば、子育て・教育関連の分野の質問なのかもしれませんが、ここのほうが、いろいろな意見をうかがえるような気がするので書いてみました。 私事ですが、20年ほど前に、上京・進学し、そのまま就職。結婚後も、東京で子育てをしております。 郷里にいたときは、遠くの山を見ながら育ちました。そのことに、なにか意味があるのかと問われると、自分には答えはありません。 いま、自分の子供は町中に住んでいるので、遠景というものを日常的に見ずに育っているように思えます。おそらく中景としては、立て込んだ町並みを、近景としては、家族やご近所を見ながら育っているのではないでしょうか。 昔であれば、江戸の町からは富士山が見え、それが精神的な拠り所でもあったように聞いております。つまり、江戸の町の遠景には富士山が意識されていたと思いますが、今の東京の町では、望むべくもない話です。 遠景・中景・近景を見ながら育つのと、中景・近景のみの視覚で育つのでは、やはり多少の違いがあるような気がしますが、もちろん確証はありません。 例えば、遠景に富士山を見ながら育つ、静岡県や山梨県の人が、「幅広い視野を持つ」とか「長期的視野に富む」というようなことがあれば面白いのですが、とくにそんな話を聞いたこともないです。 でも、「遠くを見渡さないで育つこと」に、なにか違和感を感じるので、皆さんの意見をお聞きしたいのです。よろしくお願いします。

  • ベルグソン

    ベルグソンは自由の意志をどのように考えていたのでしょうか。 ラッセルの「外部世界はいかにして知られうるか」の中に出てくるのですが詳しくは述べられていません。

  • ベルグソン

    ベルグソンは自由の意志をどのように考えていたのでしょうか。 ラッセルの「外部世界はいかにして知られうるか」の中に出てくるのですが詳しくは述べられていません。