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ベルグソン

yajiro-bayの回答

回答No.1

バートランド・ラッセル、アンリ・ベルクソン聞いたような名ですね。 ベルクソンの自由は何処かで書いた気がするのだが、ラッセルとの関連は知りません。 ベルクソンの自由について書いてみます。 一般にベルクソンの主著は以下の三点で、それに即して自由を考えて見ます。 『時間と自由』ライプニッツ等の決定論に対して、持続の概念からAではなくBを選択する自由を説明します。曰く、 「混迷はすべて、両方ともが熟考を空間内の動揺という形で思い描いているところからきている。というのも、現実の熟考は力動的な過程であって、その過程において自我と諸動機そのものは、本当の生き物がそうであるように、連続的生成のうちにある」 つまり、言い換えると、運動としての思考を空間に並置してしまう事による誤解を指摘しているのでは。 『物質と記憶』純粋知覚における自由の問題、これ解りにくいです、曰く 「この意識は、障害を取り除き、現実的な全体からせん潜勢的な一部を抜き出し、意識に利害関係を持ったものを選択し最後により分けるだけでよかったのである。しかもこの意識のうかに立ち会うと同時に、われわれは非常に単純な形態においてではあるが、自発的で予見不可能な運動のできる生命体が姿を現すのを見ることになる。」 純粋な知覚は物質の作用反作用で説明できますが、知覚と記憶の結びつきはそれ以上の可能性があると言うような意味でしょうか。 『創造的進化』カルノーの熱力学第二法則からの自由 この件は、以前いい加減に書きましたね、今でもあの程度です、 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2333290.html ラッセルは論理主義的な人ですよね ベルクソンの哲学はノーベル文学賞を受賞したように、詩的な部分がありますから、 それらの部分に対する批判ではないでしょうか?

noname#21336
質問者

お礼

どうもありがとうございました。 たいへん参考になりました。 また次回もお時間がございましたら宜しくお願いいたします。

noname#21336
質問者

補足

どうもご回答ありがとうございます。 ラッセルはこう述べています。 「因果の原理は、ベルグソンによると、同じ原因は繰り返されると同じ結果を生み出さす、という主張である。しかし、記憶がある為に、この原理は心に関する事象には適用できないのだとベルグソンは論じている。すなわち、見かけ上同じ原因であっても、繰り返されると、単に繰り返されたということのために変化してしまって、同じ結果を生み出すことはできないのである。ベルグソンは、さらに、過去の事象には、心に関する事象を想像させるような、それに似たものが含まれていないから、心に関する事象はいずれも、過去の事象から予測できないような純粋に新しい事象である、と論じている。そして、これにもとづいて、ベルグソンは、意志の自由は論争の余地のないものであるという結論を下すのである。」

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