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ベルグソン
ベルグソンは自由の意志をどのように考えていたのでしょうか。 ラッセルの「外部世界はいかにして知られうるか」の中に出てくるのですが詳しくは述べられていません。
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お礼
すいません、訂正させていただきます。 私たちが望まないようなことをむりやりに望ませるようなことをむりやりに望ませるような⇒私たちが望まないようなことをむりやりに望ませるような 過去に関しては知識にこのような都からがないということは⇒過去に関しては知識にこのような力がないということは たいへん失礼いたしました。 かなり疲労がたまっているもので(笑)。
補足
お礼が遅れてすいません。 >自由を定義づけようとすることは、時間の空間化にほかならない。 ここが一番重要ですかね。 ちなみにラッセルが言いたいことは、No2さまへの補足にもちょっと触れさせていただきましたが、こういうことです。 「仮に、未来のことを、過去のことを見るのと同じような方法で直接見ることができるとするならば、いかなる種類の自由意志がその後も残りうるであろうか?このような種類の自由意志は、もしそれがあるとすると、決定論とはまったく無関係であろう。すなわち、このような自由意志は、因果関係があまねく全面的に支配しているという見解とさえ矛盾しないであろう。」 そして、ラッセルは絶対的な確実性をもって未来全体を知っている一群の生物を想定して、それらの生物に自由意志と呼ばなければならないような何かが備わっていることが可能であるかどうか問題にし、こう締めくくっています。 「要するに自由がなんらかの価値をもつ限り、私たちの意志はまさに私たち自信の願望の結果ではあるが、私たちが望まないようなことをむりやりに望ませるようなことをむりやりに望ませるような外からの力ではないということが、こういった自由によって要求されるにすぎないのである。それ以外のことはいずれも、知識は、こと未来に関しては、それによってわかることを無理に引き起こすのだーー過去に関しては知識にこのような都からがないということは、すぐにわかることであるーーという感じにもとづく思考の混乱にすぎない。したがって、自由意志は、ただ一つの形式においてなりたつことになるが、自由意志が大切なのはこの形式に限られるのである。そして他の形式が望まれるのは、単に分析が不十分であるからにすぎない。」 やはり一見真面目な質問には真面目な回答が寄せられますね(笑)。 どうもありがとうございました。