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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:重力が意志なら 社会の時空間は意志関係で歪むのか)

重力が意志なら 社会の時空間は意志関係で歪むのか

このQ&Aのポイント
  • 重力が意志なら、社会の時空間は意志関係で歪むのかについての問いです。
  • 重力が空間のユガミとして機能する場合、時間はどのように変化するのでしょうか?
  • もし重力が人間の意志だと仮定すると、社会という時空間は人間の意志行為によって形成され、ユガミが生じると言えるでしょう。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.3

こんばんは。 重力は、基本的に引き合う力。 二人の関係ですと、軽いものが重いものの方に引っ張られてしまう、と思うんですよ。 発言力や権力、物理的強制力・暴力などを多く有しているものに、屈してしまう。 流れ星のように、軽いものは、重いものに引っ張られてドンドンと重いものの方へ落ちてゆく。 外に向かう《遠心力》のような力がないと、一方的に重いものへと引き寄せられてしまう、落ちこんでいってしまう。 だから、軽いものは、重いものに取り込まれないために、絶えず動いていなければならない、と思います。 自ら運動することによって発生する《遠心力》で、重力に対抗しなければならない。 これは物理学の力学の話ですけれどもね。 もっとも、これは二者の関係の場合で、 三人以上いれば、話は変わってきます。 この場合、綱引きになってしまいます。 でも、やっぱり、弱小の立場は弱い。 日本、中国、アメリカという大国の狭間に置かれた○国のように《コウモリさん》にならざるをえないのかもしれません。 なんか危ないですよ、お隣さん。 かなりクリティカルな状況。 何か超~危険なカオリが漂い始めています。 来年あたり、派手なお祭り騒ぎが発生するかもしれません。 今日、《ルビコン川を渡った》のかもしれません。 《賽は投げられ》て、《中国の目》が出た模様。。。 重力は怖いです。 絶えず気をつけていないと、軽いものは、重いものにアっと言う間に取り込まれしまうかもしれません。 取り込まれないまでも、重力による《潮汐力》で引き裂かれてしまうかもしれません。 《中立》、この言葉は、物理学の力学ですと、ちょっと違う意味に使われるので、 今回の質問の場合は、この用語の使用は適切でないのかもしれません。 物理学ですと、平衡くらいの意味なんで。。。

bragelonne
質問者

お礼

 ねむりねこさん お早うございます。ご回答をありがとうございます。  この質問は 準備不足でした。  男女の――あたかも引力による――引き合いと言ったところは 必ずしも引力・重力ではないかも知れませんでした。  自然な引き合いは むしろ電磁力の作用のほうであるかも分かりません。  なにせその重力を意志にたとえているのですから。意志なら 電磁力の三つの相互作用がはたらいてから おのれの意志を決めこれを表示するという行為 これになるようですから。  あるいは ねこさんのお考えは 次のようでもありました。    【Q:《アース力》は 慈悲なるチカラだ。】   http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa7834459.html  ◇ (その回答No.2) ~~~~~~~~~~~  重力:社会のオキテ、決まり、法律  電磁気力:他者への愛(その反対として《憎しみ》)  強い力:自己愛  弱い力:自己を変質する(自然な)力  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ わたしはなお重力は 《社会のオキテ、決まり、法律》にかかわっているとしても 一人ひとり個人の実存として必ず通らざるを得ない(通さざるを得ない)志向性でありその意志行為であると思っていますが この《意志行為》一般について もう少し説明をきちんとしてからでないと話が進まない。こう思いかえしました。  その上で 今回のご回答にお応えするとすれば そうですね 重力:中立論は まだ保ちたいとは思っていますね。  ◇ ~~~~~~~~~~~~~~~~  重力は、基本的に引き合う力。  二人の関係ですと、軽いものが重いものの方に引っ張られてしまう、と思うんですよ。  発言力や権力、物理的強制力・暴力などを多く有しているものに、屈してしまう。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ 重力としての意志が 中立である。作為は 初めには ない。という立論について 次のように考えます。  つまり 人為としての意志は 中立なる(ふつうの・そしてそれは 一般に生きることとしてのであるからには 実際には よい・好ましい)ハタラキの上に カザリとしてなお働く。カザリではない樅ノ木本体としての意志もある。と。  カザリとは よくもわるくも理性のハカラヒである。〔そこに感性・感情のおもむくところを含むけれども それを誘導するのは(または感情のおもむくところに屈服して かえって感情を引率するようになるのは) 理性および意志である〕。  カザリとは それが積み重なり ふるくなると よいものであってもしばしば――慣性の法則にしたがってのように―― シガラミとなる。(むろん ふつうに良いナラワシは あると思われる)。  カザリとして発動する意志以前の・ふつうで自然な中立の意志行為は これも あると考えられます。  男と女が 電磁力の作用で――感性・情感をつうじて――惹かれる場合 この関係をさらに進めたいというカザリとしての意志行為もあるわけですが そうではなく・そのような個別の人間としての意向を示す意志ではなくその以前に なお中立的な意志はあると考えます。  つまり このような男女の出会いにおいて なおきわめて中立的な《ただ単に共に生きる》志向性としての意志がはたらく。と思われる。その――カザリには到らない――意志によれば 互いに互いの《人となり》やあるいは置かれた情況などなどを あたかも第三者としてのごとく考慮に入れるといった志向性がはたらく。  この《共生としての意志》は むろん男女間だけにかぎらず ふつうに社会の人間関係にはたらく。こう考えられます。よって  ◇ 発言力や権力、物理的強制力・暴力   ☆ これらの意志は 言わば不自然とは言わないなら第二の人為的な自然としての・つまりカザリとしての意志行為である。  すなわち  ◇ 二人の関係ですと、軽いものが重いものの方に引っ張られてしまう、と思うんですよ。  ☆ という実際問題があるとしても――つまり むろんありますから しかも―― ひとつにそれは 第二次のカザリとしての意志行為であり たとえ実際にはこの有力か無力かの意志行為関係しか見られないとしても なお自然で第一次で樅ノ木本体だけの共生なる意志も あることをその二人のいづれの側もその心では知っている。    このように考えます。  ◇ ~~~~~~~~~~~~~  なんか危ないですよ、お隣さん。  ・・・  今日、《ルビコン川を渡った》のかもしれません。  《賽は投げられ》て、《中国の目》が出た模様。。。  ~~~~~~~~~~~~~~  ☆ ニュースを見つけられず 聞いているニュースからは分からなかったのですが それはそうだとしたら いづれ はっきりしてくるでしょうね。

その他の回答 (4)

  • kurinal
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回答No.5

こんばんは。 「投票」がユガミを産む時、まさに、 「人間の意志行為ではどうにもならない」人権は、 まさに、どうにもならない、モノであるでしょう。

bragelonne
質問者

お礼

 くりなるさん お早うございます。ご回答をありがとうございます。  ★ 「投票」がユガミを産む時、  ☆ というのは たとえば自分の考えと意志によってではなく オドシによってえらぶ相手を押しつけられたというような場合を言うのでしょうか? つまり  ☆☆(趣旨説明欄) 7. なぜなら 《オドシ》というような意志を たとえ必然的な成り行きだと見るとしても それでよいとは誰も思っていない。オドシなる意志行為がよいとは誰も考えていない。  ☆ というような場合でしょうか。  ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  まさに、  「人間の意志行為ではどうにもならない」人権は、  まさに、どうにもならない、モノであるでしょう。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ つまり オドシに屈服し 自分の意志とは違った行動内容にしたがった場合は 人権でさえ どうにもならないと言おうとしていましょうか?  それは 明らかにマチガイであると考えます。  なぜなら 相手の意志をないがしろにする意志行為は 意志行為であると言っても 不法行為であり無効であるからです。なかったことになる行為だからです。  オドシによって余儀なくされた行為も なかったことになります。  つまり 人権は守られます。  むろん起こったことは起こったことであり 過ぎ去ったことを実際になかったこととしてその時点にまで戻ることは出来ません。けれども 無効であり その行為はなかったものと見なされます。  法律上のこまかい手続きは措いておいても 基本的な考えははっきり・しっかりとしています。  と考えますが どうでしょう。

回答No.4

こんにちは。 お隣さん、ここ数日で、新聞の論調がかなり変わってきています。 それまでのことが嘘であったかのように、劇的に変わってきています。 《反日》の論調がピタリと止みました。 露骨な日本叩きをしなくなりました。 韓国の新聞は、韓国大統領に日本との対話を求めるようになっています。 自国の反日の炎を何とか鎮めようと、躍起になっています。 行き過ぎた韓国の《国粋主義》を抑えようと、その世論作りをはじめています。 http://japanese.joins.com/ http://japanese.joins.com/article/209/177209.html?servcode=100§code=140&cloc=jp|main|inside_left http://japanese.joins.com/article/210/177210.html?servcode=100§code=140 事の発端は、米国のヘーゲル国防長官の訪韓。 ここで、韓国が飲めない非常にハードルの高い要求を突きつけましたから。 ───中国を仮想敵国にした《MD構想》に、韓国は参加するかどうか、という踏み絵を韓国に突きつけた。 アメリカをとるか、中国をとるか、韓国政府は、その態度を明確にせよ、と暗に言われた─── 混乱しています、パニクっています、お隣さん。 http://japanese.joins.com/article/797/176797.html?servcode=A00§code=A10&cloc=jp|article|related http://japanese.joins.com/article/222/177222.html?servcode=200§code=200&cloc=jp|main|inside_right 韓国の有識者は、これは《米国の韓国切り離し》だ、と危惧しているようです。 ───この認識は、おそらく間違っていません。 韓国は戦時作戦統制権の韓国への返還を恐れています。 これは、米国と韓国の縁切り、絶縁状だと危惧しています。  戦時作戦統制権→米国の米韓相互防衛条約の破棄 に繋がると戦々恐々しています。 《反日》、《日本叩き》が終わったのは、このため。 韓国のネットでは、中国、日本、どちらの《クズ》がよりましな《クズ》か、議論しています。─── 中国からは経済的恩恵を、米国にはタダで国防を、という《コウモリさん》外交のツケがきたようです。 中国という巨大な《重力》に飲まれるのか、否か。 中国という《重力・引力》から離脱し、アメリカという《重力圏内》にとどまろうとするのか。 選択できる道は、どちらもイバラの道。 米中の、韓国を巡るこのパワーゲームに《中立》の道はありえない。 非常に難しい舵取りが要求されているようです。

bragelonne
質問者

お礼

 ねむりねこさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。   ○ 中央日報  ですか。日本のネットにもときどき流れて来ていますが 今回 見ませんでした。  アメリカ絡みなのですね。分かりやすいですね。  ◇ 中国からは経済的恩恵を、米国にはタダで国防を、という《コウモリさん》外交のツケがきたようです。  ☆ アメリカは 中国との友好関係を模索していたと思いましたが 見切りをつけたのでしょうか。とてもふつうにはつき合えないというところなのでしょうか。  ぢゃあ さもありなんですね。韓国のヂレンマ。  もし中国が北朝鮮をコントロールすることができるとしたら すぐさまにも韓国は中華圏に入って行くでしょうか どうでしょうか。顔は 北京のほうを向いているでしょうね。  でもいまは  ◇ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  《反日》の論調がピタリと止みました。  ・・・  行き過ぎた韓国の《国粋主義》を抑えようと、その世論作りをはじめています。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ といったところなのでしょうか。  でもアメリカとしては ふつうの話をしているだけですね。  問題は 一にも二にも 中国だということになりそうです。  ツングースないしチュルク系の旧満州圏・モンゴル圏・イスラム圏とそしてチベット圏や少数民族圏を切り離して 漢民族等の国におさまらなくてはならないかもですね。そうしたら 謙虚になるかもと。  情報をありがとうございました。

回答No.2

こんにちはです。 ☆ 2. ちなみにタトエではない問いとして 重力が空間のユガミだと言うとき 時間はどのようになっているのですか? ◇ ニュートン_____________アインシュタイン 重力によって空間が歪む       空間の歪みによって重力が生まれる 普遍的な、絶対的な時間がある    時間は相対的なもの [時間は座標系の取り方によらない〕  〔時間は座標系の取り方によって変わる〕 こんな感じですかね。 で、 bragelonneさんの考え方は、ニュートン的なそれなようなので、わたしもその線にしたがって、考えることにします。 であるとするならば、 ここで使用されている《時間》という言葉の意味が曖昧です。 主観的な時間を意味するのか、物理的な時間を意味するのか、《時代の潮流》とでも言うべきものを意味するのか、それが不明。 なので、 答えは保留しておきます。 ☆ 3. 重力が仮りに人間の意志だとすると 社会という時空間は 人間の意志行為が錯綜して形作られており そのときユガミを生じている。と言えるか? ◇概ね、YES。 でも、意志を伴わない反射的なモノ、反応などによっても、このユガミは生じると考えるべきなのでしょう。 哲学では、《行為》は意志の存在を前提にするので、こうした言い方は問題があるのかもしれませんが、 有意志的でない行為、無意識的な行為によっても《ユガミ》は生じるのでしょうね。 ☆ 4. シガラミによる制約――あるいは分かりやすく言えば 社会力学じょう有力な勢力による脅しによって行動の自由が制約されること―― これが ユガミか? ◇これは程度の問題になってしまうのでしょう。 言葉、言語もシガラミですし、我々の思考が使用する言語(語彙+α)によて制限を受けるのも、また事実。 人間の思考、意思、そして、意志は、自身が使用する言語という制限においてなされる。 どこまでをシガラミと呼ぶか、それにも関わっているのでしょう。 ただ、ユガミという言葉には、価値が入っていますよね~。 《ヒズミ》。。。 これも似たようなものか。。。 何かいい言葉ないかな~。 ☆ 6. これは 自由意志の存在を明かしているだろうか? ◇《自由意志》の定義次第でしょう。 狭い意味、つまり、本人の行為の選択可能性の有無をもって自由意志を定義すれば、YES。 人は、他人の自由を制限し、その人本人の意志を他者に強制する自由を持っている、ということになるのでしょう。 強制される他者には、現実上その可能性ないにしろ、それを拒むという選択肢は用意されていますので。 そして、シガラミ、脅し、などなど、すべて《自由意志》の決定に基づくもので、その存在を明かしている、となるのでしょう。 ではなく、 何らかの強制力をもって、他者に自己の意思を強要することは《自由》本来の意味に反する、 と考えれば、 NO、ということになるのでしょうね。 結局、 無制限の《自由》はあるのか、ないのか? という問題に行き着くのでしょう。 制限のある《自由》、 これは、もろ、《自由》本来の意味に反していますし(苦笑い)。 ───同意があればいいのだってのも、詭弁といえば、詭弁ですし・・・─── 無制限の《自由》を認めれば、カオス状態の陥り、何でもありの世界なりますし、 《オオカミさん》状態に陥り、オオカミさんは、恐怖と疑心暗鬼などに支配される・・・。 難しいですな~、ホント!! 一番楽なのは、 「人間に自由など存在しない。ただ、自由があると思い、そう信じこんでいるだけだ」と考えることなのでしょうが・・・。 ☆7. なぜなら 《オドシ》というような意志を たとえ必然的な成り行きだと見るとしても それでよいとは誰も思っていない。オドシなる意志行為がよいとは誰も考えていない。――というような思弁としてだけだとしてもの意志自由が 人間にはもともと自然本性においてそなわっている。と言えるか? ◇ネコは《エポケー・判断停止》状態。 感情や本能、欲望というものが、人に自然本性として備わっていないのであれば、そうではないと言えるのですが、 あるんだモノ。。。 ☆ 8. ということは 人間の意志には 好ましい(または中立の)内容としてのハタラキと好ましくないオドシとしてのハタラキとがあると帰結しうるか? ◇認めないといけないのでしょうね~。 ☆ 9. オドシなる意志を発揮するのも 自由意志としての意志行為ということか? ◇YES。 ☆10. 重力は 中立か? ◇重力は、自由を束縛する力ですよ。互いに引き合う力です。中立は、ありえないのではないでしょうか? ☆それとも 初めから世界が決定されていてその中で重力も 決定されているチカラであるに過ぎないのか? ◇重力は、ニュートン、アインシュタイン、どちらの考え方に立っても、質量によって生み出されるんですよ。 質量(人間)が重力〔場〕を作り出すのであって、質量をもった他のモノとの相互作用として、重力が発生します。 《相互作用》ですよ。お互いに影響しあうんですよ、相互干渉可能なんですよ。 このことは、大切なことだと思います。

bragelonne
質問者

お礼

 こんばんは。ご回答をありがとうございます。  Q-2.◇ ニュートン_________アインシュタイン  ☆ ありがとうございます。  ふうむ。わたしには まだむつかしいかも。    ◇ ここで使用されている《時間》という言葉の意味が曖昧です。  ☆ ここでは 《世界 あるいは 社会 つまり 特には人間関係》というような意味です。  Q-3.◇ 有意志的でない行為、無意識的な行為によっても《ユガミ》は生じるのでしょうね。  ☆ まづ 社会におけるユガミというのは 意志がまともに受け取られなかったり ないがしろにされたりすることです。コミュニケーションが なめらかに進まないことです。  負の側面としては 相手の意志を無視することが 暴力であるという場合と通じると思います.  意志行為でない場合に生じるユガミは 場や情況が知らないうちに変わっていたりすることでしょうか。そういったたぐいでしょうか。だとすれば たぶん 意志疎通を修復不可能にするまでには到らないとは思われますが どうでしょう。  ◇ 言葉、言語もシガラミですし  ☆ シガラミは 別の言い方で 飾り あるいは 広い意味の修辞学と言ってもよいかと考えます。クリスマスツリーのカザリです。シガラミのない対話は 樅の木本体どうしで話をする場合です。  すなわち カザリやシガラミが 往往にして コミュニケーションにおけるユガミとなるのではないかという見立てです。  権限や肩書きも カザリ・シガラミだと見做します。    ◇ ~~~~~~~~~~~~~~~~  ただ、ユガミという言葉には、価値が入っていますよね~。  《ヒズミ》。。。  これも似たようなものか。。。  何かいい言葉ないかな~。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ ですから 話し合いにおいて その互いの意志表示にもとづく意見交換が カザリやシガラミによって 解釈や受け取りにおける判断のユガミやあるいは曲ガリをともなうとすれば それは 意志としての重力によって生じた。というふうに捉えています。  意志表示の内容を 低くも高くも よくもわるくも――カザリやシガラミをつうじて――受け留める場合があるというわけです。あんがい中立の概念だと思います。  Q-6.◇ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  《自由意志》の定義次第でしょう。  狭い意味、つまり、本人の行為の選択可能性の有無をもって自由意志を定義すれば、YES。  ・・・  ではなく、  何らかの強制力をもって、他者に自己の意思を強要することは《自由》本来の意味に反する、  と考えれば、  NO、ということになるのでしょうね。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ ここでも 《自由》を中立の概念と見るわけです。言いかえると プラスの(本来の・ふつうの)自由とマイナスの自由とです。  自由意志〔の主体つまり 本人自身〕を抹殺する自由すらあるのが 自由意志だということになるかと思います。  この内容が Q-7、8、9に当てはまると思います。  ☆10. 重力は 中立か?  ◇重力は、自由を束縛する力ですよ。互いに引き合う力です。中立は、ありえないのではないでしょうか?  ☆ そうなんですか。自然のチカラなら 一般に中立であると思っていました。  《互いに引き合う》ことが 自然でふつうで中立であるとは見られませんか? N 極と S 極とが引き合うように 男と女とは 多かれ少なかれ 引き合う。ということが 自然でふつうで中立であると。  カザリやシガラミによって引き合うのは 不自然だと見るわけです。それは 重力にたとえられる意志ではないと。つまりは マイナスの意志のハタラキであると。    ◇ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  重力は、ニュートン、アインシュタイン、どちらの考え方に立っても、質量によって生み出されるんですよ。  質量(人間)が重力〔場〕を作り出すのであって、質量をもった他のモノとの相互作用として、重力が発生します。  《相互作用》ですよ。お互いに影響しあうんですよ、相互干渉可能なんですよ。  このことは、大切なことだと思います。  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~  ☆ つまり 男と女とのあいだの――軽いかたちの――引き合いとしての相互作用 あるいは かたちや振る舞いや思想や心のうつくしさへと引き合われて行く動き(つまり 相互作用) これらは 言わば意志の芸術作品として 人びとそれぞれに互いに作用し合っている。  というふうに捉えているのですが その見方を修正すべきでしょうか。

回答No.1

相対性理論において、重力と加速度は等価である。 その事は、重力場における“重さ”と、慣性質量が いくら精密に測定しても一致している事で証明され ているとされる。 宇宙に1つしか物体がなければ、その運動を決定す るものがないので慣性質量は生じ得ず、逆に言えば 全宇宙の物体の配置によって、慣性質量は生じてい ると言える、というのが「マッハの原理」である。 アインシュタインは、マッハの原理を証明すべく、 重力と加速度の等価性をベースに特殊相対性理論を 拡張したのだが、残念ながらマッハの原理は導けず、 代わりに一般相対性理論を発見したのだ。 なぜ彼が重力と加速度の等価性から慣性質量を導けな かったかというと、彼が否定した宇宙膨張が関わって いたからである。 観察者にとって常に、宇宙年齢光年かなたに光速で 後退するビッグバン当時の輻射の壁が観測される。 つまり全ての観察者は、常に宇宙の中心にいる。 ある方向に移動すれば中心からずれるかというと、 後方の空間が移動で増えた分、前方の宇宙の果ての 後退速度が移動の加速で相殺され、光速による時間 停止が解けて膨張が加速される事で補われ、「常に 宇宙の中心にいる」事を可能にしているのだ。 そこにおいて、運動の前方と後方で全宇宙の物体の 分布の対称性が保たれる時、前方の物体は光速後退 の壁からの膨張=自分の加速の相殺によるのに対し、 後方の物体は、全て自分の加速を加えた相対運動に よるので、相対的運動量の質量への転化という一般 相対性理論によって、後方からの重力が大きくなり、 加速に対する抵抗として慣性質量を発生するのだ (アインシュタイン、惜しい!)。 その前提として、相対性理論において、運動する物 や質量の大きい物ほど時間が遅れる=全ての物体は 異なる速度で時間軸的な運動をしている、という事実 がある。 それは、そうした「物体」が原理的根源において超弦 =光速=時間停止に還元され、その階層現象性を表面 的に捉えた時(=仮想的)に派生する非光速性に依存 しているのだ。 自我仮説(記憶(時間的流れ)=過去=超光速)と時空 仮説(予測(空間的広がり)=未来=光速下)の相補分 化の止揚としてのミンコフスキー空間に生じるライト コーン=虚数関係にある時空軸の等距離面に現れる0 (界面原点)こそ、光=量子=超弦=存在性であり、 『何かあるんじゃないの?』という仮説的な時空の 広がりに対する、「本当な無いんだけどね」という 無の射影なのだ(光速とは、認識体がいかに本質から いかの遠くにあるかによる、0との相対運動)。

bragelonne
質問者

お礼

 ご回答をありがとうございます。  ★ 自我仮説(記憶(時間的流れ)=・・・  ☆ 以下の最後の段落が 人間の視点ですよね。  受け取った(受け留め得た)かぎりでは けっきょく存在という存在は 無に帰すというような結論なのではないでしょうか?  もしそうだとして それでは だから どうだということになりますか? 無に帰すと結論づけたそのあと――なぜなら いましばらくは 表層においてとしても人間という現象を生きているわれわれにとって―― どういう結論が出て来ますか?  それとも 世界はゼロだという命題が最終の結論なのでしょうか?  それとも  ★ 0 (界面原点)  ☆ は けっきょく言わば死んでいるということですか?  質問者からは そういう問いによってのぞむべき回答を明らかにしたことになると思いますが そのように考える筋そのものが間違っているというご回答でしょうか?

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