• ベストアンサー

神様はいますかヽ(´ー`)/

神様がいるよ~って方は、 あなたがいるとする神様の定義(宗教名でもいいです)と 神様がいる理由(存在証明)を教えてください。 神様なんていないよっ~て方なら不在証明を。 私は一般的な宗教そのものに疑問を持っていたので 神様がいるとされる方の理由を知りたくて 質問しました。 回答内容に疑問が浮かんできたら お礼のなかで再度質問させてくださいね。 頭が悪いので分かりやすい言葉で お願いします。ヽ(´ー`)/

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.59

おっとり刀で参加させていただきます。 基本的には【神を信じる】ということは論理性放棄に過ぎないと考えています。 ◇ 人智の及ばぬ宇宙の摂理に基づき人間の言動も含めた森羅万象の起承転結は営まれています。 そして『人智の及ばぬこと』を怖れ、何とか『及ぶこと』にしたいという欲求を人間は持ちます。 これを論理的、あるいは科学的に解明するには時間が必要ですし、ひょっとすると永遠に不可能なことかもしれません。 不安のあまりそれを待ちきれず、論理的(科学的)解明を放棄して「人智の及ばぬ宇宙の摂理」を神と名付けることで納得しようとした、ということだろうと思います。 わからぬことは「神の御業」と言えば済むのですから安心できるわけです。 つまり、全てを理解する能力を未だ持たない人間が拙速に全てを理解(把握)したがる結果として神が捏造されたということです。 理解できないものを強引に理解した気になる、という点で宗教ほど傲慢なものはないだろうというのが私の見解でもあります。 それは、人間の精神の可能性をひたすら矮小化する結果をもたらしているように思います。 必要なのは 「わからないものはわからないものとして」 「全てをあるがままに」 見つめる勇気でしょう。 ただ、方便と割り切っての宗教は認めたいと思います。 宇宙の摂理という我々には理解不能なことがある、という大前提を認めた上で、それを便宜上「神」と呼ぶことに何の差支えもないからです。 似ているようですが、「神こそ宇宙の摂理」という思考手順とは正逆のものと言えるでしょう。 ◇ 「神様」と呼びたいような現象や人が存在した、あるいは存在する、ということはあるでしょう。 ただ、それも「宇宙の摂理」の一部にすぎないわけです。 この一部と全部を同一と見做す大きな論理破綻によって人間が生み出したものが宗教であり「神様」と言えるのかもしれません。 「不在証明」としては、 『大いなる未知を超えるものは存在し得ないから、「神」という名称が与えられた時点で最早「絶対的な存在」ということはできない。 しかし、その絶対性ゆえに名付けられたのが「神」という呼称であるはずだ。 結果として矛盾が生じ、「絶対的存在としての神」は存在しないことになる』 といったところになるでしょうか・・・。 「大いなる未知」自体を神と言うのだ、という声もありそうですが、なぜその未知に神という呼称を与えなければならないのかという疑問に対する答えは恐らくないと思われます。 まず最初に神がいた、という考え方もありそうですが、【「最初」の前】はやはり「未知(あるいは無)」であったはずですから、たとえ神と言えども未知の宇宙摂理を凌駕することはできないということになります。

mogurayama
質問者

お礼

こんにちは。 お仕事の関係でお返事が遅くなりました ごめんなさい。 久々の神様不在さんですね。 すっすごくわかりやすい!! 非常に分かりやすく教えていただいてありがたいです。 文章のまとめ方も圧巻ですね(゜Д゜;) 回答ありがとうございました。 そんなhakobuluさんに伺いたいです。 人は社会性のある生き物でコミニュティを 作って生きたがります。 圧倒的多くの人類が、今まで宗教を通して 善悪の基準や道徳を教わり受け継ぎます。 宗教に変わる道徳心を育むとしたら 何に求めるべきだと考えますか?

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その他の回答 (79)

noname#31063
noname#31063
回答No.70

返礼ありがとうございます。 え~自分は何番だったか お礼大変なのですから この回答にお礼はしなくていいです。 補足で聞き流してください。 武者小路実篤(むしゃのこうじさねあつ)!  確かに難しいお名前です。 でも明治の頃の思想家にしても 専門用語も一切なく 大変砕けたわかり易い文体ですので、 小学生でも理解できます。 本文からの抜粋です。 「人間は神がつくったということは僕は信じられない。 神がつくったものとしては人間は無常過ぎ、 不完全過ぎる。 しかし自然が生んだものだとしたら、 あまりにも傑作すぎるように思うのだ。」 こんな感じです。 大丈夫です、サラッっと読めるのに深いです。 私が読めるのですから~。

mogurayama
質問者

お礼

たびたびの回答ありがとうです!! 「友情」くらいしか知りませんでしたが 武者さんは、白樺派ですか。 了解しました。・×・)ゝ 探してみます。 「人間は神がつくったということは僕は信じられない。 神がつくったものとしては人間は無常過ぎ、 不完全過ぎる。 しかし自然が生んだものだとしたら、 あまりにも傑作すぎるように思うのだ。」 いいセリフですね~

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  • tuort_sig
  • ベストアンサー率19% (17/87)
回答No.69

は~い元気ぃ?久しぶりぃ~ヽ(´ー`)/ あたしは神様はいない派なんだけど、 >神様なんていないよっ~て方なら不在証明を。 っておっさってますケド、”不在証明”って具体的に何ですか?それをまず教えてもらわないと、手の施しようがないのねヽ(´ー`)/ 頭が悪いので分かりやすい言葉で お願いしま~す。ヽ(´ー`)/

mogurayama
質問者

お礼

どもども、その節は!! 神様いますの方々が増えてきてますので tuortsigさんのご意見ももう一度ほしいところですよ♪ 不在証明ですね。 う~ん。 「神様がいないとするならどのような理由でいないといえるか、どうしていないといえるか」 ってことですね。 ですが、「いないとした方がよい」 とか「いたら酒を酌み交わしたい」 とかでもかまいません。 最初は、私が神様に否定的な立場であるために いないのは当然で、 「いることの証明」を質問しようと思ったのですが、 いるとされる方からしてみればいないことを 証明してみてほしいと思うかも・・・ ってことで両方の回答を望みました。(下手な文章だ) 不在の証明の難しさはNo.10さまがおっしゃるとおり です。 それでもNo.66さまのような意見もございます。 もちろんtuort-sigさんの前回のご意見も十分回答に なっております。 過去の歴史を思うと宗教の貢献度は、微々たるもの ではないかと私も思ってしまいます。 ちなみに私はもっと頭がわるいので このお礼で伝わらなかったらごめんなさい。ヽ(´ー`)/

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  • Aselia
  • ベストアンサー率14% (24/163)
回答No.68

います。全ては自分の心の中に。 簡単に言えば自分のストレスの捌け口としての存在として、客観的に物事を見たい時の視点としての神が。 そして私は多神教ですね。 信じてもいませんが存在している事を確信しています。 絶対神などいないと理解していますが、瑣末な神は存在していると思います。 信じれば其処にどんな神であろうと存在し、信じなければ例えイエスキリストであろうと存在しないと言う事です。 どちらも正しい事であり、間違っている事。 矛盾こそが人間の本質ですから、これが正しいと私は思います。

mogurayama
質問者

お礼

遅くなりました~ 回答ありがとうございます♪ 人の感性の中で存在するという意味での存在ですね。 なるほど良く分かりました。 そうですね。心の中に思えば存在するという回答者様 もいらっしゃいますね。 <矛盾こそが人間の本質ですから、これが正しいと私は思います。 では、矛盾しているこの状態がAseliaさんにとって 良い状態とお考えになりますか。

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  • tokytime
  • ベストアンサー率37% (43/114)
回答No.67

No.73です。 たびたび申し訳ありません。 NO.61にたいする以下の疑問についての回答です。 (ご質問) 神の愛についてもやや抽象的です。 No31様の回答でカブトムシの例を書きましたが 神様に人格がある証拠もないです。 かりにあったとしてもそれが、 性格の悪いきまぐれやさんかもしれないのです。 我々の世界は、とてつもなく大きな人達の国の 大学の実験室のビーカーのなかであり その大きな大学生が我々の世界を作っているかも しれません。 それを否定する根拠は我々の内には無いと思います。 神が偉大かどうかは我々には分からないはずです。 いかがでしょうかヽ(´ー`)/ (回答) 以前、私は回答中で以下のことを述べました。 (No.34において) 色々な宗教や多神教にタイプの違う神々が出てきますが、すべて創造神の一部の霊的存在だと思います。 そういう意味では人も神のエネルギー(霊)の一部といえると思います。 そのような偉大な創造神が制限のある人の姿をしているわけは無く、当時の人々が自分たちに理解できるかたちとして人の姿をした神を想像したのだと思います。 (No.38) そのエネルギーをも含めて自然の摂理を「神」と称するのだと思います。 神=自然の摂理+霊的エネルギー とでも書けば分かりやすいでしょうか。 (No.61) 神の定義; 神とは宇宙を貫く法である。 神とはあらゆる生命の背後にある創造力である。神とは完全な愛であり、完全な英知である。 神とは宇宙のありとあらゆるところに瀰漫(びまん)した存在である。 神はあらゆる生命を満たし、あらゆるものの内部にあり給う。 神はおおいなる霊であり、生命であり、愛であり、又ありとあらゆる存在するもののすべてであり給う。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 以上のように私は神を自然の摂理であり、法則だと思っており、人格のある神とは考えておりません。 むしろ、人格のある神の存在の理由は、当時の人々の理解では人のような神しか想像出来なかったからでしょう・・と説明しております。 但し、霊的存在をみな神と称する方法を採用している方にとっては人格的存在(その人にとっての神々)はあるかもしれませんね。 私は「多神教の神々」と「自然の法則としての宇宙の創造エネルギーとしての神」とを区別しています。 質問者様が誤解をされているようですので、補足させて頂きました。

mogurayama
質問者

お礼

たびたびありがとうございます♪ なるほど、確かに私は誤解しておりましたね。 <私は神を自然の摂理であり、法則だと思っており、  人格のある神とは考えておりません。 以前に 愛であることを言及されていたので 愛という性格を持っているものと解釈しておりましたよ。 そうすると霊的エネルギーにも人の言うところの 性格は持っていないわけですね。 人がそれをどう感じるかは別としてですよね。 ようやくtokytimeさんの言わんとすることが理解ができてきましたよ。 神=自然の摂理+霊的エネルギー 私がつかめないのは、先にも書きましたが 「+霊的エネルギー」ってところですね。 私の感覚だと、この地球を司る者を神と呼びたいのなら 神=自然の摂理 だけで 十分だと思うのです。 もう一度tokytimeさんの回答を見直しときますね。 補足ありがとうございました♪

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  • tokytime
  • ベストアンサー率37% (43/114)
回答No.66

No.61です。 いつも丁寧なお礼をありがとうございます。 さて、「霊の証明を・・」というご要望ですが、物理学的な証明をお望みなのでしょうね。 物質ではない「霊」を物理学的に証明するのは、現在の物理学では無理だと思われます。 霊のエネルギーの一部が感情だといわれていますし、体験上私もそうだと思います。 強い感情の持ち主は、周囲の人に少なからぬ影響を与えます。 部屋の中にある人物がはいてきた途端、部屋の雰囲気がガラリと変化するというのは実際にある話です。 また、カリスマ性といわれる言葉もこのエネルギーの強さを表す言葉だと思います。 「洗脳」という言葉がありますが、ある人物を数名の人が取り囲み、同じ思念、思想を繰り返し送り続けることでその人が本来持っている思念の質を変えてしまおうというものです。 「雰囲気」という言葉がありますが、質問者様は雰囲気の違いを感じたことはありますか。 ごみごみした下町と例えば高野山のような霊場といわれる神社仏閣のあるところとでは雰囲気が全然違うとは思いませんか。 感情にも愛、慈しみ、同情、憎しみ、恨み、・・色々ありますが、殆んどの人が感覚的にこの言葉の違いを理解していると思います。 どの感情をこめて話すかで、受け取り手は全く同じ言葉を全く違った感情で受け止めます。 このことも殆んどの方が体験済みだと思います。 さて、この「感情」「雰囲気」は誰でも感じとれるのではないでしょうか。 でも、一般人には物理学的には証明出来ないとおもいます。 物理学的に証明できないからといっても存在しないことにはなりません。 第一物理学自体、実験を繰り返し、それがいつも同じ結果であることをもって証明としていると思います。 つまり、裏付けです。 実験の繰り返しによって結果がいつもある一定方向をさす場合、それを法則としていると思います。 この手法を用いて「霊」の科学的証明を試みている、きとくな科学者の著書がありますので紹介します。 人の魂が輪廻転生していること示唆したものです。 http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-NIPS=9980196556 http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4899760396.html 米の精神科医の医学的アプローチからの著書です。 http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4569569323.html 参考になれば幸いです。

mogurayama
質問者

お礼

お礼が遅くなって申し訳ないです。 またまた回答ありがとうございました~ 私のはみ出した質問にもお答えくださいまして ありがとうございます。 参考文献もにわかに信じがたい内容ですねえ!! 「雰囲気」「感情」たしかになるほどと思いかけましたが、 それって目隠しして耳隠しして箱の中に つめられても分かっちゃうものでしょうか。 やはり、聴覚や視覚、心理学に思えるのです。 物理学上証明不可能なものを物理学的に回答を 求めようとする本もちょっと不可思議ですね。 tokytimeさんの回答いつも私には理解しがたいものですし、 私は、いつものごとく反論ばかりですが 文章は非常にやさしく分かりやすく読みやすいです。 ありがとう♪ ぜひ今後も、私のような否定的なものに出会っても 上からの目線でなく同等の目線でやさしく 理解してくださるとmogurayamaはうれしいです。 それではヽ(´ー`)/

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  • katyan
  • ベストアンサー率9% (201/2029)
回答No.65

>おおよその理解や研究を重ねた上で始めて物事を 信頼するという行為は そうですね。研究しても意味がない、ほかのクリスチャンに聞いても意味がない。なぜならそれぞれ違う人生を歩んでますからね。だから自転車に乗れてから乗ろう!なんていう人はいないよね。 だからいくら考えても無駄! 永遠の命なんて考えることができないからね

mogurayama
質問者

お礼

御礼遅くなってごめんなさい (T∇T) ウウウ 今度は自転車の例ですね^^ それにも異論がありますが・・・ <だからいくら考えても無駄! なるほど 思考を停止することでしか出会えないわけですね。 了解しました。 私としてはその神様には会いたくないですね。 私は私が考えることで・・・考えを持つことで 私自身が存在しているので 私のアイデンティティをなくすことは すなはち私であることをなくすことにります。 回答ありがとうございました♪

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noname#31063
noname#31063
回答No.64

no.46です。 理論的に説明するのは下手っぴなのもありますが、 言葉足らずを補足する意味で、 神経について話します。 返って難しく受け取れたとしたら、 それは私では(全く)なく mogurayamaさんの思考が高次元だからです。 >>神の存在も世界も自己も意義があるとしたら 善悪や美醜の定義を超えた「快楽」というものだと。 快楽そのものは単独での存在ではなく、受動的や能動的に感じるものですね。感じる、表現する人間がいて初めて意義が生まれます。 快感は神経があるから感じるけれど、 日常で感じる心地よさや萌え?とは別に 充実感、使命感、達成感、深い感謝感動 などが起こった場合に感じるのが「快楽」で、 意志によって予見しえる場合もあるかもしれませんが、 制御は出来ませんね。 「神経」は神様への道 という意味でつけられたような気がするので、 この神経は怠慢や贅沢三昧をすると 本能や自律神経を鈍らせるようなもので、 快楽が動機でなくなり、目的にしてしまうと 向上心と離れて不平不満を増やしてしまう。 神様と生命を結ぶ絆が「愛」 という最高の知性なのだと思います。 苦痛や不快を感じることも 本能が危機を実感させて生を謳歌させようとし、 死ぬことが楽でないように仕向けて 助け合ったり、自ら希望を見出させようと しているのだと思います。 生きることより死ぬのに苦痛がなくなれば 人間の生は、感性では不平不満が多過ぎて 絶滅の一途を辿ってしまいます。 神様は各人何を快楽に置くか、自由であるでしょう。 しかし、快楽、快感を独占するより、そもそも単独で存在しないもので、やはり素敵な人との接点に見出すものだと 今のところ感じています。 詳しくは私のバイブルである『人生論 愛について/武者小路実篤』を読むと快楽が解ります。 ★結論★ 神様は実感させる人間として平然と多数実在する。 しかし人間を快楽へと兆発させているのは 神経の優れていることが目的ではなく 初めの条件としてである。

参考URL:
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4101057133/qid=1148600650/sr=8-1/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl/249-5110195-2279550
mogurayama
質問者

お礼

たびたびの回答かりがとう♪ お礼が遅くなりましてもうしわけない。 むずかしいですなあ。 自分の読解力を恨みまする。 <神様は実感させる人間として平然と多数実在する。 これは 神様=実感させる人間 ということでしょうか <神様と生命を結ぶ絆が「愛」    という最高の知性なのだと思います。 「愛」が最高の知性なのですね。 そして「愛」=「神様と生命を結ぶ絆」なのですね。 武者小路実篤ですね。う~ん。暇があったら 読んでみまする。難しそうなのね・・・ ありがとでした♪

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回答No.63

わたしは、神様はいると思います。 1人なのか複数なのか、全知全能なのかそうでないのかわかりませんけど。 もし、神様が人間の考えたものなら、神の概念が存在しない文明があってもいいと思うので。 あまり歴史は詳しくないので、実は昔は神の概念がないところがあったのかも知れませんけど。 それに、ある日誰かが神の概念を発明して、 それが世界中に広まったのかも知れませんし、いまいち確信は持てないでいます。

mogurayama
質問者

お礼

こんにちは♪ 確かにおっしゃるとおり過去から現在に至るまで 神様の存在自体を意識の外とする文明や文化は 生まれていないように思いますね。 <神様が人間の考えたものなら、神の概念が <存在しない文明があってもいいと思うので。 神様を道具とするなら便利なのでひろがっちゃいますよね。 火をおこすというのは人が考え出したことですが 全世界的に広がっています。それと同じ感じでしょうか。 まあ神様の定義にもよりますよね。 回答ありがとうございました!!

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回答No.62

ごめんなさい。直接の回答ではないかもしれません。 これまでのみなさまの議論では、私から見て、「神」の存在証明らしいものはありませんね。 そして、これは、今とこれからの大勢になっていくでしょうし、そのことは当然と思います。 宇宙の法則を人間は問い詰めていく科学の手を決して緩めてはいけませんから、当たり前のことと思えます。 さて、その中でも宗教に心の救いを求めたいという欲求はけっして少なくなってもいません。ここにギャップを感じます。 科学の最先端をきちんと理解できる人で、能力主義の権化である資本主義の最終段階で労働させられることに適した人はストレスを感じないかもしれません。 しかしながら、この社会で抑圧に苦しむ人、社会的差別や病苦、ましてや基本的な労働で苦しみ、この現実の社会で苦しんでいる人は多くいます。 この苦しんでいる人にとっては、この社会の変革、共産主義社会の実現しか、根本の苦しみの根源から逃れられないというのが、自然科学だけではなく、社会を科学した共産主義者たちの科学の到達点です。 たしかに、宗教は科学が未発達な段階での哲学でしょう。 しかしながら、人間の本性(私が思うところです)に根ざした、同胞愛や人類愛を科学的な手法抜きでも説いているところに共感者さまが多くあると思います。 おかしな宗教的制約するのもありますが、集団的生活をしていく種としてのホモサピエンスに大切な基準も教えてきたかとは思いますよ。 僕などは目的論的思考と言われても仕方ないのですが、結果がよければいいと思っています。 立派なことを言っていても宗教とかわらない北朝鮮などはとんでもないと。(でも同じくらい天皇制は唾棄すべきと思っています。) 信じることで、みんなのためになる行いをすること、他人の事をわがことのように思いやること。とても、たいせつですてきなことと思います。そういうすてきなひとたちとは協力し合っていい社会を作っていきたいと思います。 後世に影響を与えた宗教家の方々は、それぞれに、その時代の中で立派に先駆的な愛を伝える方々だったと思い、尊敬しています。 私の場合ではイエス様の伝承による愛を素晴らしいものと思っています。 旧約の世界創造や反進化論はバチカンも限定的解釈に踏み切り、和解が近いものと思っています。 「神」概念自体は、必要とされる方には必要なもの、しかしながら、けっして、それを必要としないものには強制してはいけないもの、と思います。 信仰や思想信条の自由は大切と思います。ですから、私は公的には相対的立場をとっていきます。 信じる方にはある。信じない方にはない。 議論で詰めきって、他方を切り捨てることよりも、共同で良いことをめざしていきたいと思います。 ごめんなさい、議論、詰めきり反対で妨害だったかもしれませんね!

mogurayama
質問者

お礼

こんにちは! 返事が遅くなりまして申し訳ないです。 お礼が届くことを願っています。 非常に真摯な気持ちが伝わってきますね。 おっしゃるとおり方法論としての宗教の 役割は多少ならずありましたね。 我々の道徳観には仏教もキリスト教も 溶け込んでいます。しかし功罪を考えると 罪の方が多いようにも思います。 「多くの人々が精神的に幸せを感じる社会」が 良い社会だと考えられている世の中。 その手段に宗教や、様々なイデオロギーが 発明されてきました。 より良い選択はどれになるのでしょうかね。 人それぞれバラバラの選択をすることが 結果的に争いを起こしてますよね。 求める先は同じものなのに・・・ 非常に悲しいことですね。 回答ありがとうございました♪

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noname#241887
noname#241887
回答No.61

私は存在証明側でも不在証明側でもありません。敢えて言えば“神に関与しない”側です。神がいたとしても信じるに値しないと思っています。疫病神であれば人間でもなれますし八百万の神ならどこにもいることになります。また、神も仏もいないと嘆く人にとってはどこにもいないか、ただの役立たずかもしくは傍観者なのでしょう。 現存(神話や宗教など概念的に)する神が人間の創造だというのには賛成します。神は人間の超越存在なのだから人間ごときに隅々まで想像できるはずがありません。(いれば) 神様がいるとする方は、客観的に見て、善かれ悪しかれ神様を「使っている」のだと思います。

mogurayama
質問者

お礼

回答遅くなりごめんなさい(ノ_・、)グスン なるほど~ <神は人間の超越存在なのだから人間ごときに <隅々まで想像できるはずがありません。(いれば) そうですね。想像できちゃうようですと 結構目立ちたがり屋さんですかね。 神様を使っていると言うとこ激しく同意できまする。 どんな人:経験者  と言うところが非常に気になりましたヾ(´○` )

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