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神様はいますかヽ(´ー`)/

tokytimeの回答

  • tokytime
  • ベストアンサー率37% (43/114)
回答No.67

No.73です。 たびたび申し訳ありません。 NO.61にたいする以下の疑問についての回答です。 (ご質問) 神の愛についてもやや抽象的です。 No31様の回答でカブトムシの例を書きましたが 神様に人格がある証拠もないです。 かりにあったとしてもそれが、 性格の悪いきまぐれやさんかもしれないのです。 我々の世界は、とてつもなく大きな人達の国の 大学の実験室のビーカーのなかであり その大きな大学生が我々の世界を作っているかも しれません。 それを否定する根拠は我々の内には無いと思います。 神が偉大かどうかは我々には分からないはずです。 いかがでしょうかヽ(´ー`)/ (回答) 以前、私は回答中で以下のことを述べました。 (No.34において) 色々な宗教や多神教にタイプの違う神々が出てきますが、すべて創造神の一部の霊的存在だと思います。 そういう意味では人も神のエネルギー(霊)の一部といえると思います。 そのような偉大な創造神が制限のある人の姿をしているわけは無く、当時の人々が自分たちに理解できるかたちとして人の姿をした神を想像したのだと思います。 (No.38) そのエネルギーをも含めて自然の摂理を「神」と称するのだと思います。 神=自然の摂理+霊的エネルギー とでも書けば分かりやすいでしょうか。 (No.61) 神の定義; 神とは宇宙を貫く法である。 神とはあらゆる生命の背後にある創造力である。神とは完全な愛であり、完全な英知である。 神とは宇宙のありとあらゆるところに瀰漫(びまん)した存在である。 神はあらゆる生命を満たし、あらゆるものの内部にあり給う。 神はおおいなる霊であり、生命であり、愛であり、又ありとあらゆる存在するもののすべてであり給う。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 以上のように私は神を自然の摂理であり、法則だと思っており、人格のある神とは考えておりません。 むしろ、人格のある神の存在の理由は、当時の人々の理解では人のような神しか想像出来なかったからでしょう・・と説明しております。 但し、霊的存在をみな神と称する方法を採用している方にとっては人格的存在(その人にとっての神々)はあるかもしれませんね。 私は「多神教の神々」と「自然の法則としての宇宙の創造エネルギーとしての神」とを区別しています。 質問者様が誤解をされているようですので、補足させて頂きました。

mogurayama
質問者

お礼

たびたびありがとうございます♪ なるほど、確かに私は誤解しておりましたね。 <私は神を自然の摂理であり、法則だと思っており、  人格のある神とは考えておりません。 以前に 愛であることを言及されていたので 愛という性格を持っているものと解釈しておりましたよ。 そうすると霊的エネルギーにも人の言うところの 性格は持っていないわけですね。 人がそれをどう感じるかは別としてですよね。 ようやくtokytimeさんの言わんとすることが理解ができてきましたよ。 神=自然の摂理+霊的エネルギー 私がつかめないのは、先にも書きましたが 「+霊的エネルギー」ってところですね。 私の感覚だと、この地球を司る者を神と呼びたいのなら 神=自然の摂理 だけで 十分だと思うのです。 もう一度tokytimeさんの回答を見直しときますね。 補足ありがとうございました♪

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