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神とは何ですか?

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お礼率 73% (210/284)

902さんの質問「神は死んだ。」のなかで神の定義が話題になっています。
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=75125

「神を信じますか」という問いは、よくもちだされますが、問う人も
問われる人も、神という言葉の意味・定義・解釈・語感が、まったく
まちまちであるという感想を昔から持っていました。

皆さん、神とは何だと思われますか。

学問的な答え、個人的な考え、もちろん宗教的な教えも、
なんでもいいです。いろいろ聞かせてください。
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回答 (全32件)

  • 回答No.16
レベル4

ベストアンサー率 0% (0/2)

 「神」は不確かさから生まれたのではないかと私は思います。不確かさは不安を生じさせ、人はどうにかして不安を解消しようとします。「戸締りしてきたかな?」というような不安は、確認すれば解消することができますが、確認しようのない不確かさに基づく不安は、忘れてしまう以外、いつまでたっても解消されることはありません。そこで、そうした不安を解消する装置として、「宗教」「神」が発明されたのではないでしょうか。「宗教」とは、一言でいえば、人間の理解できないものを説明する説明体系だと言えるでしょう。「宗教」はその不確かさを「神」を用いて説明し、不安を解消します。「科学」もまた、説明体系として同様に不安を解消する機能を持っています。「宗教」と「科学」は同じ「説明」という機能を持っていますが性格を異にしています。

 「宗教」は、その性格を端的に表すならば、「絶対的主観」と言うことができます。「宗教」の根幹には、独自のドグマ(教義)があり、それ自体が成立する、しないという議論を受け付けません。「神」を信じる「宗教」においては、「神」がいるとか、いないという議論は受け入れられられず、論じるまでもなく「絶対に神はいる」のです。しかし、それは主観でしかありません。

 「科学」を、同様に表現すると「相対的客観」と言うことができます。「科学」は現在まで、様々な「理解できないこと」を説明してきましたが、決してそれが最終的な答え(真理)だとは主張しません。もし、これから、より相応しい理論が確立されれば、その新しい理論に道を譲るでしょう。しかし、その理論もまた絶対ではありません。前の理論と比較して、より相応しいというだけにすぎません。いつまで経ってもその繰り返しです。

 mori0309さんの言葉を借りるならば、
 「詩的真実」は絶対ではあるけれども主観でしかない。
 「科学的真実」は客観ではあるけれども相対でしかない。
 そして、どちらも正しい。

 要するに「神」は、いる人にはいて、いない人にはいない。そして、「科学」では「神」はいるとも言えないが、いないとも言えない。だから、普段「神」の存在を信じていない人も「困ったときの神頼み」なんかするんじゃないでしょうか。こんなありきたりな結論を書くのに長々と書いてすいません。
お礼コメント
mori0309

お礼率 73% (210/284)

hdkさん、回答ありがとうございます。お礼が遅くてまことに申し訳ありません。

 宗教と科学のちがい、そのスッキリとした解説。たいへんうなずけるものが
あります。

 が、主観と客観がどう違うかということについては、考えれば考えるほど
わからなくなります。「自分だけの目」と「大多数の他人の目」それが主観と
客観のちがいでしょうか。人間などの認識者がこの宇宙からいなくなっても
客観は存在するのでしょうか。それとも消滅するのでしょうか。客観とは何で
しょう。それは本当にあるのでしょうか。

 主観と客観。自分と他人。人間と神。これら問題にはなにか底辺で通じるものが
あるように感じています。本当は分離不可能なものではないかと・・・・・
投稿日時 - 2001-05-28 11:53:16
  • 回答No.4
レベル9

ベストアンサー率 21% (23/106)

これは個人的な考え方ですが、人間はなぜ生まれてきて、何をすべきなのかという問いに対する、一つの回答を提供するものでないかと考えます。創造主(神)の立場に立って考えてみますと、人間を含めた創造されたものには、創造されてよかった、生まれてきてよかった、創造主に感謝したいという感情を持ってもらいたいと考えるのではないでしょうか。自分の子供に「なんで生んだんだ」と呪われるよりも「生んでくれてありがとう」と感謝されたいでしょう。神のために人間はなにをなすべきかというと、感謝すべきだと思うのです。では心から感謝するためには、自分が幸せにならないと感謝できないでしょう。では幸せになるためには?これは非常にメンタルな問題であるので、人それぞれだと思いますが、普遍的な方法として「愛すること」(アガペでしょうか)というプロセスが有効であると思います。自分を含めたすべてのものを愛することによって幸せになる可能性があると思います。この考え方でいくと、人間は愛する為に生まれてきて、愛し続けるために生きているということになりますでしょうか。私は、このような考え方をするために神が存在するという前提を置く必要があると思うのです。
お礼コメント
mori0309

お礼率 73% (210/284)

JunkMasterさん、ありがとうございます。

> 自分を含めたすべてのものを愛することによって幸せになる可能性があると思います。
> この考え方でいくと、人間は愛する為に生まれてきて、愛し続けるために生きていると
> いうことになりますでしょうか。

同感です。愛という言葉はどうも通俗化しすぎている気がしますが、やっぱり愛は愛ですね。
そして「愛」は「好き」とは、まったく違いますよね。
(なんか哲学の部屋にふさわしくない話になりそう・・・)

> 私は、このような考え方をするために神が存在するという前提を置く必要があると
> 思うのです。

同感です。が、神は、個人に見えてくるもの、感じられてくるものであって、学問上や
思想上の理念ではなく、科学的観測可能な実体でもないので、人々と無理に共有しようと
してはいけないのだ、とも思います。こういうと神はただの個人の幻想ということに
なってしまうでしょうか。

美が概念ではなく実在ならば、神もまた概念ではなく実在である。私はそう思います。
数学者にとって数が実在であるように。
投稿日時 - 2001-05-17 02:52:38
  • 回答No.19
レベル5

ベストアンサー率 0% (0/2)

***補足***

「個」と「公」の問題についてです.
某大某教授(かなり有名な人)は,
<私>と<私たち>の両義性について述べておられました.

授業のレジュメを渡せればよいのですが,無理そうですね.

個と集団とに対して現象学的なアプローチをなさっています(よく解んないけど).

自分の自我が形成される中で,新しい自我が何の影響を受けているかと言うと,
母親を始めとする外界にある集団でしょう.
そして私たちが成長すれば,逆に集団の考え方などに影響を及ぼし得る.
集団に影響できる頃でも,もちろん集団から影響されることもあります.

そうやって連綿と時間の中に紡がれていく様を見ると,
<公>に心を開くのは一種の<祖霊信仰>と言えるかもしれません.
ですが,よくよく考えると,何も,成長して公に大いに影響を与えた後でも,
公から影響をこうむることもありうるので,
「祖」だけとは限らず,<霊信仰>と言うべきでしょうか?
(って自分でもよく解ってないかも)
当然,ここでは「霊」も「信仰」も比喩と捉えた方がいいでしょうけど.

※ここで,社会実在論と社会名目論の対立を問題にしたり,
 人間が前時代の人々の考えに規定されるなら,自由は全くないと言ったり,
 そんなことをしたいわけじゃないです.

では.
お礼コメント
mori0309

お礼率 73% (210/284)

reneさん、再回答ありがとうございます。

> <公>に心を開くのは一種の<祖霊信仰>と言えるかもしれません.

 国家や民族に魂があるだろうかと、ときどき考えます。文学的には
「ある」と考えてよさそうですけど、科学的にはまったく相手にされ
ないですね。でもサッカーのあの熱狂ぶりを見ると、私たち個人は、国家や
民族という巨大な魂の分霊ではないか、それもかなり実体性のある・・・
なんて考えてしまいます。しかし私はもっと上位の「公」の存在を
信じたいです。ナショナリズムは所詮セクショナリズムであって、多分に
動物的ですから。

 セクショナリズムを克服すればするほど、われわれは神に近づいていく。
(あー、またやってしまった。お許しください)
投稿日時 - 2001-06-10 19:17:03
  • 回答No.21
レベル9

ベストアンサー率 27% (23/85)

>なんだか現世と変わらないですね。

仏教では神も迷いの存在であるとしますので。

>神は、高い立場から人間を支配・統治・裁定・処罰・褒賞するような存在でしょうか。

そういう役割の神が「閻魔大王」とされてます。
人間だけではなく、神をも含めた生けとし生ける者その功徳と罪によって地獄から神々の世界まで輪廻の先を裁量されます。
ですからお釈迦様自身の(考古学的にもかなり確率の高い)言葉でも、輪廻の世界を「閻魔の領域」と表現されました。
本当に閻魔が居るかどうかは別問題として、まあ判りやすい輪廻の仕組みの説明だと思います。
お礼コメント
mori0309

お礼率 73% (210/284)

nekoucchaliさん、再回答ありがとうございます。

> お釈迦様自身の(考古学的にもかなり確率の高い)言葉でも、輪廻の世界を
> 「閻魔の領域」と表現されました。

 この領域は、お釈迦様は関知しないということなのですか。お釈迦様の力でも
閻魔大王の力を捻じ曲げることはできないということですか。閻魔大王は
人格的存在というよりも宇宙の絶対法則という感じですね。だとしたらお釈迦様
という言葉に象徴されているものは何なのでしょう。法則でもない、超越的権力
でもない、もちろん外部人格でもない、、、だとすると、、、「真の自分」だと
思うのですが。
(また、また、また、やってしまいました。しょうのないmori0309です)
投稿日時 - 2001-06-10 19:13:28
  • 回答No.15
レベル11

ベストアンサー率 17% (31/182)

「神」とは、「私」を切り取った「言葉」です。

(注釈:この場合の「私」は僕、caballeroのことでは、当然ありません。
お礼コメント
mori0309

お礼率 73% (210/284)

caballeroさん、回答ありがとうございます。お礼が遅れて失礼しました。

> 「神」とは、「私」を切り取った「言葉」です。

すみません。ちょっと理解できませんでした。「神」は「言葉」にすぎないという
ことでしょうか。全存在・全世界から「私」だけを切り取れば、それが「神」だ
ということでしょうか。
投稿日時 - 2001-05-29 22:33:16
  • 回答No.5
レベル8

ベストアンサー率 16% (9/53)

 「神」または「仏」とはあなた自身です。
 人間は浄化されるために生まれてきます。そのための修行が「生きる」ということです。ただ、浄化の方法を多くの人間は知らないために「神」や「仏」となり得ないのです。
 子どもは「親を選べない」のではなくその親のもとで修行するために「子どもが親を選んで」生まれてくるのです。私たちの出会いや行動はそのほとんどが必然で、親子としての出会いもまた必然です。私たちはすべて選ばれた存在でありそれゆえ、浄化めざして他に優しく己に優しく生きていかなければいけません。
  
お礼コメント
mori0309

お礼率 73% (210/284)

kanakoiyaさん、回答ありがとうございます。

ご回答内容は、すばらしいと思います。美しいと思います。
反論したり批判したりするつもりは毛頭ございません。
(という言い方自体が反論になっちゃいますか。すみません)

私自身はこういうお話はいつも詩的・文学的に受け止めています。
私見ですが人間が何かを信じるときの信じ方には、感性的・文学的なそれと
理性的・科学的なそれと、ふたとおりあると思います。

理性レベルで「生まれる前」や「死んだ後」のことを信じきってしまう
のは、やはり危ないことと思います。

私は詩的真実と科学的真実と、どちらが正しいか、決着をつけないように
しています。どちらかだけが一方的に正しいということはないと思うので。
「正しい」ということの言葉の意味も、詩的な「正しい」と科学的な
「正しい」があり、両方とも「正しい」と思うので。

ご回答内容を誤読しているかもしれません。どうぞご指摘ください。
投稿日時 - 2001-05-17 08:45:16
  • 回答No.11
レベル5

ベストアンサー率 0% (0/2)

回答と言うよりかは,アドヴァイスに近いです.
むしろ,参考と言うべきかもしれません.

ユダヤ-キリスト教の唯一神ヤハウェYahvehについて,
神は全知全能なのに,なぜ人間に困難を課すのか,
と言われますが(言われないかも……),
ちょっと考えてみました.

ここで<神>を,あらゆるものを完璧に向かって存在させる可能性を持つ力と考えます.
それで,<神>を不完全と捉えます(全知全能にこだわるなら,不完全なフリと考えてもOK).

ところで,ウィニコットD.W.Winnicottの考えの1つは次の通りです.

 母親って,子供に欲求不満を出させながらも,
 その欲求不満に全て答えていくのが「ほどよい」んじゃない?
 子供が欲求不満にならないくらい完璧な母親って偶にいるけど,
 それって母親が自分の思いばかり重視して,
 実際には子供の方にすれば,やりすぎなんだよ.

ここで母親⇒<神>,子供⇒<人間>と置き換えてみるとどうでしょう?

 <神>って,<人間>に欲求不満を出させながらも,
 その欲求不満に全て答えていくのが「ほどよい」んじゃない?
 子供が欲求不満にならないくらい完璧な<神>は,
 この地球という世界では,信仰するのにちょっと無理があるんじゃないか?

……というのはどうでしょう?
お礼コメント
mori0309

お礼率 73% (210/284)

reneさん、回答ありがとうございます。お礼が遅くてたいへん申し訳ありません。

 神の正体は、おさないころの父や母のイメージが、こころのなかで内面化した
ものと言えるでしょうか。幼児にとって父はこわい神で、母はやさしい神。全知
全能の。(こういう男女の固定観念はいけないのでしょうけど)

 三つ子の魂、百まで。まことに生まれたばかりの真っ白の赤ん坊にとって、
自分を守ってくれて食べ物を与えてくれる父母の存在は、それはもうとても
とても強くて大きいのでしょうね。

 神を信じるということは、絶対的全知全能者に、すがりついて、庇護をおねがい
するということ・・・・・でしょうか。

 それは違うと私は思うのですが・・・・

(ご回答に対する反論ではありません)
投稿日時 - 2001-05-28 12:26:02
  • 回答No.12
レベル9

ベストアンサー率 27% (23/85)

仏教や神道では単に人間より優れた存在としています。
神道の場合は「神=上」ですね。
仏教の場合、迷いの世界を罪と功徳の度合いで大きく6段階に分け(六道)5段目を人間、それ以上の功徳を持った存在を「天」(dava=神)としています。

更に神の世界も大きく「六欲天」(「人界」も含んで六欲天以下を「欲界」普通の欲に振り回されてる状態)「色界」(まだ物質的な執着のある世界)「無色界」(精神的な執着が残ってる状態の世界)の三段階、細かくは三十三段階に分けられます。

色界や無色界は、非常に徳の高い境地ではありまするが、功徳が尽きると下の世界にどんどん落ちて、地獄にはまる事もあり得るそうです。私は「神は死んだ。」のスレッドはROMだけしてましたが、仏教では神が死ぬのは当たり前なのです。

ちなみに、「六欲天」は割と人間と同じような欲に振り回されているので、謂わゆる「悪魔」も人間より優れた能力を持っている点でこの欲天に属します。
お釈迦様が覚りを開かれんとするときに、誘惑したり邪魔したりしたのが「第六天の魔王」こと「他化自在天」(大自在天)です。他化自在天の名称の意味は「他の快楽を奪って自分のものにすること自在である」と言う意味です。
覚りを開かれる直前のお釈迦様に、魔王が「最上の快楽を与えよう」と誘惑しましたが、その快楽の源はお釈迦様自身の功徳であり、しかも大方を魔王がピンはねすることを見破っていたので、お釈迦様は相手にされませんでした。
お礼コメント
mori0309

お礼率 73% (210/284)

nekoucchaliさん、回答ありがとうございます。お礼が遅れてたいへん申し訳ありません。

 神の世界にも階級や序列があるのでしょうか。人間はこの世で徳をつんだら神の世界へと
すすむのでしょうか。そして神の世界でも「出世」するために頑張らなくてはならないの
でしょうか。なんだか現世と変わらないですね。死んだらまた競争社会だった・・・・
ああ、死にたくなっても死にたくない。(すみません。冗談です)

 ダンテの神曲なんかでもそうですが、あの序列体系はどうも「それはちがうぞ」という
気がしてなりません。神になることは自分のステータスをあげることなんかじゃない。
 神は、高い立場から人間を支配・統治・裁定・処罰・褒賞するような存在でしょうか。
これじゃ俗世の権力者と変わらない。神と人間はそんな対峙的関係にはないと思うんです。

 ご回答に対する反論ではありません。ご回答をきっかけとして考えた妄想です。
投稿日時 - 2001-05-28 12:46:51
  • 回答No.13
レベル6

ベストアンサー率 0% (0/0)

神とは存在だと思います。私も、随分、考えた時期があります。身の周りにある全てのものが、自分の分身もしくは仲間であり、すべてを合わせて神の姿であると思います。神を信じるということは、自分を信じることであり全ての発生する物事に意味があると感謝すること。うーん。こんなことしか言えなくて、すみません。でも、本当に、そう思っているんです。
お礼コメント
mori0309

お礼率 73% (210/284)

ryoumimanさん、回答ありがとうございます。お礼が遅れて申し訳ありません。

> 神を信じるということは、自分を信じることであり全ての発生する物事に
> 意味があると感謝すること

同じ思いです。これはやはり理屈ではないですね。生きていくうえでの心の
姿勢だと思います。それはつねに努力して維持しようとしなくても、こころを
素直にしていれば、自然とよりよいかたちが保たれる。肉体に病に対する自然
治癒力が備わっているように。私はこの、こころや肉体をよりよい方向にもど
してくれる、または、よりよい方向に向かわせてくれる、はっきりとは分から
ない「ある力」、それが神だという気がしています。
投稿日時 - 2001-05-29 22:07:24
  • 回答No.7
レベル13

ベストアンサー率 14% (98/698)

難しいですね。『神』という言葉の意味、定義、解釈、語感、これについて、自分の中だけでもスチエ-ションごとに『神』に対する思いがまちまちです。何かテ-マをあげていただけれると、お答えしやすいのですが・・・・・それほど、『神』とは一口で表現できるものではない、言い換えると、人が都合よくどうとでも扱える代物なのかということです。人が、曖昧にしている部分を『神』という言葉にすりかえてごまかしてしまう、そして、納得する。おかしいですね、でもそのほうが不都合でないからなんでしょうね。
お礼コメント
mori0309

お礼率 73% (210/284)

littlekissさん、いつも回答ありがとうございます。お礼が遅いmori0309です。どうかお許しを。

> 自分の中だけでもスチエ-ションごとに『神』に対する思いがまちまちです。

そうですね。日ごろは「神なんかいないさ」と思っていても、窮地に落ち込むと
「神様、助けて」と祈ったりします。人間ってなんて虫がいいんでしょうね。(私のことです)
「神を信じます」モードにいるときの自分を省みても、神のイメージは、絶対法則であったり
人格神であったり、天の太陽や星であったり、故郷の羽衣の滝であったり、我が子の幼いころの
笑顔であったり、、、いろいろです。

「自分は神は信じない」と言う人でも神という言葉は使いますよね。アインシュタインは
完全な無神論者でしたが、不確定性原理に反対して「神はサイコロ遊びはしない」と言い、
同僚のかなり有名な科学者(誰だったか思いだせません)に「その神という言葉を使うのは
やめてくれないか」と、からかわれています。

人間を超越し、人間の運命を支配するなにかしら大きな絶対的な存在。そういうものは
存在するのでしょうか。それともこの宇宙には人間の理性より高度で自由なものは存在
せず、運命とは単なる確率的偶然にすぎないのでしょうか。
投稿日時 - 2001-05-18 12:28:03
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