• 締切済み

自分が<自分>であることがなぜわかるのか

 言葉で言い表せないかもしれません。自分というものはどうやって成り立つことが出来ているのでしょうか。たとえば、なぜ、私は<私>であって、あなたではないといいきれるのでしょうか。私が自分のことを意識しているということは、どういうことなのでしょうか。自分から出た、ものが自分にかえってくるのでしょうか。自分はなぜ<自分>なのですか?どなたかお答えいただけませんでしょうか?すみません。十分に、この感覚が言語化できなくて。言語化できないことを質問するなど間違っているかもしれませんが、ずっと疑問でした。

みんなの回答

  • cse_ri
  • ベストアンサー率29% (74/253)
回答No.5

質問『自分が<自分>であることがなぜわかるのか』 では逆から考えてみましょう。 本当に私たちは、自分という存在を認識できているのでしょうか。 何かを認識するということは、その何かを自分の対象物としてみる ことから始まります。 身の回りにあるもの、本やペン、マンガ、パソコンなど自分以外の物 を認識することは簡単にできます。 目には見えませんが、電気・空気・磁気といった存在も、それらの 作用を通して認識することができます。 では、自分はどうやって認識できますか。 自分の体は、鏡でみたり、体重計に乗ったりして、確認することができます。 しかし「自分自身」は認識できるのでしょうか。 自分はこういう人間だ、どこで生まれ、どうやって育ち、今何の仕事をしている というようなことを考えることはできます。 しかしそれは「考えられている自分」であって、本当の自分ではないのです。 自分はこうだと考え始めた瞬間、その「考えられている自分」は考えている 主体の自分から離れ、対象的な存在となってしまいます。 「本当の自分」というのは認識できないのではないか、これが私の結論です。 この問題は昔から多くの聖賢たちの論議の対象となっていました。 インドでは何千年も前から、こういう問題を考えていました。そしてその内容 の一部がヴェーダ哲学にまとめられています。 それからギリシャ哲学の祖であるソクラテスもそうです。ソクラテスは若い頃 神託を出すある神殿にいきますが、そこで「汝自身を知れ」という言葉を見て びっくりします。これが大変な難問であることに気づいたからです。そして ソクラテスは、その後哲学者の道を歩むようになります。 では認識することのできない「本当の自分」の正体とはいったい何でしょうか。 インド哲学では「アートマン」[日本語では真我(たぶん)]という存在を 述べていますが、説明が難しいのでここでは省略します。 上記で述べた内容については、「ソクラテス最後の13日」(PHP研究所) で詳しく述べられています。興味がありましたらご一読してみてはどうでしょうか。

  • richan
  • ベストアンサー率20% (6/30)
回答No.4

、  僕もいつぞや、そういうことを考えたことがありました。でもいまは全くそんなこと考えないようになりました。何がきっかけかはわかりません。でもせっかくだし、ここで、何が原因なのかいろいろ仮説をつらつらと、思いつくまま述べていこうと思います。参考にならないかもしれませんが。  Q なぜ自分が「自分」と僕(richan)が分かったのだろう (自問自答)  1.長きにわたる、生きてきて、できたたくさんの思い出。  その頭の片隅にひょいと残っているものが、形にふれることのできない「自分」について、一筋の光にあたるような… (意味ぷー)     まー、自分が自分たらしめるのは、自分の「思い出」とか「経験」ってことかなー。 ☆ピーン(効果音) そう、自分とは、つまり、自分の経験の集合体!!  だからあんまり経験の積み重ねのないころは、自分の実感がないのかったりしてー。    ハイおしまい(なんかDeepになりそうだし)  2.自分の将来について悩み、そのために自分をいろいろ考えた。もしくは、(ハイデッカーさんの実存主義じゃないけど) 死に直面し、もうだめだと思ったときに、助かり、生き延びたことで、「生きる」ということの実感を得た。  実は、僕はいっぺん、人の顔だけが見えなるというおかしなことになり、脳腫瘍の疑いをかけられた体験があります。その日は一日中、言葉にはできない、心苦しさや孤独、恐怖、を感じました。そして一日中、いままでの(十数年の)人生をふりかえりまくって「悔いはないじゃないか!」って結論づけたり、「もし生きれたら、したいこと」を考えまくったり、好きだった人への愛こそが自分の存在意義だと結論づけたり、死んだペットや家族は死ぬときどーだったのだろーと考えたり・・・などなど。  その後、なんか「自分」が確立したような気がする・・・ような・・・しないような・・・  (しかも1.より、さらにDeepになってしまったような) 3.個性が確立した。他人に染まった生き方をしなくなった。 一流学校に進学し、そこでのいわば「エリート」たちに会った。「エリート」は一般にいう「大衆」とは対をなしたもので、全てを自分で考え、常に「大衆」に対して疑いの目を向けていた。自分も彼らの影響を受け、それができるようになってきたから???かな???  ちょっと、時間の都合上ここで切ります。まだ書きたいし、他の方々の回答も見たいです。 ではまた。

  • songbook
  • ベストアンサー率36% (334/910)
回答No.3

もしかして、デカルトさんのお出ましなのでしょうか? 「われ思う、ゆえにわれあり」 森羅万象すべてに疑いの目を向けて、いろんな側面から真実を見つけ出そうとした彼が、欲望を持ったり、感じたりしている自分という対象にだけは、疑いを持とうにも持ちようのないところがある、ということに気づいたそうです。 そこで行き着いた境地、「われ思う、ゆえにわれあり。」 それこそが、自分というものを証明するものである、ということでした。 これを学んだ高校時代は、感動して授業を受けていた記憶があります。20年も前の話です。でも今改めて考えると、多少詭弁臭い匂いも感じる。彼の業績は大きいが、その後も哲学者が同じテーマに挑みつづけたのは、完璧な理論ではない部分がどこかにあったからでしょう。 でも、凡人の私は、このレベルで十分満足です。

回答No.2

こんな事に明瞭に回答できる人いるのでしょうか? 私もykkw_2001さんと同じく「自分が<自分>であることがなぜわかるのか」以前に「自分が<自分>であることがわかっているのか」と思いました。 まあ、少し強引で、回答とも違うちんぷんかんぷんな事かも知れませんが、 popup2002さんをぶん殴って「痛いのは誰だ」と聞きます。 できるのはそれぐらいです。勘弁してください。

  • ykkw_2001
  • ベストアンサー率26% (267/1014)
回答No.1

>ずっと疑問でした。 その感覚は、わからないでもありません。 回答ではないので、申し訳ないのですが。 ご質問の主旨は、「自分は<自分>であることが(わかっている)」ということが大前提ですね。 私は、「自分は<自分>ではない可能性がある」と考えています。 目前にしているこの部屋の風景、さっき食べたサラミソーセージの食感、お湯割ウヰスキィののど越し、すべてがレンタルビデオから写し取った感覚か、精密にプログラムされた電気信号を脳に流し込んでる体感ゲームマシンや医療機器である可能性です。 また、宇宙の意思としての「神」が、小手先で描いた落書きかもしれない。 「自分は<自分>である」とは、<自分>を中心に考えた世界に限定された幻想かもしれません。 #とまぁ、難しい質問には、ワケワカ回答を出してしまうのは、やっぱオレなんだなぁ。 popup2002さんとともに、識者のご意見を待たせていただきたく思います。

popup2002
質問者

お礼

自分は<自分>であることがわかっているということが前提にあるのも不思議です。ないこともあるはずなのにです。<自分>を中心にした舞台にいて、みんな演技してくれているのかもしれません。この感覚が理解できる方がいらっしゃって嬉しいです。ありがとうございました。

関連するQ&A

  • 言葉は自分をはかる?

     たとえば「空は青い」という言葉の意義が知解できるとする。その上で、「で、それがなんなの」という意味反応が自分の中にあるとする。それを知ることが、言葉で自分を測るということ。 時には、「そうだ、そう思う」という意味反応。同じ言葉のものさしがちがった計測値を示す。  意義のレベルでの理解は、感覚的反応がほとんどない。意味のレベルでは「腑に落ちた」ような感覚がある。字義どうりの「空」「青」とは別の意味として「腑に落ちている」場合もある。それは回想を生じさせいるのかもしれない、そしてて、意識は流れていく。  他人のことはよく分からないが、自分のことについては、偽りのない生の反応が感じられるから、まあまあ、測れると思う。  そして、どういう意味反応をする者に、自分はなろうとするかを図ることができるようになると思う。 「言葉は自分をはかる」と、あなたは思いますか?

  • 雰囲気を自分で操れるように思うときがあるのですが

    雰囲気を自分で操れるように思うときってありませんか? 私は人が放つ雰囲気についてとても興味があるのですが、雰囲気について上手く言語化できません。 というのも、雰囲気は無意識化や直観的に受け取っているものが多いからではないかと思います。 なので、今から書く質問もふわっとした表現が含まれると思いますが、もしよろしければ最後までお付き合いください。 私は20代女性です。 雰囲気が操れるように思ったときの具体的な出来事を今から述べます。 ただし、雰囲気が自分で操れるように思えるときは稀で、私の人生においては片手で数えられるぐらいしかありません。 私が高校生の頃、友達とカラオケに行ったのですが、私が友達を笑わせたくてふざけてちょっと変わった曲を歌っているとき、急に自分の雰囲気を操れると思ったことがあります。 そのときのことはなんとも言いづらいのですが、自分の雰囲気(オーラ?)を周りに意図的に広げられて、その広げた雰囲気で友達に影響を与えることができるというように思いました。 そして、今ここでこの言葉を自分が言ったら、絶対に友達は大爆笑するだろうという確信めいた直観がありました。 実際にその通りになり、友達は私の言葉を聞いて大爆笑していました。 もう1つこのようなことで思い浮かぶことがあります。 私は家で猫を飼っているのですが、その猫とねこじゃらしなどで遊んでいるときに、猫がねこじゃらしに飛び掛かってくる瞬間が事前に直観的にわかるときがあります。 また、稀に猫が遊び道具に飛び掛かってくる動作を自分の雰囲気でコントロールできるように感じます。 私はこのように雰囲気を自分で操れるように感じ、その雰囲気で他者に影響を与えられるように感じることがたまにあります。 皆様も雰囲気について、このように感じられるときはありますか? また、雰囲気を自分で操れるということはあり得ることなのでしょうか? 物凄く感覚的な話になってしまい、大変申し訳なく思っています。 ご回答いただけますと幸いです。

  • 自分が誰で何なのか分からなくなることがあります

     お腹が痛いときなど「痛いってどういうこと?」など感覚の追求をして、痛みから意識をそらすことを良くやっていました。  あるとき自分の意識について「どういうこと?」「何?」を追求していくうちに突然自分の存在があやふやになって、それ以来ふとした瞬間に自分が誰なのか分からなくなって、発作のように心拍数が上昇したり過去急のような荒い呼吸になるようになりました。自分がどこの誰なのか分かっているのに、それを「思っている自分」とはまるで別人なんだ、そうなんじゃないかという思いで一杯になります。  とはいっても数秒のことで、本や会話、ゲームなどで意識を逸らせばそれで忘れてしまう程度の事でした。    ですが先日、久しぶりにその発作があって以来、何をしても何をやっても「自分って何?」と発作の引き金になる質問がこびりついて、延々と自分が分からなくなる発作が起こっています。発作の酷さもマチマチですが、正直こんなに長い事は初めてで戸惑っています。  これは精神病なんでしょうか?  もしそうなら心療内科などで大丈夫なのでしょうか?  

  • 「ありのままの自分を認める」とは

    ありのままの自分を認める というのはいったいどういう感覚なんでしょうか。 人を愛したいというのが今の自分の目標ですが、自分を愛することがまず先決だと考えており、 そのためにはどうしたらいいか、を考え、 現在タイトルのことに行き着いています。 「認める」以外でも、 受け入れる 愛する 諦める 悟る などありますが、分かりません。 まさに「分かりようがありません」。 それは、全部これまでの人生で知らない感覚だからだと考えています。 これ以外の言葉で同じ感覚を伝える言葉があれば教えてください。 また、普段の生活で似たような動作があれば教えてください。 よろしく御願いします。

  • 自分さえ良ければって?

    言葉の定義としてなんですが、 「自分さえ良ければいい」と「当事者意識がない」というのは、同じことですか??

  • 自分の身体がおかしく感じます。

    バツイチ子持ちの24歳女です。 元旦那と離婚話をしている時、精神的にまいってしまい、うつ病とパニック障害になりました。 離婚が成立し、発作が出る事はたまにしかないのですが、自分の身体がおかしい気がして、質問しました。 ・物忘れが激しい 自分の言った事した事、相手が言った事した事、かなりの確率で忘れています。忘れているというか、ニュアンスとしては覚えているのですが、細かい事を覚えていないという感覚です。 ・自分の感情にふさわしい言葉がなかなか出てこない 嬉しい、悲しいなど極端な事は分かりますが、どうして悲しいのか、どうして泣いているのかなど聞かれると説明ができません。特にマイナスな面でそういう事が多くあるように思います。説明ができないのという事に焦りを感じ、頭が真っ白になり、何も考えれなくなります。「何も考えれない=分からない」なのですが、それはその場だけであって、後で冷静になった時には「あの時はこうだった」などと考える事は出来ます。でも、説明はうまくできません。 ・会社での電話対応がたまに難しく感じる 事務員として働いているのですが、いつも同じような電話対応をしています。かかってきた電話に出るのですが、決まり文句を覚えて動いているから言葉が出るというような感覚がたまにあり、電話対応をしているのに「私は今何を喋っているんだろう」と思う事がたまにあります。 ・とにかく責められてるように感じる 相手は私を責めているつもりはなく普通に接していたとしても、相手の言動が私の中で少しでもトゲを感じてしまうと、自分の事がすごく惨めに思えてしまいます。それと同時に、相手に申し訳ないという感情がでてきます。何に対して申し訳ないという感情が出てくるのかは分かりません。 ・自分の意見がない 話合いなどの場で、相手の意見が自分の意見かのように思ってしまいます。○○と聞いてどう思う?と言われても、なかなか言葉が出ず、説明ができません。相手の意見に疑問を持たないという感じです。疑問は持ちませんが、相手の意見を聞いた時には「そっか」と思うだけで、その後すぐ忘れてしまいます。ただ頭の中を通りすぎていくだけという感覚です。 高校生の頃は、こんな感覚はなく、口では勝てないと言われていたくらいです。 元旦那との離婚話をしている時、かなりひどい事を言われ罵られ続け、自分という存在が不必要なものなのかと思ってしまうようになりました。 全て私のせい、私がこんな人間だから…と思ってしまいます。 でも、これは口に出したりはせず、あくまで私の中だけで消化しています。 何かの病気でしょうか? 子育ては難なく出来ています。

  • 「空」って?

    仏教の言葉だと思ったのですが??「空」って、どういう「感覚」ですか?自分の意識が無い時、自分はどうやったらわかるのか?・・とか、そんな感覚だったと思うのですが???忘れてしまったので、よろしくお願いします。

  • 男性に質問です…自分に好意を寄せている女性がいたら?

    前にタレントの飯島愛さんがコメントしてた言葉があるんですが「女の方から誘って断る男は まず居ない」って・・・。これは、よっぽどの(言葉は悪いですが、デブとかブスとか…)容姿がそれ程悪くかったら、そして その女性が自分に好意を持っていると知ったら、惹かれたりしますか?最初は友達感覚でも、自分に好意的で 何かそこに特別な感情があるみたいだな・・・って思ったら意識しますよね?それで、好きになってしまう何て事ありますか?自分に好意を寄せていたら 悪い気はしないだろうし、嬉しいと思うでしょう…? やはり 段々好きになってしまたりする事ありますか?

  • 『言語の認識について』

    『言語の認識について』 私はokwaveを利用しはじめてから20個ほど質問をさせていただいています。 その中で自分が「アスペルガー症候群」であるという事実を痛いほど理解 させられました。 アスペルガー症候群のキャリアには特性として言葉の理解が伴わずに言葉 を使っている事が多いというのがあります。私はここ最近、感覚だけで使 っている言葉に関してよく調べるようになったのですが、これほどまでに 理解がついていっていないという事を改めて知りました。 例)仕事="与えられた作業を行う事" ※この場合は字義通りというよりも感覚的理解が先だったと思います。 そこで質問なのですが定型者の方でも、日常的に国語辞典を使っている人 というのは少ないと思うのですが、定型者の方の言語理解/認識というのは 正しい場合が多いですよね。定型の方たちはどういう感覚で言語を理解して いるのでしょうか?

  • 自分が不味いと思ったお菓子を他人にあげられますか?

    自分が不味いと思ったお菓子を他人にあげられますか? これ美味しくない。買って(貰って)失敗した。と思えるお菓子。 それを茶の席や、ささやかな印として、他人(ひと)に振舞う(差し上げる)人がいます。 処理感覚なのでしょうか。 私の場合、これ不味いと思った菓子は軽い感覚でも人にあげる事に躊躇してしまい、あげるよりは風化→廃棄待ちしてしまいます。 1.自分がこれ不味い。と思ったお菓子を人にあげられますか? 2.自分がこれ不味い。と思ったお菓子を人にあげる感覚は理解できますか? 3.これ不味い。と思ったお菓子を人にあげる感覚は理解できますか? 4.これ不味い。と思ったお菓子を人にあげことが出来ない感覚は理解できますか? ※ あくまで、「不味いです。」「自分は好みではない。」なく。 ※ なんとなく思った疑問です。ほんとちょっと、ちょっと思っただけっす。 ※ 質問文のように感じた質問者を徹底的に人格否定して攻撃する流れにならないよう願います。 よろしくお願いします。