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旗本

juntの回答

  • junt
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回答No.2

 ○側用人   君側にあって(将軍の側近として)、将軍と老中との取り次役であったから、時には老中の上申を突っぱねることもありました。ゆえに独裁政治も生まれることもあったのです。  役高・役料ですが、大名であるので特に役高、役料というのはありません。  制度としては、延宝8年(1680年)設置で文久2年(1862年)廃止です  支配先は老中になっています  徳川幕府で、『御側用人』という制度が設けられたのは、五代将軍綱吉の延宝8年(1680)からでその代1号は牧野成貞(なりさだ)です。そして、幕末の水野忠寛を最後に廃止されました。  御側用人は御側衆から選ばれ、将軍お気に入りの譜代大名が任命されます。待遇は、老中並みで、殿中では、老中・若年寄と同じように、奥坊主がシーシーッ と制止声をかけて先導しました。  また御側衆からは、御側御用取次ぎというのが2・3人出ることもあります。似たような役柄ですが、側用人の方が上席です。御側御用取次ぎに任命されると、『いかなることを取り次ごうとも、私意をまじえることは決してしない』という誓詞に血判をして提出します。誓詞には、『万一違反した場合には、日本六十余州の神々からいかなる罰を受けても不足はない』ということが書いてあります。  側用人にしろ、御用取次ぎにしろ、老中の上申であっても、『かようなことは言上できません』とか『御取次ぎできませんから、ご自分で言上しなさい』と自分の判断で突っぱねることがあったといいます。また、将軍に対しても、『さようなことは、いけません』と諫言する権限を持っていました。  老中と言えば幕閣最高の権威者ですが、側用人は君側第一の立場にあるのだから、突っぱねられれば頭を下げざるを得ません。将軍の威光を笠に着て、ずいぶん横車を押した側用人も多かったようです。  これは、幕府だけでなく藩の場合でも同じです。虎の威をかる狐はいつの時代にも存在するということです。

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