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吉田茂が旧満州でやった「統制経済」とは
吉田茂が昔に「統制経済」というやり方を成功させ、満州を発展させたと聞いたことがありますが、このやり方は社会主義が国家が経済を統制するやり方と具体的にどう違うのですか?(漠然とした質問でごめんなさい)
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- tatsumi01
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回答No.2
現在、「満洲」と「満州」を区別できる人はほとんどいません。細かいことで失礼しました。 少し検索して見ましたが、ジョン・ダワー『吉田茂とその時代』 (参考 URL) に、吉田茂が奉天総領事時代に「満州経営論」を提案したとあるそうです。1927年田中義一内閣の東方会議出席の頃と思います。 しかし、これは満洲国建国の1932年よりかなり前ですし、満洲国官僚が吉田茂の建策を受け入れたかどうかは不明です。上記のページでは建策当時の日本政府は否定的だったように読めます。吉田茂は1936年の外務次官を最後に敗戦まで政治への影響力はなかったようです。 それはともかく、満洲国の経済政策は国家社会主義と外見上はよく似ているように思えます。ただし、国営会社ではなく、民間会社に独占を許して実行させている点が違うように思えます。この点、経済学者ではないのでわかりません。
- tatsumi01
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回答No.1
まず、満州ではなく満洲です(蘇州や徐州などの州ではない)。 また、吉田茂が満洲に関係したという記憶はありません。満洲国で経済政策を行ったのは、岸信介、鮎川義介、松岡洋右のいわゆる「三スケ」ではなかったでしょうか。
質問者
お礼
細かい指摘ありがとうございます。微妙に洲の漢字が違うのですね。失礼いたしました。m(__)m 確かに直接は関係していないのかもしれません。ただ、このような経済政策をやるように提案したのは吉田茂だった気がします。
お礼
参考になりました。どうもありがとうございます。