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所詮、キレイごと…

benderの回答

  • bender
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回答No.6

「神は…」という引用は、新約聖書の「コリントの信徒への手紙一 10章13節」に書いてあることかと思います。 「あなたがたを襲った試練で、人間として耐えられないようなものはなかったはずです。神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていてくださいます。」日本聖書協会発行 新共同訳聖書より これは「パウロ」という人が「コリント」という土地にある教会に送った手紙の一部ですが、この前後の文脈を見ることで、私はこの箇所だけを読むのとはすこし違う理解をもちました。(参考URLのサイトで、新約聖書「コリント人への第一の手紙」をクリックし、次にページ上部から「10」を選ぶことで、以上の箇所を含む10章を読むことができます)。例えば、病気や仕事での困難な状況は、それ自体、毎日を生きていく上での試練ですが、この箇所で問題になっているのは、そのような困難の中で神に対する信頼が揺らぐこと、ではないかと私は思います。 困難な状況のなかでも、神を信頼することで励まされている人たちを私は知っています。私もそのように生きていけたらと思います。 ご質問に対する直接の回答ではないのですが、考えたことを書かせていただきました。

参考URL:
http://www.kidok.info/BIBLE/cgi/biblevlist.php?VR=6&FR=H
giraffe-elephant
質問者

お礼

アドバイス、ありがとうございます。とても参考になりました!私がよく聞いていた言葉に関しての、このような内容のことを知りたかったのです。ただ、新約聖書にも死に至る突然の事故や、自殺についての話はないものでしょうか?

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