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連帯責任の始まりは?

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お礼率 94% (357/376)

連帯責任の始まりは、江戸時代の五人組でいいのですか?
また、みなさんは連帯責任についてどう思われますか?

質問者が選んだベストアンサー

  • 回答No.4

ベストアンサー率 32% (81/252)

連帯責任は、反乱者などには「族滅」と言う形で現れたりしてますので、日本でも相当古くからあったと思います。

制度として「五戸の制」と言うものがありますが、これは中国の法家に特徴的な国内統治のテクニックです。

基本的には他国が情報収集しづらいように、他国人の宿泊を制限し、五戸ごとに連帯責任を負わせた上で、よそ者の情報提供を促す、という制度です。
よそ者がいづらい訳ですから、盗賊などを排除でき、国内の治安対策としても機能していました。
春秋戦国時代の初期の斉で発生し、その後秦で徹底的に制度化され、軍制へも応用され、後の秦による統一の原動力となっています。

これを日本国内へ法制度として持ち込んで、実質的に機能させたのは戦国時代以降だと思います。

連帯責任自体は法律面ではなくなっていますが、ビジネスではチーム制などの形で応用されています。
密告制度などと混同されがちですが、人を動かすテクニックとして考えれば今でも有効な手段ですね。
お礼コメント
ndfn25

お礼率 94% (357/376)

回答ありがとうございます。
投稿日時 - 2005-04-27 18:10:40
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その他の回答 (全3件)

  • 回答No.3

ベストアンサー率 33% (258/765)

連帯責任の基本的概念は古くからあったのではないでしょうか。
律令時代に一族皆殺しなどの戦乱は基本的に連帯責任を被害者側に押しつけるものだと思います。
信長が行った一向宗徒に対する徹底した殺戮も一種の連帯責任の現れではないでしょうか。

法整備が進むと五人組という制度になりましたが、それは平時での方法で、戦時には別の形で現れたのではないかと思います。

五人組は摘発し難いキリシタン教徒の摘発という手段に利用されましたが、相互監視、密告、連座という概念はそれ以前から存在していたものでしょう。
現在にも犯罪者の家族を見る目にその名残は残っていると思います。

一種の必要悪ではないかと思うのですが?
お礼コメント
ndfn25

お礼率 94% (357/376)

回答ありがとうございます。
投稿日時 - 2005-04-27 18:09:46
  • 回答No.2

ベストアンサー率 37% (63/167)

秦は中国の戦国七雄のひとつということはご理解いただけますよね?
ということは、日本では卑弥呼の時代がそのあとの後漢~晋ですから、江戸時代どころの話ではないことは容易にご理解いただけると思います。

となると、日本が遣隋使、遣唐使で中国の統治制度を輸入し始めた頃と考えるのが妥当でしょう。

隣保制度については、gooで容易に検索できます。
お礼コメント
ndfn25

お礼率 94% (357/376)

回答ありがとうございます。
投稿日時 - 2005-04-27 18:08:47
  • 回答No.1

ベストアンサー率 37% (63/167)

もとは中国でしょうね。

史記や十八史略を読んでいると、本人の罪が三族に問われるというケースが山ほどあります。
少なくとも秦は法家思想の徹底した全体主義国家でしたから、相互監視のために隣近所の犯罪でとばっちりを受けるように連帯責任を求めていたと思いますよ。
お礼コメント
ndfn25

お礼率 94% (357/376)

回答ありがとうございます。
日本での始まりは五人組なのでしょうか?
投稿日時 - 2005-04-24 22:08:30
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