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人を信じるということ

どうも考えすぎなところがある30歳の男です。 深刻かというとそうでもないのですが、質問してみました。 自分が信用されていないだけかもしれないのですが、 自分が信用していた人でもいつか裏切るのではないかと思ってしまうんです。 ある飲み会に行ったとき、私以外の人が陰口で盛り上がったんです。 その人に注意したいことなどではなく、単に馬鹿にしていただけでした。 人を面白がって馬鹿にすることは理解できません。その人の前でいい顔をするのはもっと理解できません。 他人に迷惑をかけている人がいた場合は、それを注意すれば良いのであって、 それ以外のことで馬鹿にする必要はないと思いますし、はっきり言って悪いことだと思います。 こういう場面に遭遇すると、自分も陰口を言われているのではないかと思ってしまいます。 友達や知り合いに気を遣うことはよくありますが、気を遣われたという記憶はあまりありません。 老け顔、ひげが濃い、などと馬鹿にされたことは数え切れません。 私が気を遣った分、相手にも気を遣って欲しいとは思っていません。 でも、少なくとも馬鹿にするのはやめて欲しかったと思っています。 迷惑もかけていないのに、馬鹿にされるのって不公平のような気がします。 自分の被害妄想だけだったとも思えません。 人付き合いが元々苦手なので、遠慮したり相手に過剰に合わせたりして人と付き合ったりもしました。 ストレスを感じたことはありましたが、楽しかったことはあまり思い浮かびません。 そこまでして人とうまくやっていく必要があるのか、上で述べた理由もあり、人付き合いに消極的になっています。 嫌なことはあまりありませんが、楽しいこともありません。 さすがに楽しいことがないのはどうかと思い始めています。 打開するには私は何から始めたら良いでしょうか?

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回答No.12

No.6の者で2回目の投稿になります。 No.8へのお礼を読んで自分なりにアドバイスしたいと思います。 詐欺が頻繁に起きています。その数字は驚くべき金額です。確かに詐欺は 悪いことです。犯罪でもあります。しかし、騙される人がいなければ、 詐欺は存在しません。つまり、悪が存在するためには、悪に手を貸す存在 が必要になるのです。でなければ、悪はやっていけません。 (貸す意思がなくても結果的にそうなったら詐欺に対する意識が足りないと いうことです。) これは環境問題と同じで、一人一人の心構えの問題です。確かに法的には 被害者ですが、しかし結果的に悪に加担してしまっているのです。 その資金で更なる悪を重ねることになったら…。最悪ですよね。 >私が気にしているのは、馬鹿にされることではなく、人を信じきること  ができないため、人付き合いを避けていることです。今までの人生の中  で人付き合いに良い印象がないためか、出会う人みんなを信じきれない  のです。 別に信じなければいけないことはないですよ。ただ、real_neoさんが本当 は信じたいのに信じることができないのなら、それは問題です。 >悪い人を見抜けなかったことがそんなに悪いことでしょうか? >悪い人かどうかを気にしながら付きあっていくのは楽しくないと思いま す。 僕も友人に財布を盗まれたり、10万以上のお金や物を貸して返ってこない 人が大勢いました。そういう人とは今は当然付き合いがないのですが…。 学生だった僕は、友達とは何かと悩みました。それからは物もお金も貸す ときは、あげる気持ちで貸します。つまり返ってこなくてもそんなに ショックがない範囲しか貸しません。しかしそうやって、「失敗から学ん でいくのが人生」ではないでしょうか。その経験を活かして僕は悪徳業者 に、ひっかかった経験はありません。 >だから私は、被害を受けたのに自分が悪者になるくらいだったら、いっ そのこと人付き合いなんか・・・と思って避けるようになったんです。 それも一つの処世術でしょう。しかし、よく考えてみて下さい。そういう 悪者に合わせて自分のレベルを下げる必要なんかまったくないのです。 No.6で僕はこう書きました。「お互いどんどん成長して変わっていきます。  それでも付き合っていけるかどうかは、その時になってみないとわかり  ません。それでも付き合いが続くから友達とか家族とか恋人とか素晴ら  しい奇跡なのではないでしょうか。」 こう書いた意味は、「他人には期待をしない」ということです。本当に信 用できる存在なんてありません。自分自身に対してだってウソをつきます。 例えば、夢や目標に挫折したり、恋人との約束をやぶる結果になったとか。 その時その時、人間は自分を肯定するために、いろんな理由をつけます。 しかし言い訳は言い訳にすぎません。そんなことにエネルギーを使うより も、もっと機転をきかせてみてはどうでしょうか。 何にしたって、自分の心構え次第だと思います。

real_neo
質問者

お礼

回答してくださった方、ありがとうございます。 世の中は理不尽で、必ずしも自分の理想どおりにはならないということ、人は自分が気を遣うことを期待していないことなどがよくわかりました。 前向きな姿勢でやっていかないと何も得られないということですね。失敗は成功のもととも言いますし。 大怪我をさせられるとか、なってみてからでは遅い、とりかえしのつかないようなことって、そんなに書中あることでもないですしね。

その他の回答 (11)

  • Jameskusa
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回答No.11

#2です。再度回答します。 あなたが思ってることは被害妄想や現実逃避って言うものです。 あなたが裏切られて、被害者なのに悪者扱いされるのが嫌だからって、この先一人で生きていける自信はありますか?ないから質問したのでしょう。 完璧な人間なんていませんよ。 多くの人に出会って良いこととも悪いことも学んでいって成長していくのが人間の特権です。 あなたが明るく考えて、人と接触できるようになれば、自然とあなたにとって大切と思える友人がそばに出来ます。 逆に今のような考えだと、周りもあなたを気にも留めない存在に思われてしまいます。 状況を変えたいならば、根底にある人に対する不信感を変えない限り無理なことだと思います。 ちょっときつかったと思いますが、がんばってください。

  • mksn0847
  • ベストアンサー率18% (2/11)
回答No.10

real_neoさんこんにちわ すごくわかります。私も人を信用できないところがあります。私の場合は自分自身がすごく優柔不断なので自分自信を見失うこともあり、自分のことも信用できなくなるときがあります(苦笑) 人付き合いは私の場合今までの職業柄(モデルをしていました)見た目すごく人なつっこく、八方美人で誰にでもうまく合わせることはできるのですがうわっつらでまず相手を信用していません。だからたぶん相手もお調子もんだなーと思って信用していないと思いますが・・。 数少ない親友が私の為にしてくれたことでもひねくれた考えを持ってしまうこともあります。そんな自分が嫌になることも多々・・。 で、結論としては無理に合わしても何も楽しくないですよね、、そしたら合わせなくてもいんですよー。 無理に合わせなくても自然に合う人って必ずいますしね。 人付き合いを避けてしまう気持ちもわかりますがやっぱり最初から避けてしまうと何も始まらないですよ! そして最初から信用できる人なんてなかなかいないもんです。 お互いに頑張りましょう!頑張るって変か・・そんなに悩まないでくださいね!

回答No.9

あなたは、 「俺は悪口を言われないよう馬鹿にされないよう、人一倍周囲に気を遣っているのに、 それでも悪口を言われ馬鹿にされるのではないか?それがとても怖いし、そんなことは許せない。」 と思っているのでは?  しかしちょっと考えてみてください。周囲の人があなたに「もっと気を遣え」と頼んではいないでしょう? あなたが「勝手に」気を遣っているのです。 気を遣ってもなお馬鹿にされるとは100%相手が悪いのだ、と、あなたが自分を正当化できるから。  しかし残念なことに、あなたが気を遣おうが遣わまいが、悪口は言われることもありますし 馬鹿にされもします。 まったく理不尽なことです。もちろん悪口を言う方が悪いです。 しかし、残念ながら他人の行動をあなたの思い通りには出来ません。 「そういうこともあるのだ。」と割り切るしかないのです。  あなたは否定されていますけれど 「俺は周囲からもっと気を遣われたい。今までどれだけ気を遣ってきたことか。 だから俺がした同等、もしくはそれ以上に気を遣ってもらいたい。」 という思いがひしひしと感じられます。  まずは周囲に気を遣うことをやめましょうよ。そんなこと、誰もあなたに期待していませんから。(^-^) 下手な気遣いをやめれば心が軽くなって、今まで見逃していた楽しいことを簡単に見つけられるのでは?

回答No.8

こんにちは。 人を馬鹿にするひとは、それだけの人間ということです。その馬鹿にreal_neo さんも合わせてしまったら、real_neo さんも、同じレベルの人間になってしまいますから、一緒に参加するってことは付き合いとしてもやらないほうがいいです。それに、人を馬鹿にしているときは、ただ聞き流すだけにするほうが無難です。 私もそういうひとたちをいっぱい見てきましたけど、あまりいい人間だとは思えません。それに人を馬鹿にすることが、他人にはおもしろかったりなんかすることもありますけど、馬鹿にされたひとは、傷ついてることが多いですよね。 だから、馬鹿にされてあまり傷ついてしまってるときは、はっきり「それ、ちょっときついな~」とか「ちょっとそれ聞いて傷ついたんだけど」ってはっきりいうことも時には大事です。まあ、それでもその返答に「またそんなこといって~」とかっていわれて余計馬鹿にされることもあるかもしれませんけど、でも、それでも少しは周りもそういうことをいうことで、傷つけてしまったと少しは理解してくれるかもしれません。 人を馬鹿にするひとは、人を傷つけることを言ってると気付いてないひとが結構多いですから、ちゃんとそれを気付かせるためにも、時にはちゃんと「傷ついた」っていう返答を返すことも大事だと思います。それでも、だめな場合は、やっぱり聞き流すしかないかなって思います。そして、相手を哀れむしかないでしょうね。。。

real_neo
質問者

補足

質問の内容では伝わりにくかったかもしれませんが、私が気にしているのは、馬鹿にされることではなく、人を信じきることができないため、人付き合いを避けていることです。 今までの人生の中で人付き合いに良い印象がないためか、出会う人みんなを信じきれないのです。 時々悪い人に出会って実際に被害を受けたとき、その人を悪い人だと見抜けなかった本人が悪いと言う人がいますが、 これでは被害者である本人が悪者になってしまいます。 たしかに、浅はかな人もいるので全てに同情する必要はないと思いますが、悪い人を見抜けなかったことがそんなに悪いことでしょうか? 悪い人かどうかを気にしながら付きあっていくのは楽しくないと思います。 だから私は、被害を受けたのに自分が悪者になるくらいだったら、いっそのこと人付き合いなんか・・・と思って避けるようになったんです。

noname#10410
noname#10410
回答No.7

私も同じタイプです。同じことも悩みました。 >自分が信用していた人でもいつか裏切るのではないかと思ってしまうんです。 結局この部分が、考えの根っこにあって、確かに人のことを言わないけれど、言われるのが怖いという気持ちのために言わない部分もかなりあって、自分を苦しめています。 >、自分も陰口を言われているのではないかと思ってしまいます。 言うもんだと思います。言われてもいいと思った方がいいかもしれません。悩んでも辞めてくれないので、気にしないようにするしか解決法ってないと思います。裏切られてもいい、そういうことも多々あると思って、でも自分はそれにそまる必要はないのですけど、生きてる方が楽です。裏切られることを心配して黙っているのではなくて、そういう心配から離れて黙っている方が楽でした。

回答No.6

>自分が信用していた人でもいつか裏切るのではないかと思ってしまうんです。 何か心当たりでもあるのでしょうか?お互いどんどん成長して変わっていきます。それでも付き合っていけるかどうかは、その時になってみないとわかりません。それでも付き合いが続くから友達とか家族とか恋人とか素晴らしい奇跡なのではないでしょうか。 僕は、陰口をたたく人は信用できません。本人の前で言う勇気がない卑小な人間だと思います。また、人をバカにする人は、自分で自分を罵っていることだと気づくべきだと思います。他人をバカにして、自分を棚に上げるなんて、相対的価値の問題であり小さな瑣末なことです。そうやってしか、自分を確立できないのでしょう。そんな小さなことでなく、人間関係とは、本気でぶつかり合える人間、これこそ人間が人間でありえる人間関係だと思います。上辺の付き合いだけだとスムーズで便利はいいが、非人間的で疲れるし空しいだけです。 相手のレベルに合わせる必要はありません。自分は等身大の自分であるべきだと思います。自律した人間は他人にバカにされようが、自分を絶対に曲げません。そうすれば、上辺だけの関係は薄れて、本当に人間として付き合っていこうと思う人間だけが残ります。そういう人たちと大切に付き合っていって欲しいです。そうすれば無理もないし、いざというときは本音で相談できるし、力を貸しあったりすることもできます。 打開するためには、自分がこうであるべきだと思う自分になることだけです。自分の人生、自分の好きなように生きれば、大変かもしれないけどそんなにストレスもなく楽しく生きられると思います。

回答No.5

知人が自分を裏切ることはとても悲しいことですね。 どんな善意の人であっても状況によっては裏切らざるを得ないこともあり、またそれを贖罪する機会を持つこともできない場合もあります。 自分自身を省みた時に、どんな場合でも裏切らずにいられるでしょうか? 私についていえばそれはノーです。 今回のお話の対象はもっと無配慮な方についてなのでしょうが・・・。 もし人類で決して裏切らない人としか生きて行かないと決めたとしたら、きっと悩みます。なにしろ状況によっては自分が自分自身のポリシーを裏切る行動をとる事もあるのですから。 「気をつか」わざるを得ない生活を、自分が「気を使いたいから使っている」生活に変えることができたなら、きっともう少し重荷が減るかもしれませんね。 そのためには「使いたくない気」を使わない勇気が必要になるのでしょうが・・・。 人間関係はなかなかむつかしいですね。

  • primego
  • ベストアンサー率33% (3/9)
回答No.4

陰口は確かに良くないですね。気にされるのも分かります。ただ、陰口はどこにいってもありますし、ほとんどの人が陰口を言っていると思います。私も人を馬鹿にするような陰口は許せないですね。人間には優れているところ劣っているところがあります。その辺が理解できない人はほっといてもいいと思いますし、real_neoさんは文を読む限りは人の気持ちが分かるとても優しい方だという印象を受けました。ただ、人より周囲のことで敏感になっていて、そのことで周りと接しにくくなっているのかもしれませんね。 とりあえず、自分を好きになることから始めてはいかがですか?自分を好きになることって難しいことですけど、自分のいいところ(優しいとか○○をしている時の自分が好きetc.)を他人にとったらどうでもいいことでも何でもいいので探してください。そして、そのことに誇りをもってください。そうすれば自ずと自分が好きなり、自分に誇りがもてます。 僕もはじめはすごく自分が嫌いでした。たまたま、人より優れている部分が見つかって、自分に自信がもてましたし、好きになりました。必ず見つかるはずです。real_neoさんはまだ自分探しをしていないんですよ!神様は人間を平等に作っているはずです。全てが優れている人間なんていないですから。 あと、他愛もない話でも積極的にお話しすることをお勧めします。僕も人間関係は苦手でした。他人と話すことすら嫌でした。(ドモリがひどかったので・・・)でも、ある時勇気を出して、自分のこれまで歩んできたことを話したんです。おそらく聞いていたほうは苦痛だったと思います。。。でも、話をしたことによって、自分の中でふっ切れた部分が出てきて、ドモリがひどくても、他人とどうでもいい会話をできるようになりました。そのどうでもいい会話が人間関係で重要だと思います。そういう会話って、人間関係の壁を取り除いてくれますよ。 自分の良いところ探しをして、自分を好きなって、他愛もない会話をしてみては?

  • zico10
  • ベストアンサー率23% (15/63)
回答No.3

もっと自分にとって大事なこと、を考えると、 よいと思います。 「これからどうしようか?」 「自分はどこから来て、どこに向かうのか?」 などなど。 そうすれば、そんなことは気にならなくなると思います。 もし、陰口を言うような人がいたら、 付き合うことはないと思います。 自分の信じることを思考し、歩んでいれば、 自然に真の友人は近づいてくると思います。

  • Jameskusa
  • ベストアンサー率31% (229/718)
回答No.2

単純にあなたは深く考えすぎですよ。いちいち気にしてたら体が持ちませんよ。 もちろんあなたのように心が汚れてない人っていまどき珍しいですね。 30歳でしょう。いろんな経験をしてきたと思います。自分の気に入らないことは、自然に排除できる年齢じゃないですか? いちいち自分の理想の通り世の中はうまくいかないと思っていたら、この先も苦労しますよ。割り切らないといけませんね。 思い通りにいかないことなんていくらでもあるでしょう。そのたびにイラついてたら、キリがないことを理解してください。 もっと楽天的に考えて生きましょう。それが答えです。

real_neo
質問者

お礼

ありがとうございます。 > あなたと同じ価値観を持った人がきっと、いるはずです。そういう人とつきあうようにすればいいと思います。 それはわかっているんですが、それでも割り切れないことはあります。 なので、物事が起きてから割り切るのではなく、そういうことがあるかもしれないことを想定して 人付き合いを避けるようになったんです。 質問では伝わりにくかったかもしれませんが、言いたいことは 人付き合いを避けることについてです。

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