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呼吸法

カテゴリーが違っていたらすみません。 ヨガ教室(軽いストレッチのような初心者向け)に通い始めて一年半です。 最初は気持ち良くて、家でも毎日やっていたのですが、そのうちヨガをすると、翌日から数日は、熱が出たり体が重くなったり、とにかくしんどくなるようになりました。 教室の先生には、自律神経がバランスを調整しようとするために起きることだから、そんな時は休むようにと言われました。 しかし一年たった今も、今だヨガをすると翌日、動けなくなるくらいしんどいです。 ヨガというと呼吸が重要視されますが、自分の呼吸の仕方は何かおかしいのかもしれない…と思うようになりました。 デスクワークになって以来、ひどい肩こりになって姿勢も悪くなってきて、それでヨガを習いはじめたのですが、その肩こり…というか肩や背中、みぞおちにかけてのこわばりがひどくて、深く息を吐くことも吸うこともしんどいです。息が体を通っていかないというか…感覚でいうとそんな感じなのです。 ポーズをとっているときにはそうでもないですが、単独で呼吸の練習をしようとすると、細く長い息などしようものなら、体中に力が入って顔が真っ赤になって、苦しくなって、やっている最中に「こんなんでいいのだろうか」と疑問がよぎります。 普通、リラックスしていくんですよね…? 健康のカテゴリーでも過去「腹式呼吸」や「ヨガ」について何度か質問させていただいて、いろいろと貴重なアドバイスをいただきました。 しかしそれらを参考にして試行錯誤しているも、今だこの状態です。 こちらでも呼吸法の記述を見かけますので質問させていただきます。 呼吸法を実践されている方、何でもいいのでアドバイスをいただけませんか。

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  • ベストアンサー
  • Syo-ya
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回答No.1

ヨガの教室に通っているということですから、よほど適切なアドバイスをもらえていると思いますので、なんとも難しいんですが、姿勢は良すぎると腹式の呼吸は難しくなりますので、姿勢を正しすぎないことと、意識の置き場所も重要なんです。 よくラジオ体操風に「胸を張って」と指導する人がいますが、あれは間違いなんです。 反り返りすぎない程度に普通に背骨を真直ぐにしてれば良いんです。 腹式の呼吸が楽に出来る程度で良いんです。 あと呼吸は、普段は無意識でやる自律神経の支配ですが、ちょっと意識しただけで腕や足を動かすのと同じ体性神経に支配されるので、必ず、力が入りすぎて、吐く息が長くなったりしますので、強く吸いすぎたりしますので、不自然になって正解なんです。 たまに「呼吸は自然に限るんだ」という人が居ますが、 意識して自然な呼吸をするということは無理なんです。 必ず、長く吐きすぎたりして、呼吸のリズムは一定ではありませんので、無理やりに同じリズムにしようとか、自然にしようと思わないことも大切です。 「呼吸は乱れて正解なんだ」程度に考えておくと良いと思います。 で、吐く息を長くするときのコツも、腹筋(丹田)に意識しすぎると、これも力が入りすぎますので、意識は鼻腔や上唇に当たる息や音に集中するんです。 息をするときは鼻腔や上唇を通る息に集中し、観察するんです。 これも表現が難しいですが・・・、どんなに弱い息でも、必ず鼻腔を通っているんですから、鼻腔付近の感度を上げて、息を観察するような気持ちにするんです。そうしていると気持ちが穏やかになって、呼吸も安定してきます。 穏やかに吹く自然の風を感じるようなつもりで、 鼻腔辺りを通る風(息)に集中するんです。 上手に意識を外すことで、楽に出来るようになると思います。

kuroneco
質問者

お礼

適切なアドバイスをどうもありがとうございます。 Syo-yaさんのご回答は、ときたま拝読させていただいています。 なるほどと思いました。姿勢を正しすぎない(背筋を伸ばすのが良いと思っていました…猫背気味なので…)、鼻腔に通る空気を感じる…など、その他いろいろ大変参考になりました。 そして「意識を外す」と表現されている部分もとても気になります。 Syo-yaさんは、呼吸法を開始されてから、体の変化…不調などはありませんでしたでしょうか? よろしかったら、参考までにお聞かせ願えないでしょうか。

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その他の回答 (54)

  • Syo-ya
  • ベストアンサー率31% (558/1780)
回答No.15

kuronecoさん、おはようございます。 ちょっと簡単にまとめてみます。 この瞑想をやっていても落ち着いてくるんですが、正式にはヴィパッサナーの前段で「サマタ瞑想」という集中の為の瞑想をやるんです。 なんでも良いんです。 「自分の中に湧き上がるあらゆる感情を許します、認めます、受け入れます・・」でもいいし、ロウソクの炎を見てもいいし、アロマを炊いてもいいし、呼吸の観察を行うだけでもいいし、身体全体を舐めるように感じとるのもいいし・・・一番、簡単なのはやや前傾になって背筋を伸ばしてキチンと坐っているだけでも良いと想います。 そうして、まず、気持ちを落ち着けてから、それから神経との追いかけっこ(ヴィパッサナー)をするんです。 で、神経との追いかけっこも、最初は落ち着くまでは本当に追いかけっこなんですが、落ち着いてくると意馬心猿だった神経の働きも鎮まってきて、呼吸だけに気づくレベルにまで到達する(みたいなん)です。 「私は今、短い呼気をした・・I Know」 「私は今、長く吐いた・・I Know」 ・・という感じで、呼吸の入息出息の観察をするんです。 なぜならば、呼吸というのは生きている限り止まりませんから、観察の対象に一番良いんです。 呼吸も一息、一息、毎回違います。 長かったり、短かったり、早かったり、遅かったり、強かったり、弱かったり・・・・これを感じ取れるくらいにまで気づきの能力【平常心】を養っていくんです。 現代の我々は子供のころからTV,雑誌・・・で神経が鈍感になっているし、複雑な社会構造の中で働いていくことや、自然の少ない都市生活・・・・等々で心(特に平常心)が退化していると想うんです。 昔の人々のような鋭い野生の能力も退化していると想うので、それが、セルフコントロールを不能にしてしまい、心の病の時代になっている一因だと想うんです。 ですから、失ってしまった能力を再開発するつもりでやるといいと想います。 私の時もそうでしたが、まだまだストレスフルで、のぼせ易いと想いますから、簡単に「気が付く」ということも難しくなっていると想います。 また、ヨガの時もそうですが「あの時の快感をもう一度!」とか、「上手に出来なくっちゃいけないんだ!」と執着すると、今度はそれがのぼせの原因になってしまいますので、「過去は過ぎ去るものだ(諸行無常)」「私は毎日違うんだ(諸法無我)」と悟って、過ぎ去ったものや妄想、理想を追い求めることはやめて、毎回、新鮮な気持ちでトライしてみてください。 「こんなバカみたいなことでいいの?」というくらいで良いんです。 「神経との追いかけっこ」です。

kuroneco
質問者

お礼

Syo-yaさん、こんばんは。 さらにアドバイスをいただきどうもありがとうございます! 「私は毎日違うんだ」 まさにこれです。私がいつもひっかかってしまうのは。 一番良かった状態に固執してしまい、葛藤が生まれます。 それと、「今自分は出来ているか、出来ていないか」これにこだわりますね。 「諸行無常」「諸法無我」…いつも心にとめておきます。 あれからちょっとなんとか「追いかけっこ」していました。 本当にもうちょっと気楽に出来たらいいのですが… 瞬時にあちこち飛ぶ神経に実況中継追いつかず…クラクラしました。 なんだか、これは受動的なのか、ひょっとして自分がわざとしているんじゃないか…こんな疑問が浮かび混乱しました。 静止している目が動いているものを見つめる…というより、動いているものと一緒に動いてしまって、さらに目の方が先を走るようになってしまった…そんな感じです。 とにかくのぼせ気味です。 集中の為の事をします。 クールダウンして改めて投稿をさせて下さい。 またどうぞよろしくお願いします。

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  • Syo-ya
  • ベストアンサー率31% (558/1780)
回答No.14

kuronecoさん、おはようございます。 ・・・・ワケわからなくなるでしょう?(苦笑) 私も指導者の資格をもっているわけではないので偉そうなことを言えないんですが、 一応、指導は受けてますし、沢山勉強してきたので、その範囲でアドバイスさせていただきます。 コツは「神経の働きを感じる」ことのようです。 今、実際に私を実況中継してみます・・(世界初の試みでしょう!)  お尻に圧迫感を感じてます。  急に右手に神経がスライドしました。冷たいです。  閉じていた眼に神経が集中しだしました。  パソコンの「音」を感じました。  窓の外の「音」に移行しました。  腰を感じました。  急に左手に神経が移行しました。  首筋に痒みを感じてます。  こめかみに痒み。  妄想が始まりました。  また眼に神経が集まりだしました。 ・・と、こんな感じです。(いやー、なんだか恥ずかしいですね) 禅の世界でも心の働きを「意馬心猿(いばしんえん)」と表現しますが、 この神経というのは身体に行ったり心に集中しだしたり、メチャクチャに働くんです。 ですから、神経が現在クローズアップしている箇所に気がつけば良いんです。 神経との追いかけっこのような感じです。 秒単位で変化する場合もありますし、妄想の場合は20~30分続くこともありますし、 まさに不定期で神出鬼没の神経を観察(洞察)するような感じで良いと想います。 ですから神経の働きはアン・コントロールなので受動的態度なんですが、 それを追いかける意思は能動的にやってないと追いつかない・・・ と、言った感じが、「受動」「能動」の棲み分けと言えると想います。 ですから実況中継も2~3回確認する程度で良いんです。「音、音、手、手、手」です。 確実に実況(ラベリング)出来なくても「I Know」でも良いんです。 (この英語の表現は素晴らしいと想います) 「今、私は神経の働きに気が付いている」 「今、私はそれを知っている」 「今、私はそれを覚知している」という感覚です。 つまり逆に言うと << なおざりにしない >> ということです。 kuronecoさんは、既に「のぼせ」と「覚醒」の両極端を体験をされていますから、 説明は不要だと想うんですが、なおざりにしておくとのぼせる一方なんです。 もっと繊細に気が付けることって山ほどあるのに、現代社会で神経が麻痺しているせいか解りませんが、私達は凄く鈍感になっているんです。(退化ですかね?) これをなおざりにしておくと、自分がのぼせているということにも気がつけないくらいのぼせてしまうんです。 前にも書きましたが、私も過去に過度のストレスで自分の腕が何処にあるのかも解らない状態にまで行きました。 この「神経」というのは、本当にバランスを欠きやすいんですね。。。 バランスを欠くと、頭がのぼせて生き辛くなってしまうんです。 自分自身がアン・コントロールになってしまうんです。 で、このバランスを調整するのが「心」なんです。「意思」ですね。 心の状態が悪ければ、神経のバランスも崩れる一方です。 逆に心の状態が良ければ、快適なバランスになります。 心の状態を良くするには、「欲望」とかの妄想への執着を止めることなんです。 そのために物事を正しく見聞しなさい・・・・と、なるんです。 (お釈迦さまは天才科学者だと想います) 「神経との追いかけっこ」という気持ちで、ちょっとやってみてください。

kuroneco
質問者

お礼

こんばんは。Syo-yaさん。 ライブの実況中継をどうもありがとうございます!^^ 有難かったです。めちゃくちゃ参考になりました。 すごいです…私の実況中継とあまりに違いがあるので、ちょっとショックを受けてしまいました。 (私が今までしていたのは何だったのだろう?) 「なるほど!なるほど!」と説明していただいたこともすごく納得しました。(すごくわかりやすかったです) が、いざ自分の感覚上で試すと一気に混乱しました。 まず、神経がどこをクローズアップしているのか、それがすでにわからないです…(T_T) 「神経」と「意思」の区別が私の中でごっちゃまぜになっているような感じでしょうか。 なんだかわからないけど、またまた混乱してしまいました。 ちょっと、もっと練習して試してみます。 なんだか自信がなくなってきました。 またすぐ質問させていただくと思います。(すみませんいつもお世話になります) 今回も本当にどうもありがとうございました。

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  • Syo-ya
  • ベストアンサー率31% (558/1780)
回答No.13

kuronecoさん、お久しぶりです! その後、体調はどうですか? 過去の質問と比較すると、格段に進歩していると想いますが、 ストレスだけに限らず、生き方、人生についても光明が差してきたんではないでしょうか? 私も、まさか、本来の仏教というのが、こういうものだとは知らなかったんです。 もうお分かりだと想いますが、私が支持しているのは上座部仏教(テーラワーダ仏教)というもので、主に南方アジア圏(スリランカ、ミャンマー、タイ・・)に伝わっている伝統的仏教であって、中国から日本に伝わっている仏教(大乗仏教、宗派仏教)とは<<かなり違う>>ものなんです。 そして、その伝統仏教の中核が、このヴィパッサナー瞑想だったんです。 うつ病になるほど挫折、失望することばかりで、死ぬことしか考えてなかったんですが、 呼吸法等々を勉強していくと、どうしても仏教に行き当たるんです。 行く場所も無く、毎日、図書館に通ってましたし、冥土の土産に・・・という想いもあり 「そもそも仏教ってなんなんだろう?」という素朴な疑問から独学で初めて、ここまで辿り着いたんです。 だって、日本の仏教って葬式仏教、観光旅行、不動産管理、カルト集団というイメージしかないからです。 ところが、勉強してみると、本当の仏教というのは生きている人が、幸福に生きていくための教えであることがわかって、さらに心理療法的にも、大脳生理学的にも理に叶ったものであることが解ったんです。(古ぼけて埃にまみれた仏壇の中から、キラキラと光る金塊を発見したような気持ちでした) 「ああ、これが仏教(お釈迦さまの教え)だったんだ・・・」と愕然としました。 挫折、失望、頭ののぼせ・・・「苦」は「無知」から起こるんだ。【無明】 私達は「無知」だから、いろいろなものへ執着してしまう。 その執着が頭をのぼせ上がらせるから、「今、ここの自分」を見失ってしまうんだ。 瞑想をして、コロコロと移り変わる自分の心、この世の無常性に気づきなさい【諸行無常】 見たもの、聞いたものに縁って、感情が生まれると気づきなさい【縁起】 また、生まれた感情は何かに縁って滅すると気づきなさい【縁滅】 つまり、永遠に普遍の「自分」など存在しないと気づきなさい【諸法無我】 生まれるという性質を持つものは、滅するという性質を併せ持っている。 つまり、私達も、此処で、老いて病んで死んでいくんだと悟りなさい。 このようにして物事の成り立ち、物事の仕組みを正しく理解して「無知ゆえの執着」をなくしなさい。 物事を正しく見聞して、「欲」の奴隷にならないようにしなさい。 そして「今、ここの自分」に徹することで心の汚れを洗い流せば、頭ののぼせが取れるから、自然と「智慧」が現われてくる。そして、その智慧を持って、自分に由って生きなさい【自由】 そのために瞑想をして「気づきなさい・悟りなさい・ブッダとなりなさい」。 ・・・・と、いうような内容なんです。(お題目を唱えなさいなんて一言も言ってないんです) これは「苦の科学」だと想います。 正しく生きるための科学でもあると想います。 「智慧は”現われる”」と表現するんです。 「学習しなさ、獲得しなさい」とは表現しないんです。 「頭ののぼせを取り去れば、自然と智慧は現われる」というんです。 ・・・なんか、凄いと想います。 私も出来たらタイにでも行ってヴィパッサナーの指導を受けたいんですが・・。 ・・と、またまた長文になりましたが、健康だけでなく、人生を根底から変えてしまうほどのものだと想いますので、その分、奥も深いんですが、より良い人生を生きるために、是非、勉強してみてください。 一応、また確保しておきます。

kuroneco
質問者

お礼

Syo-yaさん、お返事ありがとうございます! 仏教というのは…お釈迦様が伝えたかったことは…そういうことだったのですね。 ジーンとしました。少し…^_^; お釈迦様はただそれを伝えたかったのに、日本では大分、変わってしまっていて…もったいないことだと思います。 Syo-yaさんにしても、そんな極限状態で勉強されていたんですね。 だからこその深い理解だと思いますが…すごいです。 人は真実を得る前は、ものすごく苦しむものなのか、苦しむことが必要なのかな…とえらそうだけど、真面目にそう思いました。 おっしゃられる通り今は「生き方」の方に気持ちがスライドしています。 全然、生きていなかった。それが今の実感です。 本当にありがとうございます。

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  • Syo-ya
  • ベストアンサー率31% (558/1780)
回答No.12

おはようございます、kuronecoさん。 >>「気がつく」ためには、逆に「気がつこう」としてはいけないなと思いました。 本当に此処が難しいです。 「意識」ですね。。。。 扱いにくいですね。 意識の塊が、意識に振り回されているといった感じでしょうか。 >>私はSyo-yaさんのようになりたいです いやいや、ホントに誤解しないでください。。。 そんなんじゃないんです。 こんなところには来ないほうが良いですよ(苦笑) >>やればやるほど苦しくなっていくような感じなんです これは、心への気付きですね。 気付けば気付くほど、悩みに陥ってしまうんです。 サンユッタ・ニカーヤ「神々との対話」(中村元 訳)という経典で、 「お釈迦さまは、どうやって煩悩という激流を渡ったんですか?」という質問に対して  【私は立ち止まることなく、あがくことなく煩悩の激流を渡りました。   立ち止まる時には沈み、あがくときには溺れるのです。   このようにして立ち止まることなく、あがくことなく渡りました】とあるんです。 つまり「客観的に、ただ、淡々と自己を見つめる」 「何時、いかなるときも、平常心を崩さない」ということなんだと想うんです。 これが、まだ、まだ出来ないんです><; 当然ですが。。。。 >>私にとって、身体に意識を向けるということはとても抵抗があるのかもしれません 本当にこういう感じなんです。 どうしても査定したり、判断したり、改善しようとしてしまうんです。 頭では解ってはいるんですが、どうしても意識が介入してしまうんです。 ですから、猫に喩えてみたり、工夫もしているんです・・・。 http://security.okweb.jp/kotaeru.php3?q=1229226 こちらの#14にも投稿したんですが、自分の中にある三毒「貪瞋痴」ばかりが眼について、 自分の心の汚さ、乱れ具合、・・・これで頭がいっぱいになってしまうんです。 「許します・・」という気持ちも大切にしているんですが、心の汚さに愕然としてしまうんです。 他にも、こんな言葉があります。 【彼ら(賢者)は、ただ現在のことだけで暮らしている。  ところが愚者は未来のことであくせくし、過去のことを思い出して悲しみ、そのために萎れている】 【愚かな人は、自分自身に対して、仇敵に対するように振舞う】 ・・と、気付きの瞑想をすればするほど、私は、呪われた者であるかのように振舞ってきたことがわかるんです。もし、私が憎い仇敵に「このように落ちぶれていてくれてたら嬉しいな・・・フフフ」と想う姿が、まさに現在の私なんです。誰かを憎み、否定し、批判し、依存し、心配し、恐怖に怯え、楽をしたいと願い・・・・。 「これはまるで呪われた者のようだ。落ちぶれているな・・」と感じることばかりなんです。 それだけ気付きの能力がUPしてはいる証拠なんでしょうが、毎日が壁です。 きっと、kuronecoさんの緊張の背景にも「よく想われたい」とか「完璧にこなしたい」とか、「みんなの足手まといにならないように」とか・・・さらには、その背景に生育歴の問題や、いろいろな心理的な働きがあって、のぼせ、肩こりがあるんだと想うんですが、それを認めて、受け入れて、抵抗せず、あがくことなしに客観視出来る心が「平常心」なんでしょうね。 ・・まあ、私なんかには表現しきれないんですが、こんな苦悩なんです。 で、昨日、感じたのは、「周囲の空気」なんです。 いつでも汚い心の私を包んでいてくれて、なんの指図も、査定もしないで、ただ、淡々とそこにある「気」を感じたんです。 この周囲の「気」に溶け込むような感覚、「我」を捨てて周囲と一体化するような感覚に何か秘訣があるような気がしたんです。 「無心・無我」ですよね。 自分に対する執着、こだわりを捨てるということに尽きるのかも知れません。 そのためには「気付く」という作業も能動的なものではなく、むしろ受動的であるべきなんだろうなと想いました。 ・・と、言うは易しなんです。 特に心の病気にかかっている人は、これがしたくても出来ないんです。 健康な人の脳内ホルモンのバランスでは語れないんです。 頭がのぼせてしまうんです。 ・・・まあ、難しいです。 長々とすいません。

kuroneco
質問者

お礼

Syo-yaさん、ありがとうございます。 じっくりと読ませていただき、とても感じ入ってしまいました…。 >客観的に、ただ、淡々と自己を見つめる これが出来るようになった人が「悟り」を開いた人なのでしょうか。 本当にあまりに難しいです。 >気付きの瞑想をすればするほど、私は、呪われた者であ るかのように おこがましいのですが、わかるような気がします。 自分の中に見たくないものがたくさんたくさんあって、 でも見えてきたら…すごくしんどいです。 どうしてもそれにあらがってしまいます。 >彼ら(賢者)は、ただ現在のことだけで暮らしている。  ところが愚者は未来のことであくせくし、 数日前の経験から、私には「今」がなかったことを実感しました。 Syo-yaさんもおっしゃられているように、その状態を持続することがどれだけ難しいかも…(>_<.) >むしろ受動的であるべきなんだろうなと想いました。 ヨガの教室の最後にいつもリラックスタイムがあって、 その時に先生がいつも「思考を観察して」と言います。 当初理解できなくて、いつもその部分をすっとばしていました。 ここでいろいろと教えていただき、トライしていましたが、 「これは…観察?それとも考え込んでいるだけ?」という状態でした。 (やたらと疲れるし) 多分、思考の中で思考を見ようとしていたんだと思います。 「思考を止めてはいけない。思考も流さなくては」とも言われ、 このあたりも理解できませんでした。 「無心」=「何も考えないこと」と思っていた私は、 「考えてはいけない」とずーっと「考えて」いました。 頭(思考)がいつも「ああしろこうしろ」と指図してくるような感じです。 今はそれに自分が反発したりしてます。 それで膠着状態になり、しんどくなります。 「立ち止まることなく、あがくことなく渡りました」 あがかないこととは…とても難しいですね。 すべてを客観的に見つめる…受動的な態度を学びたいと思います。 周囲に溶け込む…。 もっとたくさん感想があるのですが、字数制限のため記入できませんでした。 失礼をお許しいただければ、今回のご回答をいただき、 (おそれ多く思っていた)Syo-yaさんの苦悩の部分、人間的な部分がかいま見れて、少しうれしく思いました。 本当にどうもありがとうございました^^

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  • Syo-ya
  • ベストアンサー率31% (558/1780)
回答No.11

こんにちわ、kuronecoさん。大歓迎です! わかってもらえましたか?!(うれしいな~~~(^^) これが本来の仏教(お釈迦さま)の凄さなんです。 もう健康に散財する必要はありません(言いすぎかな?) >>「自分」が戻ってきたという感じでした。  私も何回か経験してますが、急に視力・聴力に鮮明度・覚醒度が増したり、それまで近視眼だった心がスーッと広がったり、遥か数キロ四方の「気」を感じるような感覚に襲われたり、頭の神経は麻痺しているんだけれども意識は鮮明に覚醒しているとか、・・・・普段のストレスフルな状態と比較したら、比べ物にならないくらいの爽快な体験ができるんです。  脳の中で何が起こっているのかは、いつか科学が解明してくれると想います。 まだまだ生きている人間の体内で起こっていることは解らないんです。 でもきっとセロトニン神経も大きく関与していると想います。  あと筋肉には「筋紡錘」というセンサーがついていますから、 集中して、意識して丁寧に動くということは脳の活性化にも良いんです。 http://www.ktv.co.jp/ARUARU/search/arukeiutu/keiutu_3.html  ゆっくりとした動作で有名な太極拳・気功法も、同様の効果が得られます。 これも指の先から、目線まで、意識して丁寧に動かしていきます。 ただ「心への気付き」「心の成長」まで行ってしまう仏教は『 完璧 』だと想います。 >>実は全部、頭でそのつもりになっていただけだった…と思います。  これはですね、私も毎日のように感じています。 やっぱり、どうしても考えちゃうんですよね。。。 >>今もわかっていないことの方が多いと思います  私も言うほど出来ていないんです。 ハッキリ言って、毎日が苦悩なんです。 やればやるほど苦しくなっていくような感じなんです。 特に私はうつ病もありましたから、いろいろ大変なんです。。。(苦笑) いつでも爽やかに覚醒した状態を保ちたいのですが、なかなか難しいですよね。。。  で、実は、今日も一日中、気をつけながら生活していて気が付いたんですが「周囲に溶け込む」というような意識を持つことが大切なんだと想いました。「我」という意識を捨てて、周囲の空気、雰囲気に溶け込むような解放的な感覚を持つことが大切だと想ったんです。普通「気付く」というと積極的な作業のように想いますが、実は、そうではなく、感覚を鋭敏にするために、むしろ周囲への受動的な感覚が高まっているのではないかと想ったんです。 「自分」とは心の中ではなく全体、周囲の中にあるように想いました。 私のHNをクリックしてもらえれば「獲物を狙うように」と表現してますが、是非、こんな感覚も試してみてください。 「本能の目覚め」「野生の感覚」といったところにコツがあるかも知れません。  kuronecoさんは私なんかより、よほど健康でいらっしゃるでしょうから、 きっとすぐに上達してしまうと想いますので、飽きず懲りずに、この方法を信じて続けてみてください。 そして、必要であるのならば、心(人生)にも取り組むつもりでやってみるといいと想います。 「法句経(ダンマパダ)」というのが、「心」についていろいろ示唆されていますので、 図書館で読まれるといいと想います。読むのならば友松円諦(訳)がお薦めです。 http://sugano.web.infoseek.co.jp/butu/sinri-0.htm 先にご紹介しましたドパミン、ノルアドレナリン、セロトニンのことを念頭において読むと、仏教は簡単に読み解けます。 科学的な根拠が無いんですが、私にはセロトニン神経強化を謳っているとしか思えないんです。 あと肩こりも基本は物理的な運動です。 両腕を大きくグルグルまわし続けるだけでも確実に運動になります。 http://security.okweb.jp/kotaeru.php3?q=674665(こちらの#3) また確保しときますね。

kuroneco
質問者

お礼

Syo-yaさん、すぐのお返事を本当にどうもありがとうございます。 少々不安になっていたので、ものすごくうれしいです^^ >「周囲に溶け込む」というような意識を持つことが大切 いいヒントをどうもありがとうございます。 そのイメージを目指します。 私も最近「気がつく」ためには、逆に「気がつこう」としてはいけないなと思いました。 頭(扁桃帯?)に作業させてはいけないと。 (難しいです…) ヨガも呼吸法も頭でしていたんだと思います。 最初から練習し直しです。 Syo-yaさんのアドバイスも読み直しです。 >私も言うほど出来ていないんです Syo-yaさんがそんなことをおっしゃらないで下さい^^; 私はご回答をいただく以前からよくログを拝見していました。 Syo-yaさんの文章からは(内容ももちろんですが)とても静かで安定したものを感じ、気になっていました。 心境が文章に出ているのだと思います。 ですので、私はSyo-yaさんのようになりたいです^^ 参考URL、どうもありがとうございます。 まだ全部読めていないですが、少しずつしっかりと読みたいと思います。 友松円諦の「法句経」も検索したら近所の図書館にあるようなので借りてみます。 題名からして「おお、難しそうだ!」と感じたのですがチャレンジしてみます。 >やればやるほど苦しくなっていくような感じなんです Syo-yaさんのそれと、私のが同じかどうかわからないのですが…。 私は、自分に意識を保てば保つ程、例えば自分の持っている「緊張感」であるとか体の不快感が、はっきりとしてきて、ものすごくしんどくなるんです。 それで不安になってきたのです。 また、自分のそういう緊張感や体の不快感がとても嫌で、反射的に意識が頭の方に逃げてしまうのをここ数日感じました。 私にとって、身体に意識を向けるということはとても抵抗があるのかもしれません。 私などに理解できるかどうかわからないのですが、 Syo-yaさんが日々、気がつけば気がつくほど感じられる苦しさを、もしよろしかったらお聞かせいただけないでしょうか。

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  • Syo-ya
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回答No.10

お久しぶりです! kuronecoさん。(感激です) その後、少しは楽になりましたか? http://security.okweb.jp/kotaeru.php3?q=1211695 こちらのほうも、是非、一読して欲しいのですが、 ここに書いてあることが、私の伝えたいこと”全て”です。 こちらに投稿してます内容は、私が独学で勉強した仏教のエッセンスです。 本来の仏教というのは、恐ろしいほど現代の脳科学に符合するんです。 (お釈迦さまは最高の生理学者だったという生理学者も居るほどなんです) >>「許可する」というのも、ちゃんと根拠があるんです。 これは私のアイディアであって、正式なものではなく、本来は「ただ、淡々と観察する」というものなんですが、こういう時代でセロトニン神経が弱っている人が多いですし、自分の体験からも「許可する」というのをアレンジしてみたんです。 その理由は、扁桃体という場所の昂奮を避けるためなんです。 http://www.ktv.co.jp/ARUARU/search/arukeiutu/keiutu_3.html http://www.nhk.or.jp/gatten/archive/2004q1/20040331.html もちろん「許可します・・」と宣言すれば、扁桃体をスルーできるという科学的な根拠はありませんが、経験として、実感として納得していただけるのではないかと想います。(私も自分の体験から試行錯誤で得た答えなんです) ですから、どうも、上手に処理できない感情に気付いたときは、「私はこの感情を許します・・・」と宣言してみてください。 たとえ、それがどんな感情であっても、「感情(煩悩)」そのものには責任はないからです。 自分の中を戦場にしないためにも、是非、これを取り入れてみてください。 >>頭がモヤーっとする と、いうのは、なんでしょうね・・・? 脳は頻繁に使っている部分の血流がUPして、神経のつながりも強固になりますから、ストレスフルな状態に慣れてしまったため、ちょっと落差が出ているのかも知れませんね。急に肩の荷がおりて、手持ち無沙汰状態なんでしょうか・・? 効果のほどはわかりませんが、「イチョウ葉エキス(ギンコ)」とか「ホスファチジルセリン」というのが、脳の血行をよくしてくれるそうなので、もし、興味があれば試用してみるのも悪くないと想いますし、何よりも普段から運動をして、身体意識に重点をおく生活に切り替えるのも、大切なことだと想います。 全身を舐めまわすように感じ取っていく練習を暇さえあればやってみてください。 最初は荒々しくしか感じなくても、少しずつ、微細に感じられるようになってきて、 そのうち「気」も感じられるようになってくると想います。 kuronecoさんの場合も、やっぱり、頭がのぼせやすいと想いますので、 身体意識に重点をおいて、野生を取り戻すようにするべきだろうと想います。 またお節介かも知れませんが、通信欄を確保しときますので、また、お役に立てることがあるかも知れませんので、なんなりとご相談ください。 ちなみに「セントジョンズワート」というハーブがセロトニンに作用します。 (かなり個人差がありますが) でも、新陳代謝の関係で最低3ヶ月の服用が必要ですし、もし、病院で薬を貰うような場合は、薬との併用は避けてください。ご参考までに。

kuroneco
質問者

お礼

Syo-yaさん、お返事ありがとうございます^^ おかげさまで今は、体がと言うより気持ちが少し楽です。 許可するという行為は本当にパワフルな感じです。 逆に思えば、「しんどい」というのは「許可してない」ということなのだなと思いました。 うーん、「心が戦場」というの納得です。 Syo-yaさんがご自身の体験から得られた貴重な「回答」を教えていただき、本当に感謝しています。 質疑も拝読させていただきました。 ものすごく納得できました。 同時に、今の状態…長い間のぼせている私が「平常心」を育てていくのは時間がかかるだろうなとも思いました。 ドパミンもノルアドレナリンも交互に全開してますね。 でも、「平常心」を得ていくことを目指し、これから生活していこうと思います。 「いちょう葉エキス」確かボケ防止にいいと聞いたことがあります(笑)飲んでみます。「セントジョーンズワート」も以前、肩こりについて質問した時に、すすめてくださる方がいて購入したんですけど…あまりきちんと飲んでいませんでした(汗) 3ヶ月もかかるとは…今日からちゃんと飲もうと思います。 それにしても…Syo-yaさんは、独学と言われていますが本当に博識でいられて、敬服します。 確保して下さった通信欄があると、ホッとします。まだつながっているって感じで安心するんですかね^^ しょっちゅうこんがらがっているので…その時はまたどうぞよろしくお願いします。 本当にどうもありがとうございましたm(__)m

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  • Syo-ya
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回答No.9

ちょっとこれまでアドバイスばかりでkuronecoさんを困惑させていると困りますので、まとめてみます。 (要するにこういうことを言いたいんです・・・) 私達の脳細胞は興奮性の細胞ですので、興奮か、鎮静かにしか働きません。 (ここがミソです) で、過剰な興奮状態が続けば、身体も心もガチガチになって、いろいろな失調に繋がります。 ですから、呼吸法よりも、ヨガよりも、まずは【興奮を鎮めること】に尽きるんです。 つまり、逆説的に興奮が鎮まって、鎮静状態になれば、心も身体も余裕が出てきて、 ユルユルになり、呼吸法もヨガも上手く出来るようになり、デスクワークも苦にならなくなってくるというメカニズムです。 そうなれば無理から意識しなくても鼻腔の風にも気が付くようになりますし、 ベルトの締め付けにも、周囲の雰囲気にも気がつく心が蘇ってくるんです。 心も身体も湯上りのようにユルユルになっていると想います。 で、大切なのは「心」ですので、心の使い方をご紹介しました。 【【 微笑みと共にある心の使い方です 】】 http://security.okweb.jp/kotaeru.php3?q=1183087 こちらの2にも、同じことを別の表現で投稿してますので、参考にしてみてください。 「今日は、全然、自分の心が理解できない・・」と苛立っているときは、 「今日は、調子が悪い・・・・」と気が付きます。 「頭の中が混乱して、狂いそうだ」と気が付いたら、 「混乱してる・・・・」と気が付きます。 【【 微笑を絶やさずに 】】です。 微笑みのコツは、眉間と鼻の下の力を抜き、口角をやや上げることです。

kuroneco
質問者

お礼

Syo-yaさん、こんばんは。どうもありがとうございます。 おっしゃって下さっている通り、私、まず興奮を沈静させる必要があると思います。 アドバイスもいただくたび、「あれもこれもしなくちゃ!」って気合を入れてて、で…最近、「何か違う」と思っていました。 こんな感じではせっかくいただいたアドバイスが生きないと思います。 で普段の生活態度もこのように力が入っているので、本当にゆるめていくこと必要に思います。 あれもしようこれもしようでいつもこんがらがるんです。余裕ないんですね。 しばらくの間、ただ「気がつく」ということを心がけながら生活してみようと思います。呼吸を感じるのと。あれこれ手を出すのはちょっとひかえようと思います。 また興奮の方向に行きそうでちょっと不安なんですが。 確保して下さった#9心強いです(^_^) 甘えさせていただきます。 今回も本当に貴重なアドバイスをいただきどうもありがとうございました。

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  • Syo-ya
  • ベストアンサー率31% (558/1780)
回答No.8

お久しぶりです! kuronecoさん。お待ちしてました! 実は、ちょっとだけkuronecoさんの過去の質問も拝見しました。 で、感じたのは「ちょっと頑張りすぎだな」ということです。 身体が堅くて辛いのはよく解るんですが、おそらく心因性のものだと想いますので、心を柔らかくしながら、身体も柔らかくしていき、そして、最終的に呼吸法も体得するという方向が一番良いのではないかと想いました。 で、過去ログをご覧頂いたというのは「調和道丹田呼吸」を簡単に紹介したものだと想いますが、そんなに難しく考えなくて良いんです。「あ~~~~ほっとした・・・」と長い溜息をつくときって、無意識のうちに姿勢が前かがみになって、鳩尾に括れを作っているんです。(本当です。やってみてください) 自然と鳩尾の力が抜けて、圧力を加えていることに気が付くと想います。 それがこの呼吸法のコツなんです。 ですから、何も決まりがあるわけではないので、 【【 自由気ままに 】】「あ~~」と長い溜息を付きながら、力を抜いてみてください。 はっきり言ってこれだけで良いと想います。 あと丹田、肛門にも拘らなくて良いんです。 本当に! 気持ちが穏やかで、リラックスできれば、何の意識もしないで出来ることばかりなので、「こうでなくちゃいけない!」ということは一つもありませんので、無理にすることはありませんし、毎日、上手に出来て、リラックスできるわけでもありませんので、今日は上手くいかないなという日は「今日は上手くいかない」「今日は気持ちが乗らない」と自覚すること、気が付くことのほうが大切なんです。 「絶対に上手く出来なくちゃいけないんだ」ということは、何一つもありません。 丹田だってわかるときもあれば、わからないときもあって当然なんです。 (全てのことにおいて、こんな感じで良いんです) それよりも、調子の悪い時は「今日、私は調子が悪い」と気が付くことです。 心が堅くなっているときには「今日は、心が堅めだ」と気が付くことです。 また、調子の良い日には「今日は調子が良い」と気が付きます。 どちらでも無いときは「今日は、どちらでもない」と気が付くことが大切なんです。 この心の使い方をするだけで、心と身体が楽になってきます。 自分と対立しないんです。 自分に無理強いしないんです。 全てを、ただ、淡々を見つめ、気が付くだけで良いんです。 ですから、やはり心を柔軟にすることも大切だと想います。 まずは、心ありきなんです。 前回、ご紹介した心の使い方を、こちらにも紹介してます。 なんとなく感覚だけでも掴んでみてください。 大切なのは【【【 微笑み 】】】です。 微笑みこそが平常心の顔なんです。(^^) (><)←これでは駄目ですね。 もし頑張りすぎて、無理強いをしている自分に気が付いたら、「無理強いしてる・・・・」と気が付いてから、「この感情を許します。認めます。受け入れます・・・」と想ってみてください。 緊張して堅くなっている自分に気が付いたら「緊張してる・・・」「この緊張を許します。認めます。受け入れます」です。 嫌なことも明るく我慢している自分に気が付いたら「我慢してる」「この感情を許します。認めます。受け入れます」です。 そうやって常に気が付くこと、自分に気づきながら生活することが大切なんです。 いつでも微笑みを絶やさないようにしながらやってみてください。 http://security.okweb.jp/kotaeru.php3?q=1182298

kuroneco
質問者

お礼

Syo-yaさん、今回もたくさんのアドバイスをくださって本当にありがとうございます。 思わずドキッとしてしまいました。 そうなんです。私、本当に何でも生真面目に考えてしまうんです。 丹田呼吸法にしても、教えて下さったようにしてみたら、本当に楽でした。「あ…こんなのでよかったの」と拍子ぬけしてしまいました。 おっしゃられる通り、もうずっと興奮・緊張しているんですね。 自分でもわかりませんでした。 足ツボマッサージを受けても熱を出すし、温泉に入ってものぼせて眠れなくなるし、ヨガにいたってはこんな状態だったですから。 気負っているというか…、リラックスしようとやることなすことすべてが、興奮へ興奮へとつながっているような気がします。 頭も心も…硬いですね。柔軟でいたいです。肩の力もぬきたいです。微笑をたやさずいたいです(^_^)  参考URL拝見しました。 先のご回答にもアドバイスいただいたのですが、自分の気持ちに気がつくということを、私はすごく難しく感じています。 「鼻腔を通る風」でしたら感覚で感じることができますが、自分の気分や状態となると、一瞬「……」となってしばらくわからないです。 おかしいですね。自分の気持ちなのに。漠然とは感じているんだけども、いざ改めてとなるとはっきりわからないです。ちょっとショックでした。(で、呼吸を感じていけばそのうち気持ちも感じていけるようになるだろうと単純に考えていました) 心がけていきたいと思います。 #9を確保していただいて、とてもありがたいです^^ #10のご回答もどうもありがとうございます。 また、後ほど記入させていただこうと思っています。

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  • Syo-ya
  • ベストアンサー率31% (558/1780)
回答No.7

どうぞ、どうぞ、何度でも質問してください。 私の判る範囲なら、何度でもお付き合いします。 この#7番のお礼欄に投稿していただければ、私のところにメールが届きますので、そうしてください。(補足欄だとメールが届かないんですね。) で、コツは鼻腔と書きましたが、結局は『気づくこと』なんです。 鼻腔の風に<気づき>、 喉から肺、丹田、呼吸器全体、身体全体、皮膚感にも<気づき>、 部屋やモノ、建物、ヒト、周囲の環境にも<気づき>、 自分の心の状態にも<気づく>んです。 気づくために必要なのは、集中力、穏やかな心、バランスの良い心・・・「平常心」です。 平常心があれば欲望、むさぼり、怒り、我慢、憎悪、嘆き、愚痴、頑張りすぎ、怠惰・・・・といった極端な感情の奴隷になることもなく、適度に気持ちよく楽に生きられるようになるんです。 で、その為には頭(脳)ではなくて、へその下辺り、下腹部辺りの≪丹田≫という場所が私達の本当の中心なんだと気づくことです。「胎を据えて」の「胎」の部分です。 ここに「気づきのエネルギー源」があることに気づいて、それを活かしていくようにすると良いと想います。(これは、なんとも表現しがたい感覚なんです) ・・・まあ、あまり言葉に囚われずに、感覚を掴んでみてください。 ※この投稿のお礼は不要です。 お礼欄がもったいないので、何かあれば#6の補足欄に投稿してください。 でわ。(^^

kuroneco
質問者

お礼

Syo-yaさん、こんにちは。その節はどうもありがとうございました。 おかげさまで、ヨガの後、熱が出たりするようなこともなくなりました。 今もまだ、「丹田」を感覚としてはとらえきれていません。 しかし「上がっている」「のぼせている」という感覚は少しずつわかってきました。 今まで「上半身」のみで生きていたなというのを、今とても思っています。 「長呼気」の練習としては、以前にSyo-yaさんが、どなたかの回答に「丹田呼吸法」を勧められていたのを拝見し、図書館で本を借りてみました。 本の通りに、みぞおちを「くの字」に曲げて長い息を吐いてみるのですが、「みぞおち」の場所もつかめないほど、お腹がかたいです(恥ずかしながらお肉もついています…)。 下腹部(丹田)にも力入らず肛門も閉まりません。(無理やり閉めています) こういう練習ですが、続けているうちに下腹部にも力入ってくるのでしょうか?

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  • Syo-ya
  • ベストアンサー率31% (558/1780)
回答No.6

お返事ありがとうございます。再度の投稿です。 お役に立てているでしょうか? 私も昔、自分の手足の感覚もわからなくなるほどにストレス漬けになったことがあります。 「手に意識を集中して」と言われても、手が何処にあるのか判らないほどでした。 それほどストレスでガンジガラメになっていました。 で、今から「意識」という言葉は永久に使用禁止にしてください。 「気づき」に変えてみてください。 例えば、鼻腔の風だって、無理から意識しなくても『気づくだけ』で良いんです。 普段、歩いているときも、足の裏に体重が乗っていることに気づいていませんよね? よほどの体重が乗っているハズなのに、不感症、無頓着になっているんです。 パンツや、スカートをはいていれば、腰の辺りに一年中圧迫感があるハズなのに、 私達は、まったく、それに気がついていません。 ストレスはかかり続ければ、感覚が麻痺してしまう証拠なんです。 気づくことも出来ないほどに、感覚が雑多になり、麻痺してしまうんです。 さらに自分が気づいていないことにも、気づけなくなってしまうんです。 で、そうなると身体もコチコチになるし、精神状態も悪くなるし、全身の調子が狂うんです。 ですから、ヨガにしても呼吸法にしても、その意義は「気づきの能力の開発」だと想うべきです。 無理やり意識する必要は無いんです。(これは言葉の表現だけの問題です) で、#5の出息入息の観察で全身の微妙な動きに気づいたら、その気づきの感覚を部屋全体にも広げます。 部屋や職場からも、樹木や電車、バスからだって、独特の雰囲気って出ていますから、それにも気づくようにしてみてください。 物だってそうです。箸だって靴だって、洋服だって、ご飯だって、みんなそれぞれに独特の雰囲気を持っていますので、それらに気づくようにします。 ・・・・・まあ、そんなに言葉どおりに上手くいくものではありませんが、 少なくとも無頓着(不感症)にならないように、気づきを巡らすようにしてみるんです。 歩くときも一歩、一歩、気づきながら歩きます。 「気づく」とは、理屈抜きに、全身全霊で感じ取るような感じです。 こんなことをしてるだけでも、身体がポカポカしてくるし、 心も身体も柔らかくなってくると想います。 で、上達してきたら、同様の理屈で、自分の心の状態にも気づくようにするんです。 怒っているときは、怒っていると気づきます。 何かを欲しがっているときは、そのように気づくようにします。 あらゆる自分の心の状態にも気づくようにするんです。 これで心の不感症も溶けていくんです。 こちらの#2も参考にしてみてください。 http://security.okweb.jp/kotaeru.php3?q=1119928

kuroneco
質問者

お礼

Syo-yaさん、質問に答えて下さってどうもありがとうございます。 ものすごく参考にさせていただいています。ここ数日でも変化あります。体が(息が)楽です。 わかりやすい言葉で詳しく説明してくださっているのに、飲み込みが悪くて恥ずかしいです。 「気づく」という言葉に置き換えた方が本当にしっくりきました。気が楽になるような気がします。確かにいろんなこと、スカートの圧迫感にしても、普段気になったことがありません。ものすごく鈍感になってしまっていますね。 最近、子供の頃はいろんな事がすぐ目についたり感じたりしていたのに、今はすっかりだなあと思っていました。 いろんなことに気づいていけるようになる、感じとれるようになる…素敵ですね。 すっかりカチカチになってしまった感覚を取り戻さないとダメですね。 それは力んでそうしようとするんじゃなくて、そっとひとつずつ取り戻していくという感じ…。そしてそれを広げていく…。 ありがとうございます。なんとなくイメージがわかったような気がします。 参考URL拝見しました。実践してみます。 長呼気の練習もします。 実はずうずうしくもお聞きしたいことがたくさんあるような気がするのに、今は自分でも何を質問したいのかがよくわからず、うまく文に出来ないです。回答して下さったアドバイスを読み返しながら練習を続けていきます。 もし差し支えがなかったら、また、補足の欄で質問させていただいてもよろしいでしょうか。ものすごく先になるかもしれませんが…。もしその時、覚えておられたら。

kuroneco
質問者

補足

Syo-yaさん、ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます。 また、どうぞよろしくお願いいたします。

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