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なぜ否定語しかない日本語(くだらない等)があるのか
否定語を伴わないと使えない動詞が日本語ではありますがどうして肯定表現で使う人はいないのでしょうか(ちなみに英語でもあるらしいです、具体例は知りませんが) 以下に例を挙げます ・「あの人はろくな女じゃないよね」に対して「そう?俺はろくな女だと思うよ」とは言わない ・「くだらないことやってんね」に対して「そう?結構くだることじゃない?」なんて言う人もいない ・「ここにはろくでもない人間しかいないな」に対して「俺らはろくでもある人間だろ?」とも言わない 「最近つまらないな」に対して「じゃあつまることしようぜ」とも言わない 「あの人、そこはかとない恐怖を感じるんだよな」に対して「俺はむしろそこはかとある恐怖を感じるわ」とも言わない 「あいつはいけすかない」とは言っても「あいつはいけすくなぁ」とは言わない 「このおいしさはたまらない」に対して「ダイエット中だろ?ためた方がいいよ」とも言わない 誰かが思いつきで肯定形を使い出してもいいはずですが、誰も使わないですがどうしてでしょうか ただ「ろくなやつじゃない」に対して「ろくなやつだ」と答える言い方は何度か耳にしたことはありますがいっこうに普及しないのが不思議です
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- Nakay702
- ベストアンサー率79% (10023/12546)
なるほど、面白い着眼ですね。確かに、「くだること」、「ろくでもある人間」、「つまること」、「そこはかとある恐怖」、「あいつはいけすく」、「ろくなやつだ」などの言い方は普通しませんね。ほかにも、「口さがない世間」に対して「口さがある世間」、「あられもない恰好」に対して「あられもある恰好」とは言いませんね。なぜでしょうか。 おそらく、それは「AかBか」、「AかCか」などの対立でなく、「Aかそれ以外の全てか」の対立を表すからではないでしょうか。つまり、「~ない○○」に当てはまらない者はすべて「~である○○」であって、「その中間や、どちらにも当てはまらない者は、いない/考えられない/考えても意味がない」…からではないでしょうか。例えば、「ろくでもない人間」以外はみな「ろくでもある人間」であるか、この際、そんなこと(ろくでもないとか、あるとかを詮索すること)には意味がないかのどちらかでしょう。 英語に no-man's-land「(敵味方陣地のどちらでもない)中間地帯」という表現がありますが、これに対して *yes-man's-land「(敵味方陣地のどちらでもない)中間地帯以外の地」というような表現は必要ないわけですね。なぜなら、no-man's-landの対義語は、いわば「それ以外の地のすべて」なのですから。 ところで、「言語は体系だ」と言われますね。しかしそれは機械的な体系でなく、人間の自己中心的な体系なんですね。つまり、人間原理による(人間にとって具合がいいように組み立てた)体系です。自然は連続体ですが、人間はそれを勝手に切り刻み、それに名をつけて用い、不要な部分は切り捨てるわけです。ですから、言語は物理的存在でなく心理的存在だとも言われます。 もし、言語を機械的・即物的体系にすると、それこそ使い物にならなくなるかも知れません。なぜなら、「くだらないこと」⇔「くだること」、「ろくでもない人間」⇔「ろくでもある人間」、「つまらないこと」⇔「つまること」etc.…と、いちいち対義語を設定しなければならなくなったり、イナダやハマチなどのいわゆる出世魚をいちいち「生後〇年から〇年までの幼いブリ」などと言わなければならなくなったり、さらには、「日が登る」を「地球が自転した結果太陽が現れる」のように言わなければならなくなるかも知れないからです! 以上を要約すると、例えば、「あいつはいけすかない」とは言っても、「あいつはいけすくなぁ」とは言わない、「ろくなやつじゃない」に対して「ろくなやつだ」とは言わないのは、通常、そういう表現を取り立てて使う必要がないから、ということになりそうですね。それでも、半意図的に使いたい場合は、カッコ付きで使うことになるでしょう。例えば、「アイツは何でも反対する。アイツを《いけすく》人がいたらお目にかかりたいよ」といった具合です。 その一方で、「人間の、人間による、人間のための」分節的体系のおかげで、《白牡丹といふといへども紅ほのか》(高浜虚子)というような、抒情性豊かな句を楽しむこともできるのだと思います。
- 薫子(@kao-ruko)
- ベストアンサー率23% (415/1730)
面白い視点ですね!
- eroero4649
- ベストアンサー率32% (11121/34623)
>「くだらないことやってんね」に対して「そう?結構くだることじゃない?」なんて言う人もいない 元々「都」を高い場所であると考えて、都から来たものを「くだりもの」という表現がありました。だから今でも「これは京都のくだりものだ」という使い方をすることがあるにはあります。意味としては「ありがたいもの」とか「質が良い物」というような場合に使う言葉です。 ちなみに東京発の電車が「下り」で、東京に向かう電車を「上り」というのも発想の基本は同じです。都が上で、地方が下。 で、質が良い物を「くだりもの」というので、質が悪いものを「くだらないもの」という表現が生まれたのです。そしてなぜだかは分かりませんが、「くだりもの」はあまり使われなくなりましたが「くだらないもの」は日常語として普及することになりました。 他にも「なぜかこっちの言葉だけが生き残る」というのはあります。陽が沈む時間帯のことを「黄昏(たそがれ)」といいます。黄昏は当て字で、「たそがれ」という言葉は大和言葉(日本古来からの言葉)です。陽が沈んできて相手の顔が分からなくなるので「誰ぞ彼」となるので「たそがれ」という言葉になりました。 けれど夜明けのまだ暗い時間帯もまだ相手の顔が分かりません。だからその時間帯は「彼は誰」となるので「かは(わ)たれ」といいます。朝が「かはたれ」で夕方が「たそがれ」。綺麗な言葉ですよね。でもなぜか「かはたれ」は使われなくなり「たそがれ」だけが残りました。 我々が日常的に使う「ダサい」という言葉。これが使われるようになったのは1980年あたりからで、同時に流行った言葉が「ナウい」だったのです。「ナウい」と「ダサい」はセットで流行った言葉でした。 けれど「ナウい」は一時的な流行語で終わり、なぜか「ダサい」のほうは生き残りました。 朝方は日が昇るのでポジティブな時間帯、夕方は陽が沈むのでネガティブな時間帯と考えることもできます。するとネガティブな「たそがれ」だけ生き残ったといえるかもしれません。 同じようにポジティブな表現である「くだりもの」があまり使われなくなり、ネガティブな表現の「くだらないもの」が日常的に使われている、ポジティブな意味のナウいが消えてネガティブな意味のダサいが残ったということもいえるかもしれません。 そうなると「対になる言葉ではネガティブな表現が生き残り、ポジティブな表現が消える」といえるかもしれませんが、ここまで書いてこれはもう言語学とか文化人類学とかそういう壮大な話になってしまうなと思ったので、ここから先は言語学者や文化人類学者の人が偶然この回答を読んで興味を持って研究してもらうことに期待したいと思います。
- marisuka
- ベストアンサー率38% (659/1691)
どうしてでしょうか、と聞かれると「確かなことは言えない」としか答えようがないですね。言語というより心理的な問題だと思います。 良い の反対は 悪い ですが、日本人の発想として、相手に生で 悪い と言うのははばかられた。そこで 「良い」ではない という言い方、つまり否定形の言い方を使うようにした。という日本人的な心理が働いた結果だと思います。 禄 下る 詰まる そこは「か」である 好く 溜まる 語源を考えればだいたい肯定的なものでしょう。それを否定的に使うとき、反対語ではなく ~じゃない、正反対とは言わないけどね、 とちょっとあいまいさを残した、ということだというのが私の個人的な意見です。 いやあ、言われてみればおっしゃるとおりです。おもしろいところに気づきましたね。考えるチャンスを与えていただきありがとうございます。こういう質問は大好きです。 ちなみに私は、英語の翻訳的な表現「ああ、この味は 悪くない」がきらいです。「いい」じゃないんかい!って思います。上から目線な気がして。
- kon555
- ベストアンサー率51% (1845/3564)
語源によるものですね。 例えば『下らない』ですが、これは元々江戸時代に由来し、天皇がいる京都から江戸に行く事は「下り(下る)」にあたります。 良い物は京都から江戸へ『下って』来る、転じて良くない物、どうでもいい物は『下らない』という事です。 ちなみに当時は『下り物』という表現もあったようです。 ただこれは当時、京都の方が文化的に洗練されていたことからの言い回しですから、やがて廃れたものの、慣用句的に定着した『下らない』は残っているわけです。 全ての言い回しがそうとは限らないでしょうが、元々あった対になる語句が廃れたり、マイナーな物になっている事が多いと思いますよ。
- takochann2
- ベストアンサー率36% (2458/6774)
「碌な~でない」慣用句ですから、通常通りの文法的解釈をするとおかしくなります。また、「くだらない」はほとんど形容詞で、一部に「ない」という語が混じっているだけで分割不能な全体で一つと考えてよいです。語源的には動詞と助動詞ですが今はそのように使いません。言葉遊びで碌な奴とかくだる奴と言うのはありですが、「ろくでもない」の反対語は「大した」、とか「立派な」という単語が適切でしょう。 前述を踏まえると、あなたの質問はなぜそのような言い回しが日本語に多いのか、という質問に置き換えられると思いますが、それは日本の言語文化、おそらくは思想的に単一民族であることや基本的に争いを好まず、角の立たない言葉を使う傾向があるからでしょう。