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中選挙区時代の自民党の派閥について

中選挙区制の頃は、自民党の派閥は若手政治家の教育機関になっていました。また派閥が政策集団にもなっていたため、自民党の中で政権交代のようなことも起こっていました。ですから今の自民党よりも、はるかに良かったと思うので中選挙区制に戻した方が良いと思うのですが、そう思っているのは、僕だけですか?

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  • staratras
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回答No.3

中選挙区制は良くも悪くも中途半端な制度でした。良かった点は、有権者の立場では自民党や社会党など一つの選挙区に複数の候補者を擁立する政党の支持者は、同じ政党の候補者の中から最も自分の考えに近い一人を選べたことです。選択の範囲が広かったのは有権者にとっては良いのですが、その裏返しとして政党の側は最終盤では自分の政党の支持者の票の奪い合いで「仁義なき戦い」となりました。同じ与(野)党支持者のほうが、反対党の支持者からより投票してもらい易かったからです。「◯◯先生は当選確実だから、当落線上のウチの候補にお願いします」という訴えが(客観情勢にはかかわらず)よく行われていました。 ただしご指摘の自民党内の「疑似政権交代」は選挙の結果による派閥の当選者の数の多い少ないの直接の反映ではなく、自民党の総裁選挙の結果によるものでした。(もちろん多数の議員がいる大派閥が有利でしたが、最大派閥でも過半数を占めることができないなら合従連衡が意味を持ちます) この同じ選挙区内の派閥間の競争は自民党の底力の源である一方、弊害や各派閥の金銭的な負担も大きく、「小選挙区制にして各党の公認候補は1人だけ」にすれば問題が改善されるのではないかと政治家が考えたのも無理からぬことでした。 そこで衆議院に小選挙区制を導入したのですが、アメリカやイギリスのように完全に小選挙区だけにすることには踏み切れず、比例代表制を加味した独自の制度にしました。この結果復活当選が可能になり、一つの選挙区から複数の候補者が当選するという点だけを見れば、中選挙区時代と変わらないことになってしまいました。その意味では現行制度も中途半端なのです。 また、各党の公認候補者が1人しか認められないため、特に自民党では公認争いが熾烈となり、調整がつかずに「分裂選挙」となることもしばしばです。このため派閥の力は衰えず、最近の事件のようなことも起きてしまいます。 結論としては中選挙区時代にも今の時代にもそれぞれ長所と短所があり、優劣は容易には決められないということです。ただしもとの制度に戻せないことは明らかです。現在の議員の大半は現行制度の時代しか知らない上に、現行の制度で当選した議員は制度の恩恵を受けているからです。何でわざわざ自分の地位が危うくなる可能性もある昔の制度に戻さなければならないんだ?と与野党を問わず考えることは同じでしょう。

kiyurohi88
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。大変勉強になりました。目からウロコが落ちました。

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その他の回答 (2)

  • eroero4649
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回答No.2

中選挙区制だと与野党の逆転は起こりづらく、政権交代が起きないというのも小選挙区制が導入された理由のひとつだったと記憶しています。 実際、小選挙区制の下に政権交代は起きました。 ただ政権交代して分かったのは、どうも日本人は二大政党制って苦手みたいだってことと、なんだかんだで世の中が変わってしまうことを我々自身が拒否してしまったってことだったと思います。 私はその分水嶺が、民主党政権による「事業仕分け」だったと思っています。 事業仕分けって、当初は国民は歓迎ムードで始まりました。無駄をなくしてくれることになるだろうと期待したのです。 けれど実際に始まってみると「自分の関わることが『無駄』とされるかもしれない」ってことにようやく気付いたのです。誰もが「俺以外の誰かを削れ」と思ってたんですよ。でも「アンタのところを削らせていただきますよ」となったら、みんな「いいや俺のところはめっちゃ重要や。俺以外のところを削れや」となったのです。その象徴がレンホーさんの「2番じゃダメなんですか?」だったと思います。 確か「2番じゃダメだ」ってことでスパコンは事業仕分けされなかったと思いますが、それで日本の衰亡が止められたのかというと止められなかったわけで。自動運転とかAIとかVRとか全部(先行しているのは)外国じゃんと私は思うわけで、外国はみんな「2番以下」だったわけでしょ。 それで「なんか変にいじるくらいなら現状維持のほうがいい」となっての安倍長期政権だったんじゃないかなあと思います。 安倍政権が何をしたのかというと、全体的には何もしてないですよね。アベノミクスも結局ちょっと株価が上がって一部のお金持ちが儲かった程度で。昔、拉致問題に積極的だったような気がしますけど、拉致問題の解決には一切なにもしなかったですし、夫婦別姓とか一億総活躍とか、なんだかんだで何にも変化はなかったじゃないですか。そしてそれに対して非常に高い支持があったわけですよね。 安倍派がやりたい放題やってたのも「俺たちには誰も逆らえない」という驕りがあったのは明らかで、実際に安倍さんがあんなことになったからここまで事件化できたのだと思いますよ。 もし安倍さんがご存命だったら、モリカケや桜問題のようになんだかんだであやふやにされてたんじゃないかなと思いますよ。

  • toka
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回答No.1

 そもそもなぜ中選挙区制から小選挙区制+比例代表になったかというと、直接の発端はリクルート事件に端を発した政治改革です。  あの時も「中選挙区制では一人の候補者が広い選挙区を回るから資金が要る。結果、党からの援助が期待しにくい新人は党の派閥から援助をもらい地元の有力者に還元し、金権選挙になる」といったような理屈だったような気がします。  つまり、今回の疑獄と構図は全く同じで、選挙区制だけでは金権選挙を抑止することはできないことを証明したのではないかと、私は思います。  政治資金規正法の更なる厳格化は必須でしょうが、最も大事かつ効果があるのは、国民とメディアがその都度大騒ぎし、常に緊張感のある国会になるよう誘導することでしょう。 国会議員のあり方を国会議員自身が立法するというルールである以上、議員が国民をなめるメカニズムになっているのですから。

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