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人類が農業を始める前の穀類摂取

穀類は主食ですが、人類が農業をする以前はどのように穀類を摂っていたのでしょうか?摂らなくても、野草、木の実、果実、魚介類、獣肉で健康を維持していたのでしょうか?

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  • 5555www
  • ベストアンサー率48% (143/292)
回答No.4

穀類は主食ですが、人類が農業をする以前はどのように穀類を摂っていたのでしょうか?……人類のうち、樹上生活から、地上への生活へ移りつつあった初期猿人に該当するアルディピクス・ラミダス(約450万年前頃)は、食料としては、まだ、木の実や葉が主体だったようですが、すでにイネ科やカヤツリグサ科の穀類を食べていたようです。それは、なんでわかるかというと、ヘビやワニ、肉食のライオンなどと違って、歯の形(食べ物を食いちぎるのではなく、すりつぶす臼歯の発達)によってわかるようです。化石で発見される歯の形やすり減り方によってわかるようです。 ただ、当時の人類は、まだ石器や土器も作ってはいませんし、火も利用していませんので、「生」で食べていたものと想像します。 ただ、ラミダスは、火を利用できないにしても、火山の噴火や落雷などによる自然の火はあっただろうし、もしかしたら自然の火に焼けた穀類や肉は、消化も良いし、美味しいということは、経験的には知っていたかもしれないと想像しています。 摂らなくても、野草、木の実、果実、魚介類、獣肉で健康を維持していたのでしょうか?……私は専門家ではありませんので、いい加減なことしか書けませんが、人類が木から下りて、地上生活をし始めたときから「健康の維持」よりも生き延びること、子孫を残すということのほうが大変だったようです。 だって、二本足で歩くこと、走ることに慣れた現代人類のなかの最速の男ウサイン・ボルトは100メートル9.58秒(約時速40km)という世界新記録を立てましたが、他の哺乳類の標準と比べても、お話にならないほど鈍足です。人間を襲うこともあるライオンやヒョウは、時速約80km以上ですし、ライオンに追いかけられるシマウマやインパラといった草食獣もそれとほぼ同等の走りができます。でなければ生きていけないのです。人類が、チンパンジーから分かれて、致命的な欠点があるにもかかわらず、なぜ、アフリカの地で、そしてこれまで地球上各地で生き延び、これまで発展???したのか、自学ながら、私も興味を持ち始めたところです。 アルディピクス・ラミダスの復元想像図(サピエンス物語「大英自然史博物館シリーズ」より)を添付しておきます。参考になれば幸いです。

その他の回答 (5)

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11125/34629)
回答No.6

人類は農業を始めるまでは、穀物は主な食料ではなかったと推測されています。主に肉を食べていて、他の回答者さんが指摘するように、食べられるものはなんでも食べていたようです。 このその日暮らしの狩猟生活にはいうまでもなく「生活が安定しない」という欠点があります。なので、農業以前の人類はある一定以上に人口が増えることはありませんでした。狩猟できる環境で、そこで生きられる人類の数の上限が決まるからです。その上限の数以上に増えることはありません。 これは食物連鎖の頂点にいる野生生物を考えれば自然なことですね。ホッキョクグマやライオンの数は、そのエサとなる草食動物の数で決まりますし、その草食動物の数は、そのエサとなる植物の分布で決まります。 ナチュラリスト系の人がやたらと糖質を嫌うのも、そもそも人類の食料に糖質がメインになったのはせいぜいここ2万年かそこいらの話で、人類の身体はまだ糖質の食事に慣れていないからだと思っているからです。

  • takochann2
  • ベストアンサー率36% (2462/6785)
回答No.5

もちろん農業以前も植物を食べていました。特に日本では縄文時代の三内丸山遺跡で狩猟栽培生活を送っていたことが分かっています。集落の周りにクリなどを植えて採集していました。食べかすが偶然生えたものでなく、(意図しない)品種改良をされていたものであることが遺伝子解析からわかっています。農耕生活と狩猟生活の中間の形態だと個人的には思っていますが、世界ではそのような遺跡は見つかっておらず。日本固有の生活形態かもしれません。世界最古級の土器も日本で見つかっており、日本の先史時代は興味深いです。

  • kzr260v2
  • ベストアンサー率47% (855/1783)
回答No.3

縄文時代が1万年続いた日本では、稲作は中心でなかっただけで、クリの木や、シイの実などをつけるいわゆるドングリの木を、意図的に植林し育てていたことが確認されています。つまり、稲作以前から農業は行われていたと言えます。クリ以外の果樹も育てていたようですし、大規模な建築物があったことから、水産物の養殖がされていてもおかしくなく、畜産もされていたと考えられます。ヨーロッパのように石やレンガは多用されず、植物など自然由来の素材が多かったため痕跡が残りにくいようです。 あと稲の遺伝子レベルの研究や、縄文時代の地層の発掘調査を朝鮮半島や中国大陸でも行われた結果、稲は渡来したのではなく、日本から中国大陸に伝播した可能性のほうが高い証拠が見つかっています。つまり、縄文時代から稲作は行われていたが、弥生時代以後のような大規模で組織的な稲作ではなかっただけ、と考えられています。 米や麦が大量生産された理由に、酒造りがあげられますが、もう一つ「権力者が税として徴収する上で都合がよい」ということがあります。地域によって、「うちはクリで納税」「うちはドングリで納税」「うちは干物で納税」なんてものより、単一の農作物のほうが管理しやすいです。弥生時代は中央集権の国家体制ができた時期でもありますので、理屈は通ります。ヨーロッパの麦も似たような考え方は成り立つようです。 (税が国にとって必須ではなく、人や人の活動こそが必要で必須なのですが、ご質問内容から外れすぎるため割愛いたします) 以上、参考にならなかったらごめんなさい。

  • f272
  • ベストアンサー率46% (8529/18258)
回答No.2

穀類も,木の実や果実と同様に食べていました。種をそのまま食べることから始まって,消化しやすくするために種を加工して食べることを覚えました。

  • marupero
  • ベストアンサー率27% (127/454)
回答No.1

>摂らなくても、野草、木の実、果実、魚介類、獣肉で健康を維持していたのでしょうか? 栽培スキルがなかったころは食べれるものはすべて食べるというスタイルなので常識内で食べれそうと思う物はすべて食べていたと推測する。

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