• ベストアンサー

柳条湖事件と天皇

先日、NHKで昭和天皇が語る開戦への道を見ました。結果的に、天皇を持ってしても陸軍の暴走を止める事はできなかった、という事ですが、唯一、止め得る瞬間があった。それは、関東軍の河本大作大佐が起こした柳条湖事件の時、もし、天皇が河本を厳しく処分、それも怒りを示して処分していれば、流石の陸軍将校も天皇の威光を恐れて無茶はしなかったのではないかと素人ながら思うのですが、どう思われるでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11121/34616)
回答No.1

昭和陸軍の暴走は、陸軍だけが暴走していたんじゃないんですよ。陸軍が国民世論を味方につけて暴走したものですから、ひとつの事件だけで解決する問題ではなかったと思います。 明らかに日本が間違った道に舵を切ってしまったのは、五一五事件だったと思います。五一五事件そのものより、事件を起こした青年将校たちが「義憤に駆られての行動だったから」という理由でやったことはテロなのに軽い罪になってしまったという結果ですね。 これによって一部の軍人たちは「国や国民を思っての行動なら、テロを起こしても少なくとも国民は支持してくれる」と確証を持ってしまいましたから。それが二二六事件に繋がるのです。 例えば日中戦争が泥沼化したのも、日本国内に「一撃膺懲論」というのが広まったからです。「中国人は話が通じないし、こちらが話を聞いてやろうとすると調子に乗る。かくなるうえは中国人に一撃を与えて分からせてやらないといけない」という考えが流行したのです。 これはなかなか難しい問題があって、実際に青島で中国のISみたいなのが外国人居留地を襲って女性をレイプしたなどの事件が起きていたのです。レイプされた日本人女性の股間に杭が入れられて殺されいたなんていうんですね。そんなことをされて、国民が冷静でいられるのはとても難しいと思います。 今のイスラエルとパレスチナと同じです。イスラムがテロを起こす。イスラエルが報復で爆弾を落とす。そこでパレスチナの子供が死ぬ。イスラムが報復する。怒りと悲劇のスパイラルです。どこで止めるのか。イスラエルに子供を殺された人に諦めろというのか。イスラムに息子を殺された人に仕方がないことだというのか。難しい問題ですね。

tahhzan
質問者

お礼

五一五事件ですか。なるほど。(天皇自身は、河本大作を処分出来なかった事を大変、悔やんでいたようでした) やはり、軍隊は扱い方によっては自国を守る英雄にもなるし、また、今次の大戦の如くにもなるし、難しいものだと思いました。ありがとうございました。

その他の回答 (2)

  • staratras
  • ベストアンサー率41% (1504/3660)
回答No.3

河本大作大佐が起こしたのは張作霖爆殺事件(満州某重大事件)ですが、ご質問の趣旨はこの事件の処理に関してでしょうか、それともタイトル通り柳条湖事件でしょうか。 ただし回答はどちらの事件も「厳しい処分は極めて困難であった」ということになるでしょう。(以下の回答はまず柳条湖事件についてです) その後の日本の歴史を知っている現代の人間から見れば、ご質問はもっともな疑問ですが、当時の状況を考えると逆に現実的ではなかったと考えられます。というのは、「満州事変」は「結果オーライ」で、「満蒙問題の解決」(と当時のほとんどの軍人と多くの政治家が考えていたもの)に貢献したからです。 歴史に「if」はありませんが、もし当時の中国が分裂した状態でなく、蒋介石の国民党政府が大量の軍隊を満州に送り込んで、関東軍の侵攻を阻止していれば、当然結果は変わっていたでしょう。少なくとも事変の関係者がその後栄転していったようなことはなく、どれだけ厳しい処分を受けたかは疑問ですが、何らかの処分はなされていたであろうと推測されます。 しかし当時の状況はそうではなく、東京の政府は陸軍首脳も含めて当初は不拡大方針を唱えていたものの、急進展する事態を次々に追認していきました。中国側には徹底抗戦の意思はなく、結局「満州国」の建国にまで至りました。こうやって既成事実を積み重ねて「結果を出して」しまえば、その発端となった人々に勲章を贈ることはできても処分することなど「もってのほか」になってしまいます。 なお、現実の問題として軍人の処分を天皇自身が行うことはできませんので、軍法会議などの法的な手続きをとる必要があり、軍の協力が不可欠です。 張作霖爆殺事件のあといったんは事件を起こした河本大作大佐らに対して「厳罰処分」を行おうとして天皇に上奏した田中義一首相は、のちにその方針を変えて事件をうやむやにしてしまいますが、このとき再び上奏した田中首相に対し昭和天皇は激しく叱責して辞表の提出を求め、その後田中内閣は総辞職しました。これについて天皇は後に「若気の至り」だったと反省しています。(「昭和天皇独白録」) 立憲君主制の君主の立場を守ろうとした昭和天皇は世襲企業のワンマン社長のように社員に「怒りを示して処分」するようなことはできないのです。

tahhzan
質問者

お礼

(体調を崩していたので返信が遅くなってすいませんm(_ _)m) なるほど。結果オーライですか。それなら、今、もし9条を変えて自衛隊を正式に軍隊と認めたら、「俺達は正式な軍隊だ」と勢いがついて、また、自分達の判断だけで事を起こし、それを政府が追認する、という悪循環は起こる可能性は無いのでしょうか?(私は、改憲派ですが…)

  • head1192
  • ベストアンサー率20% (161/785)
回答No.2

これには日本の曖昧な国体が大きく関係している。 日本は「天皇の国」でありながら「君臨すれども統治せず」だった。 「神聖ニシテ侵スベカラズ」のおまけつきである。 これは立憲君主制に近いが、侵してはならないのだから統治の責任は天皇でなく親補職が負う。 となれば親補職は責任に見合う権限(天皇大権)を持たなければ職責を十全に全うできない。 日本国は外国に蹂躙されることになる。 こうして「天皇機関説」が登場する。 天皇と言えども日本統治の一機関であり、できることとできないことがある。 その意味で親補職と職責を分担し合う仲である。 昭和天皇も天皇機関説の立場であり、親補職の権限に踏み込むことを極度に慎んでいた。 その戒めを破ったのは2回。 2・26事件と終戦の聖断だけである。 もし天皇の裁断が乱発されたらどうなるか。 立憲君主制でなく独裁制になる。 国体変更が国にもたらす混乱は歴史の示すとおりである。

tahhzan
質問者

お礼

なるほど。天皇機関説ですか。それなら、自分のような素人からすると、軍隊が暴走すると、いったい誰が止められるんだろう、という疑問がどうしても湧いてきますね…

関連するQ&A

専門家に質問してみよう