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昭和の革命心!映画「動乱」の魅力と時代背景
- 映画「動乱」は、昭和恐慌や二・二六事件という歴史的な出来事を背景に、青年将校と元娼婦の恋愛を描いた作品です。
- 高倉健さんと吉永小百合さんの共演は特筆すべきものであり、二人の魅力が引き立っています。
- 二・二 六事件は、日本経済の閉塞状況や政治・軍事上の対立が背景にあり、青年将校たちの決起は社会の不条理に抗う一つの方法となりました。
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イソケンさんこんにちわw 先日映画「226」は観たのですが、もっと勉強しなきゃと思ってます。歴史は俯瞰で見ることと、それぞれの立場に立って追体験することと両方大事かなと思います。その結果何が正しいのかわけわかんなくなるんですけどw >特に世を憂う青年将校達の目に映った姿は、娘を売らねばならぬほどに窮した一般庶民特に農村に於ける荒廃、 リーマンショック後仕事が激減して精神的に追い詰められた私は、戦前戦中の日本人に思いを馳せました。姉や妹、娘を売らなくてすむなら兵隊でもなんでもなるし、家族の暮らしを守れるなら特攻隊にも志願すると。 実際大して窮地でもない私がそう思うのだから、当時の当事者たちの気持ちも少しは分かった気になります。 前回「ステージ~」の質問のときも書きましたが、結局人間は、与えられた環境の中でもがいて頑張るしかなく、その評価は歴史の後の判定にまかせるだけです。 ただおっしゃる通り、226事件の首謀者は賊軍とされながらも。その後政治にプレッシャーを与えるのに軍部が利用したのは皮肉な事です。 しかし、226でターゲットにされるもギリギリの所で一命を取り留めた鈴木貫太郎が後に総理になってギリギリの終戦を成し遂げる。これも不思議な運命を感じます。 さて、その終戦間際に起きた「宮城事件」を私は挙げさせていただきます。 「日本の一番長い日」の小説と新旧映画を観た程度で、畑中少佐たちの気持ちがわかるってほど勉強できてないのですが、陸軍としては「徹底抗戦」を叫び続けながら、一転して降伏を受け入れることは、軍事教育が芯から刷り込まれた若い将校には耐えがたい事だったのでしょうか。 私は何度か書いてますが、絶対国防衛圏を破られた時点で戦争をやめられれば大平洋戦争の犠牲者の多くが生き残る事ができたはずで、そこが悔やまれて仕方無いのですが、その時点での降伏が許されない当時の状況もわかります。 ですから、二発の原爆とソ連侵攻という最後の終戦チャンスにあって、宮城事件を起こした畑中少佐たちは歴史的にすごく危ない存在です。阿南大臣が話に乗ってたら完全に本土決戦になってたでしょう。 しかし、「本土決戦」が当時既定路線だったのも事実。もちろん口には出さずとも有識者達が裏で終戦工作を進めていたわけですが、厚木航空隊はじめ、本土決戦のための戦力が実際かなり温存されていて、現場の将校がそれを残したまま降伏が受け入れられないのもわかります。 筋から言って、絶対国防衛圏を破られても戦争を止めなかったのなら、本土決戦までやるべきなのです。一体何のために特攻隊が時間を稼ぐために散っていったのか。大和や武蔵も何のために特攻したのか。 しかし、それらの特攻も終戦工作の一部だったという見方もできる。航空機による特攻は「こんな特攻作戦やるまでになったら、さすがに天皇陛下が聖断を下してくれるだろう」という思惑で始めたという説があります。しかし関大尉が大戦果を上げて天皇が「まことに遺憾であるが、よくやった」と褒めてしまって、思惑とは裏腹に多くの特攻隊員が命を散らすことになってしまった。 また大和や武蔵は、これらを残しての降伏は継戦派が許さないだろうと、終戦派の工作で死地へ追いやられたってのも間違いないでしょう。 何だか色んな思惑が複雑に絡んで、一体何を相手に戦争してるのか私にはもうよくわかんないです。これから昭和天皇独白録なんかも読まなきゃいけませんw いつもと同じくまとまりませんが、イソケンさん総括おねがいします♪
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- kamejrou
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こんばんはisokenさん 最近は陽気も良いものですからほっつき歩いております 殆ど浮浪児のようなものです ここを覗くのも一週間ぶりくらいでしょうか? もう余り興味もない それでもisoken さん質問でもされてるかな? 少し遅くはなりましたが覗いてみる 前までさかのぼるのでこれが結構大変アハハハ ところで旅行の予定は決まりましたか? 時代を遡ればこれは実に多いのでしょう 「平将門」、この人の事はisoken さんとは何度か話しておりますし 彼は天皇に弓ひいた訳でもない いわゆる朝廷政治と言うものに対し乱を起こすしかなかった 私は良く分かるのです Isoken さん、歴史とは一面的なものでないと言われる 仰るとうりです 陽があればまた陰もあるわけで当然なのです 後世の我々が軽々に判断出来ることでもない Isoken さんとは歴史観が似ておりますからねどうもいけないアハハハ 田中角栄さんの「ロッキード事件」の事を話してみましょうう 私はisoken さんが角栄さん並びに小沢一郎を評価している事は承知してます 私も同じです 政治とは力でしょう 力とは数なのでしょうね では数とは何か?と言われればこれは金と言うことになる 自分の考える政策なりを実現しようと思えばこれは仕方のないような まあこれは反論も多いと思いますが私は金権政治と言う言葉は嫌いですが 水あまりに清くても人は生きるには辛そうです
お礼
kamejrou さん、こんにちは。 これはもう皆様に申し上げておりますが、お礼が遅くなりまして恐縮至極です。 さて小雨そぼ降る先週の日曜日、家内に無理矢理手を引っ張られて、隅田川沿いに花見に出掛けましてね、その後蕎麦を啜るか寿司にするか迷ったのですが、いつもとは趣向を変えて、家内存じ寄りで浅草駅から徒歩数分の 「 弁天山美家古寿司 」 という、江戸前握り鮨三大始祖の流れを汲むという名店に参った次第です。 kamejrou さんもよく御存じの 寿司清 が 4代 130年の格式を誇れば、こちらの創業は何と慶応年間 ( 1866年 )現在で5代目との事、間口一間余りで目立たぬ佇まいの店ですが、いやはや伝統とは凄いものですねぇ。 食の門外漢の私としては詳しい薀蓄を述べられずもどかしいのですが、何を食べても 「 美味い! 」 と唸る他なかった、特に 鮃の昆布〆 と 富山湾産の鰤 そして 才巻海老 は絶品でしてね、もしまだでしたらそのうち是非に・・。 酒もビールと日本酒以外は置いてませんが、必要以上に客に媚びないその姿勢は、やはり江戸っ子気質という事なんでしょうか。 実は先週だかの yuria さんのお題に、kamejrou さんが回答されていたのは存じておりましたが、皆様から頂戴した回答にお礼をしておりませんでしたので、投稿出来ませんでした。 >ここを覗くのも一週間ぶりくらいでしょうか? >もう余り興味もない 2月末から3月初頭に掛け、珍しく忙しさにかまけて私も当サイトをあまり覗かなかった、依って kamejrou さんの質問も知りませんで、今回の質問で一部内容が被ってしまい大変失礼致しました。 ところで少々興味が薄くなってきたのは私も同様でして、昨今は回答意欲がそそられる質問も少ない、いつだか Nannette さんが同様の事を申しておられましたが、どうなんでしょうねぇ。 >ところで旅行の予定は決まりましたか? 5月の2日と6日を休めば10連休なんです、通年であれば構わず休暇を取るのですが、諸般の事情で今年はそれも出来ない、・・と言う事で今年のGWは5日のゴルフだけになりそうです。 さて本題、 >「平将門」、この人の事はisoken さんとは何度か話しておりますし >彼は天皇に弓ひいた訳でもない >いわゆる朝廷政治と言うものに対し乱を起こすしかなかった 当時板東武者及びその一族郎党は朝廷の搾取に晒されていた、課された労役もそうでしょう、依って誰かがやらねばならなかった先駆け・・、そういう事であったろうと思います。 彼が風穴を開けたその先にこそ、清盛・頼朝以降武家政治へと至る回廊がある・・、そういう事ではないでしょうか。 >田中角栄さんの「ロッキード事件」の事を話してみましょうう 私はisoken さんが角栄さん並びに小沢一郎を評価している事は承知してます >私も同じです政治とは力でしょう >力とは数なのでしょうね >では数とは何か?と言われればこれは金と言うことになる >自分の考える政策なりを実現しようと思えばこれは仕方のないような 仮に kamejrou さんと私の価値観が似ているとすれば、この辺りの感覚ではないでしょうか、・・でなければやくざ社会も語れませんしね・・。 ところで昨今何故かまた田中角栄ブーム・・、彼に関する著書が売れに売れているそうです。 私には分かる気がしますね、この沈滞した世相に風穴を開ける馬力の有る魅力的な政治家がほぼ皆無の昨今ですから。 そりゃ金権政治は褒められた事じゃない、ただ福田赳夫さんや大平正芳さんのような、学閥・官歴に依る合法的集金・集票マシーンを持たなかった角栄さんとしては、自ずと危ない金に手を出さざるを得なかったという背景は認識すべきでしょう。 その点を非難するのは簡単ですが、少なくともかつて田中金権スキャンダルを暴いた 「 ラーメン大好き小池さん 」 のような髪型の立花某という似非インテリに、一体世間の何が分かっていたというのでしょうか。 何の理想も持たず実行力もなく、ただただクリーンな点のみを標榜し、莫大な歳費を合法的に冗費する無能な政治家との比較に於いてどうだろうか・・、そう考えざるを得ません。 仰る通りで政治は力・・そしてその源泉は議員の数です、今とは違い選挙資金そして盆暮れの餅代も欠かせず、派閥の領袖ともなればそれだけで軽く数億を超える金が必要な時代でもありました。 但しその先には、少なくともこの日本という国を良くしたいという理想があった・・、私としてはそう信じたいものです。 一方何かとメディアから袋叩きにされた、かつての小沢一郎さんもそうでしょう。 彼の著書 「 日本改造計画 」 は、彼の師匠である田中角栄著 「 日本列島改造論 」 の亜流では決してなく、時代を先取りしつつもしっかりと足が地に着いた政策提言でありました。 >まあこれは反論も多いと思いますが私は金権政治と言う言葉は嫌いですが >水あまりに清くても人は生きるには辛そうです 「 白河の 清きに魚も 住みかねて もとの濁りの 田沼恋しき 」 全くこの狂歌の通りでしょう。 清くとも活力が無い社会は何れ衰退せざるを得ない、我が日本百年の計の為にも、重箱の隅をつつくが如き昨今の風潮は如何なものかと・・。 その一方で、我が国であれば恐らく首相候補すら辞退せざるを得ない、ドナルド・トランプ氏の暴言にも似た本音の演説が、それなりに許容されるアメリカ世論の懐の深さ・・、見習う点があるのかも知れません。 回答ありがとうございました。
- o09080706o
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名古屋立てこもり放火事件(2003年) https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E7%AB%8B%E3%81%A6%E3%81%93%E3%82%82%E3%82%8A%E6%94%BE%E7%81%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6
お礼
o09080706o さん、こんにちは。 >名古屋立てこもり放火事件(2003年) さて何ともコメントに困る事件を御提示頂きました。 以下客観的立場を逸脱した個人的意見と御理解頂きたいが、労働に対する正当な対価を要求するのは至極当然の事です、犯人に対しては正直同情を禁じ得ません。 ただ他に犠牲者が出ておりまして、その御遺族の事を考えますとどうでしょう。 回答ありがとうございました。
補足
お礼が遅くなりまして、申し訳ありませんでした。
- ミッタン(@michiyo19750208)
- ベストアンサー率15% (3894/25669)
isoken大センセこんばんは 清原ロス真っ只中のワタクシです 毎日のようにyoutubeで動画検索をしていますが、これはもう誰が悪いのか分からなくなってしまいました 「覚せい剤」これは決して許されるものではありませんが、何がそうさせてしまったのか? 桑田がドラ1で読売に行ったから? 堤&森が「キヨ、キヨ」と猫かわいがりして甘やかしたから? 堀内とウマが合わなくてふて腐れたから? ストレスの解消法が分からなかったから? ドラフトの件に関しては「30年も前のことを言うのはおかしい」という意見もこのサイトでありましたが、18歳なんてガキですよ、ガキ そのガキの未来が紙切れ1枚で決められるなんて、私には無理です 仲人さんが勝手に男性を見つけてきて、結婚式当日に「この人の嫁になれ」って言われているようなもの 読売もなぜ抜き打ちで尿検査でもしてくれなかった? 火のあるところだから煙が立ったわけでしょう? 読売ブランドを汚したくなかったから敢えてスルーしたの? 毎日のように夢にまで出てきます あの天才すぎる右打ち、バット1本で50億円、こんな恵まれた選手はいません 私もこんな悔しいやら悲しいやらこの歳になってこんな思いをするとは…? 答えを教えて下さいm(_ _)m
お礼
michiyo さん、おはようございます。 お礼が遅くなりまして、大変申し訳ありません。 >清原ロス真っ只中のワタクシです 清原は根っからのワルじゃない・・、私だってそう思います。 単なる駄々っ子、いい大人になった今でもきっとそうなんでしょう。 名球会のイベントで長嶋さんに深々と頭を下げた写真を見ますとね、あのお辞儀は世辞やゴマすりで出来るもんじゃない、素直になれる方に対しては人並み以上の礼を尽くしているんだと・・、今でも 「 じ~~~ん 」 ・・と来るんです。 >「覚せい剤」これは決して許されるものではありませんが、何がそうさせてしまったのか? 彼を納得づくで叱ってやれる大人が周囲にいなかった、結局そういう事だろうと思います。 何せ高1からスターでした、プロ入りしたらしたで西武堤元オーナーの秘蔵っ子扱いでしたから、若くしてアンタッチャブルな存在だったんでしょう、依って諸事うるさい森さんも怒れず、清原に対する周囲のスタンスがあの頃既に決まってしまい、当の本人もその辺りの軌道修正が出来なかった・、或る種の悲劇という事かも知れません。 当時読売に追い付け追い越せが大目標・・、金に糸目を付けず球団を持った堤さんにとって、ジャイアンツからドラ1の約束を反故にされ、世間の同情を買った清原は恰好のパブリシティ以外の何物でも無かった、つまり大人の政治的思惑の犠牲になった面が無い訳ではないと思います。 ただこう言っちゃ悪いが、その為に成績以上の年棒を取り続けていた事も確かじゃないかと・・。 「 清原の年棒は下げるな! 」 ・・堤オーナーの鶴の一声があったやに漏れ聞いておりますしね、そういう恩恵も確かにあった、だから後段でミッタンが触れている通りバット1本で50億円・・、30の声を聞くともう 走れない・守れない・フル出場も無理・・となれば、正当な評価であれば生涯年棒は精々その半分程度であったでしょう。 >ドラフトの件に関しては「30年も前のことを言うのはおかしい」という意見もこのサイトでありましたが、18歳なんてガキですよ、ガキ これはルールだから仕方ない・・、彼以上に苦汁を舐めた若手有望選手はごまんとおりました。 例えは不適切かも知れませんが、時々このサイトへの不満を仰る方がおります、 「 悪法も法なり 」 ・・それに従えねばその強制力の埒外に退場するしかない、私としてはそう思ってしまいますねぇ。 以上、包み隠すところのない本音です。 回答ありがとうございました。
- 投稿削除メガネ(@chacha0035)
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isoken先生、こんばんは。 個人的には「盾の会事件」です。 三島由紀夫の気持ち、少しだけですが分からないでもないです。 檄文を読んでも正論だなと思う部分が無いわけじゃないですし・・・ 個人的にも、我が国の防衛を司る自衛隊の存在を、せこい解釈とかで合憲とか言ってないで、 堂々と憲法に明文化すべきじゃないかなとも思います。 (軍国主義みたいなのは嫌ですが) もちろん、人質とって自分の主張を一方的にするやり方はどうかと思いますが、 最初から彼は森田と二人で自決するつもりだったみたいだし、 自衛隊に決起を促すのも一種のパフォーマンス的なところがみえますから、 その辺は情状酌量の余地がないわけじゃない(←何様だ!!w)かなと。 ところで、回答前の下調べの際にwikipediaで見かけたんですが、 高倉健さんがこの事件に触発されて、三島の映画を製作する予定だったとか。 でも土壇場で平岡夫人の了解が得られず映画製作を断念せざるを得なくなくなったそうです。 健さんの演じる三島由紀夫・・・観たかったっすw
お礼
chacha 師匠、おはようございます。 お礼が遅くなりまして、申し訳ありません。 >個人的には「盾の会事件」です。 >三島由紀夫の気持ち、少しだけですが分からないでもないです。 三島由紀夫の自決は、浅間山荘事件・大久保清事件辺りと並び、今尚私の生涯でTOP5に入る印象深い事件の1つ。 無論当時まだ10歳の鼻たれ小僧の私には、事件の概要がさっぱり分からなかった、ただ大新聞・テレビを始めとして、狂気の沙汰と一刀両断したメディアの論調ははっきり覚えております。 >檄文を読んでも正論だなと思う部分が無いわけじゃないですし・・・ >個人的にも、我が国の防衛を司る自衛隊の存在を、せこい解釈とかで合憲とか言ってないで、 >堂々と憲法に明文化すべきじゃないかなとも思います。 >(軍国主義みたいなのは嫌ですが) 百歩譲って三島由紀夫事件が世紀の暴発であったとしましょう、ただ少なくとも当時彼等が有した危機感が、時代の趨勢に追いついて来た気はします。 何せあの事件から45年が経過しまして、我が国を取り巻く国際情勢が激変したにも関わらず、埃が被り手垢が付いた憲法の条文を今尚後生大事に神棚に祀り、一句一字正そうとしない国家・・、一体どうなんでしょう。 憲法とは所詮国家国民の為の方便、依って時代の変遷と共に見直されるべきもの、誠に以って本末転倒の極みではないでしょうか、少なくとも私は憲法と心中するのは真っ平御免なんですが・・。 尚自衛隊に関しては全く仰る通りで、現に存在する軍隊を言葉の遊びで誤魔化す事を止め、憲法を改正して万に一つも暴走不可能且つ厳粛なルールを作り上げる事こそ急務でしょう、政府見解や内閣法制局に依る拡大解釈の方がよほど危険なはずです。 以下余談ながら、繁栄を享受した西ローマ帝国滅亡のキー・ワードは、産業 ( 農業 ) の空洞化そして傭兵の存在でしょう。 前者は小麦他主食の生産を東方に委ね、ローマ周辺は換金性の高い作物の生産にシフトしたが為、東方領土が奪取され且つ交通が遮断されるに従い、帝国中枢部の経済的な沈滞が顕著となった点。 後者はゲルマンの侵入が度重なるに連れ、帝国の防衛を同じゲルマンの傭兵部隊の手に委ねた為、亡国に至った点を指します。 現在の我が国を取り巻く環境に似ていなくもない・・、そう感じてしまいますね。 回答ありがとうございました。
- sqqrcxvx
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isokenさんこんばんは >さて二・二六事件というクーデター 未遂、極論すれば陸軍皇道派と統制派の対立の果て・・という構図なのでしょうが 2月下旬にKさんが226について質問されました。言い残した事もありますので、少し補足させて頂きます。 Kさんへの回答でこう言いました。秩父宮が事件の前年に弘前第8師団に転属になったのは不自然ではないですかと。皇族軍人は本陣の中にいるのが普通でして、万幕の外へ放り出されるなど穏やかとは言えない。 遠く南北朝動乱まで遡れば皇族方の吉野放遂とかがありましたが。時は下って20世紀の昭和です。軍内部で深刻な権力闘争があったと思わざるを得ません。 明治以来、天皇主権だったことなど一度もないのですが、特に昭和初期においては天皇が青年なので、軍や政界の重鎮は面従腹背とは言いませんが、まぁいろいろありますよね。 秩父宮がその辺をどう感じていたか。天皇親政が持論の宮が皇道派青年将校の間で人気があった事も頷けます。青年将校側とすれば秩父宮をシンパにすれば、錦の御旗の下に立ったのも同然、事が起こっても自分達は反乱軍ではなく皇軍ですから。ただ双方がどの程度の関係だったのかは詳しく知りません。錦の御旗があちらとこちらに2本立っては困りますよね。 ところがです。事件の翌日に早くも宮は弘前から上京、宮中で天皇と会見します。ANAの国内線ではい1時間で羽田着という時代ではないですから、そのスピードに驚かされます。 想像ですが「自分は事件と関係ない」という事を急遽伝えたかった??このまま内戦ともなれば皇室の存続にも関って来ますから。会見後には「青年将校は自死すべき」と発言もしています。 >選挙権すら制限されていたあの時代、仮に不条理な社会に風穴を開けるとすれば彼等青年将校の決起しかなかったでしょう、ただあのクーデター未遂が、その後の軍国主義化を加速したのは間違いのない事実ではありますが・・。 青年将校たちは、自分達の背後には皇道派の将軍たちが付いていると信じていた。まさかあのおっさん達が、自分達を見捨て我が身の保身だけに走ろうとは。 前置きが長くなりました。 >さても全面的な容認は不可能ではあるが、気持ちが分からないでもない・・、そんな歴史的事件がありましたら、お教えください 事件ではなく事象とか現象と呼んだ方が良いかもしれませんが。 あの「アラブの春」の前と後の差異ですね。 フセイン・ムバラク・アサド(父)・カダフイ、これら開発独裁の頭目達の悪口を言うのは容易いのですが。 彼らの頃はイスラム原理主義は静かでしたね。独裁者に誰もが押え込まれていた。そして彼らが倒れ皆が自由にものが言える時代になった。するとパンドラの箱をひっくり返した様な有様になっています。 アルカイダがISと呼ばれる様になり、下部組織がどう複雑に入り組んでいるのかもわからない。 塩野七生は言います。アラブ世界は巨大なモスクを造り高度な大学も作った。しかし世界に通用する一流企業を創り出せずにいる。高度な大学を出た若者の受け入れ先が乏しい。行き場を失った彼らのある部分が原理主義に流れる。 いったい善とはそして悪とは?何だったのでしょうね?
お礼
sq さん、おはようございます。 お礼が遅くなりまして、申し訳ありません。 昨日マスターズが開幕しまして、今朝も早くから起き出し夫婦して観戦中・・、私は勿論松山選手、家内はオーストラリアのジェイソン・デイが贔屓ですが、いつも応援するのはハンサムな選手ばかり・・、困ったものです。 そんな中かつてのスーパー・スター、トム・ワトソンがマスターズ引退を表明しまして、世界中のゴルファーの中でワトソンが一番大好きだった私は、嵐のようなスタンディング・オベーションに包まれた18Hの光景に、思わず貰い泣きしてしまいました。 正直言ってアメリカという国はあまり好きになれませんが、こういったところはやはり素晴らしいですねえ。 一方先日マエケンがいいピッチングをしたようです、おまけにホームランのおまけ付き・・、内容を見ておりませんが何せこの世界は結果が全て、マー君共々頑張って欲しいものです。 >2月下旬にKさんが226について質問されました。言い残した事もありますので、少し補足させて頂きます。 実はその頃、忙しさにかまけて当サイトを殆ど覗いておりませんでした、Kさんの質問と重なったとすれば、大変申し訳ない事をしました。 >Kさんへの回答でこう言いました。秩父宮が事件の前年に弘前第8師団に転属になったのは不自然ではないですかと。皇族軍人は本陣の中にいるのが普通でして、万幕の外へ放り出されるなど穏やかとは言えない。 二・二六事件の処刑に於いて、安藤輝三大尉が 「 秩父宮殿下 万歳! 」 ・・と叫んだとか叫ばなかったとか・・。 >想像ですが「自分は事件と関係ない」という事を急遽伝えたかった??このまま内戦ともなれば皇室の存続にも関って来ますから。会見後には「青年将校は自死すべき」と発言もしています。 秩父宮に関しては、正直言って過大評価であったと思わないではありません、或いは政治に直接的な責任を担わない皇族の気紛れとでも言いましょうか・・。 >フセイン・ムバラク・アサド(父)・カダフイ、これら開発独裁の頭目達の悪口を言うのは容易いのですが。 これでもかという強烈な個性が揃いましたが、仰る通りで欧米のメディアにかかれば、アラブの指導者達は糞も味噌も一緒にされてしまいますね。 自分達の価値観以外は一切認めない・・、アラブの地に歪なナショナリズムを齎せたのは、他ならぬ彼等だと思うのですが。 >彼らの頃はイスラム原理主義は静かでしたね。独裁者に誰もが押え込まれていた。そして彼らが倒れ皆が自由にものが言える時代になった。するとパンドラの箱をひっくり返した様な有様になっています。 強権だろうが何だろうが・・、長期に渡り難しい地域にそれなりの安定化を齎した功績は素直に認めるべきでしょう、ところがその後の 「 アラブの春 」 「 ジャスミン革命 」 ・・と響きだけはいいものの、その内実たるや酷いありさまです。 >アルカイダがISと呼ばれる様になり、下部組織がどう複雑に入り組んでいるのかもわからない。 当該地域に於ける欧米列強・・、ことにオスマン・トルコからの独立を餌にゲリラ戦を促し、他方パレスチナでの国家建設を約束して主として戦費面での協力を取り付けた、つまりユダヤとアラブ双方に相反する証文を出し、その殆どを反故にしたイギリスの罪は小さくないでしょう。 第一次大戦後には入り組んだ民族性を無視して、シリア・レバノン他北の交通の要衝をフランスが、そしてパレスチナ・ヨルダン・イラクをイギリスが手に入れましたが、元々国境の概念が無かった地域を実にドライにばっさりと切り裂いた、それがパレスチナ問題・クルド人問題他、今に至る悲劇と禍根の種を撒く事となります。 そこに石油利権を狙ってコミットし、遥か後年フセイン政権を叩き潰したアメリカを含め、現在関係各国を悩ませるシリア難民問題の殆どは米英仏3国に由来するものでありまして、他国に応分の負担を求めるのは正直如何なものか・・、私なんかそう思ってしまいます。 回答ありがとうございました。
本能寺の変、・・と書こうとして調べてみると、謀反の原因は これが日本史でもトップクラスの謎なのだそうで、定説のない なかで新たに古文書が出て来たり単なる「光秀の怨恨」 では片付かないようです。 四国の長曾我部元親が光秀の重臣に送った手紙というのがそれで こんな説までからむと、短気な私が「気持ちは分かる・・光秀くん」 と同情するわけにもいかないです。 歴史研究が趣味の諸兄姉のなかには、いや「信長は比叡山の次は 京都御所の焼き討ちを考えていたのだ」という暴論がでてきて さすがの忠犬光秀くんも、これはビビったのでしょう。 かくなる上は主君を討つのもやむなし。 この理屈は「気持ちは分かる・・光秀くん」というのには説得力が あります。いやはや、素人歴史家の発想力は面白いです。 戦前は、不敬罪という罪があって、これと悪名高き治安維持法 の二つで抹殺されかかったのが、大本教。 この宗教、世界の中心は日本、日本地図は世界地図の相似形 というくらい、国粋主義的なのに、記紀よりも大本の教典 「霊界物語」のほうが上にあるという書き方をして軍部に睨まれた。 弾圧は第一次(1921年)第二次(1935年)と二度に及び施設の ダイナマイトによる破壊と幹部・関係者、主だった信徒の逮捕 拘束により事実上消滅した。 この事件を素材に、作家高橋和巳は『邪宗門』を書きました。 これは凄い小説です。また、日本海海戦後の秋山真之が宗教研究 に没頭した際、大本教に入信したという話もあります。 私が「気持ちは分かる」というのは布教を行った出口王仁三郎では なく、徹底的な破戒を行った時の権力者、警察権力者に対して です。彼らは「現人神」としての天皇「日本神道」という心の支え を揺るがす「邪宗」に対する底知れぬ恐怖だったのではないでしょうか。 完膚なきまでに叩き潰された施設の写真を見るにつけて、 そこまでやらなくても・・という気持ちになります。 出口王仁三郎は、反差別思想や平和主義を標榜してエスペラントの 不朽にも尽力しました。“人群万類愛善”、“万教同根”を主張し、 人種・宗教・国籍の違いを超え、世界平和実現を目指していました。 戦後、自由になった王仁三郎は、膨大な損害賠償を請求することを 人に勧められたときに、国民が困窮している時にそのような請求を するつもりはないと断ったといいます。 さて、先日WOWOWで放送された「しんがり 山一証券最後の聖戦」 http://www.wowow.co.jp/dramaw/shingari/ を観ました。トンビさんの回答で思い出しました。ご覧になっていなければ おススメです。門外漢の私でも楽しめた人間ドラマでした。 損失補てん、飛ばしの経済犯罪・不正の実態を山一の社内調査で 明確にしていく様子に感銘をうけます。 元会長の「まつりごと」で2800億円の損失が15年も隠ぺいされ 続けるのは「気持ちは分かる・・」とは言えません。 会社のためと言ってる奴が一番悪い。 社員の数十倍の私腹を肥やす役員の気持ちがわかるとは言いたく ないです。わかるのは一度吸った蜜の味を捨てられない 人間の弱さだけです。 彼らも、生きる糧をくれる会社組織という信奉し、治安維持法 を守っていた戦前の官憲と同じように会社を守ろうとしただけ なのでしょうけど。
お礼
ex さん、こんばんは。 お礼が遅くなりまして、申し訳ありません。 >本能寺の変、・・と書こうとして調べてみると、謀反の原因は これが日本史でもトップクラスの謎なのだそうで、定説のない なかで新たに古文書が出て来たり単なる「光秀の怨恨」 では片付かないようです。 余りに苛烈な主君を持った配下の苦悩は、その下に仕えた者でなくては分からないのでしょう・・、あの時の光秀は恐らく精神を病んでいたんだろうと思います。 ・・でなければ、織田家随一の怜悧な頭脳と呼ばれた彼が、北に数万の軍勢を率いる柴田勝家、西には毛利に対抗するに十分な兵力を持った羽柴秀吉がいたという畿内外の客観情勢下に於いて、謀反が成就するという確信を持つはずがありませんから。 事の重要性と損得が計算出来ぬほどに追い詰められていた故、明智光秀は本邦の歴史上最大の謀反人として後世に名を残した、・・合理的な推論ではないでしょうか。 ひょっとすると毛利・長曾我部・南紀の旧本願寺残党或いは上杉に依る、織田包囲網を思い浮かべていた可能性は否定出来ませんが、そもそも毛利と長曾我部は伊予を巡って互いに潜在敵国同士、一方当時の上杉に至っては、越後国内に不満分子すら抱えておりまして、可能動員兵力は恐らく1万もない微弱な勢力でしかない。 つまり健全な精神状態の頃の明智光秀であれば、恐らく彼自身が一笑に付す程度の絵に描いた餅でしかなかったいう事です。 >四国の長曾我部元親が光秀の重臣に送った手紙というのがそれで こんな説までからむと、短気な私が「気持ちは分かる・・光秀くん」 と同情するわけにもいかないです。 公式か非公式かは別として、織田家の職制の一つに 「 申し次ぎ 」 というものがありました。 言うなれば、他家と織田家との外交交渉の窓口という程度のものですが、光秀の重臣斎藤内蔵助利三の異父妹が、元親の正室であり且つ嫡男信親の母であった関係上、長曾我部の申し次ぎを自認していた彼或いは家来筋に、長曾我部から何等かの具体的なコンタクトがあったとしても不思議ではないでしょうねぇ。 但し仮に大幅な領土割譲を申し入れたとしても、信長の視線の先に長曾我部家が生き残る未来像は恐らくなかったとも思いますが・・。 >歴史研究が趣味の諸兄姉のなかには、いや「信長は比叡山の次は 京都御所の焼き討ちを考えていたのだ」という暴論がでてきて さすがの忠犬光秀くんも、これはビビったのでしょう。 >かくなる上は主君を討つのもやむなし。 >この理屈は「気持ちは分かる・・光秀くん」というのには説得力が あります。いやはや、素人歴史家の発想力は面白いです。 歴史に想像を巡らすのは楽しいものです、私も嫌いじゃない、そもそも断言可能な歴史そのものがどれほどあるものなのか・・。 ・・と言う事で、これも飽く迄も個人的見解なのですが、歴史的権威が冒される事に対する義憤は、恐らく光秀の頭の片隅にもなかったはずです。 元来光秀というお人は決して情に走る種類の武将ではない、過去於いて足利最後の将軍にして旧主の義昭を無情に切り捨てておりますしね・・。 >戦前は、不敬罪という罪があって、これと悪名高き治安維持法 の二つで抹殺されかかったのが、大本教。 私は宗教というものがよく分かりません、精神世界が説く何がしかが伝播し難い体質でもあるようです。 ただ大本教に関して少しばかり調べましたら、決して権力や政治に無関心な宗教団体ではなかったようですね、皇道派と繋がりラストエンペラー 愛新覚羅溥儀にも接触を図っているようですし・・。 >さて、先日WOWOWで放送された「しんがり 山一証券最後の聖戦」 山一證券の破綻に関しては、大学のレポートで優を頂ける程度の知識はあると思ってますが、やはり我々部外者には表面的な事象しか分からない、近々是非観てみたいですね、御紹介ありがとうございます。 さて 「 にぎり 」 に 「 飛ばし 」 ・・、流行語にもなりましたし ex さんには釈迦に説法でしょうが、そもそも利回りを保証したら博奕じゃないですよね。 それとその先にある損失補填に関して言えば、営業利益で野村証券の 1/5 程度でしかなかった山一が、件数・金額共に4大証券のトップ・・、破綻も止む無しの状況にあったようです。 「 主幹事を降りてもらおうか・・ 」 、顧客からそのセリフが出れば、或る程度の要求には応じざるを得なかったのかも知れない、何れにしても法人部に籍を置いていた営業マンにとっては、針の筵であった事でしょう、とても他人事とは思えませんが・・。 一方の 「 飛ばし 」 に関して言えば、1980年代まで罰則規定が無かったんですね、つまり典型的なモラルハザードの世界、そのキーワードは 「 先送り 」 ・・感心するほどまあ色々とやっております。 さて仰る通りで一度吸った蜜の味は忘れられないもの・・、あの時代、値上がり確実なCB( 転換社債 ) なんていう毒入り饅頭を喰らった財務担当役員なんてそれこそ普通にいたと思います。 そんな彼等は、株価が上がった際株式に転換して莫大なキャピタルゲインを得ていた、山一の経営陣だけではありませんね、悪い奴らは・・。 回答ありがとうございました。
- oya_zico
- ベストアンサー率19% (397/2006)
isokenさん、こんにちは。 https://www.youtube.com/watch?v=zg5qJuv1EMo 映画『動乱』…男が男であった。女が女であった。 う~ん、意味深ですね。 映画を見ていないので、妄想するしか無いのですが、 (愛する女と別れることになっても)黙って理想のために戦うのが男? そして、男のために身を引くも、ひたむきに一人の男を愛し続けるのが女? それにしても、吉永小百合が上品で若い!!!若さでは桜田淳子と大差無いように見える。 タモリを筆頭とするサユリスト達の永遠のマドンナで有り続ける理由が分かりましたよ。 おっしゃる通り、確かに品があり過ぎますね、でも、監督的に下品な娼婦じゃダメだったのでしょう。 な~んつって、良くわからないくせに偉そうな妄想解説、申し訳ございません。 そうそう、黒木華ちゃんも、品がありますね。 真田丸では、ウザ可愛い?長澤まさみちゃんとは対照的!つい、あの笑顔に吸い込まれてほっこりしてしまいます。 そういえば、この動乱の時代のことを指し、司馬遼太郎先生は『鬼胎』の時代と言ったらしいですが、どうして、母としての日本国(明治政府)は、自分よりも能力が高くコントロール出来ない『鬼の子供』を産んでしまったのでしょうか? う~ん、難しいですね。 >気持ちは分かる・・、そんな歴史的事件 為政者というか表舞台に居た人側から見た歴史も面白いが、kamejrouさん推薦の小説『壬生義士伝』を読み、弱者の立場(表舞台に居なかった人側)から見た歴史も面白いと思うようになりました。 ご存知かもしれませんが、武士といっても足軽で子沢山の主人公、家族を養う金も無く(まだ農民の方が食うものがある)、武士としてのプライドを捨て生活費のために人斬り新撰組の隊員となるという、浅田次郎氏の小説です。 そして、その主人公とその息子は、明治維新の過程で(五稜郭等も含む)死ぬことになるのですが、いやー切なかったですね~。 ということで、そんな歴史的事件とは、明治維新時の戊辰戦争でしょうか。 江戸城無血開城(大政奉還)でそれ以上戦争する必要は無かったが、強引に戦いをしかけましたね。 ハッキリ勝敗を明確にしたかった(会津に恨みがあった?)…という気持ちは良く分かりますが、やり過ぎ感が拭えません。 ちなみに、西南戦争(西南の役)については、 「平民軍隊とは一緒に出来るか!」という武士(特権階級)の不満(気持ち)が正直分からないので、私の中では今一理解出来ませんが、もしかしたら合衆国のトランプさん周辺の白人層の方々なら、そういった気持ちは分かるのかもしれません。 最後に、三国志で言えば、 曹操の父親が陶謙の配下に殺された件で、曹操が挙兵し陶謙を攻めたことについて、やり過ぎだとし、劉備が、義のために陶謙に味方したことになっているが、 父親が殺されれば攻撃するのは当然、やり過ぎでも何でもないと思ったのは私だけでしょうか? う~ん、どうなんでしょう?
お礼
zico さん、こんばんは。 >映画『動乱』…男が男であった。女が女であった。 >う~ん、意味深ですね。 従来健さんの相手役は、女性の側が一歩引いて男の世界を際立たせるのが常でありましたが、吉永小百合さんとの共演が売りの映画となれば、それ相応の脚本とならざるを得なかったでしょう、その結果全てに中途半端な出来栄えという印象が否めません。 >それにしても、吉永小百合が上品で若い!!!若さでは桜田淳子と大差無いように見える。 かつての私の天使・・桜田淳子、彼女のコンサートはゆうに20回は行ってると思います。 ところがどうでしょう、サンミュージック相澤会長の告別式に姿を現わせた彼女ときたら、まるでトドを思わせる豊満体型、斯様に若さと美貌の維持とは難しいもの、その点小百合さんは経年劣化どころか、常に年齢相応な清らかさを保持してらっしゃる、まあそれが吉永小百合たる由縁なのでしょうが・・。 >そうそう、黒木華ちゃんも、品がありますね。 >真田丸では、ウザ可愛い?長澤まさみちゃんとは対照的!つい、あの笑顔に吸い込まれてほっこりしてしまいます。 お梅ちゃん、先週の放送分で死んじゃいましたね。 来週から華ちゃんの姿が見れなくなる、ただ一言・・残念です。 >そういえば、この動乱の時代のことを指し、司馬遼太郎先生は『鬼胎』の時代と言ったらしいですが、どうして、母としての日本国(明治政府)は、自分よりも能力が高くコントロール出来ない『鬼の子供』を産んでしまったのでしょうか? >う~ん、難しいですね。 司馬さんが言われた 『 鬼胎 』 を知りませんでしたが、元来彼は 「 統帥権 」 の名の下に暴走した昭和の軍国主義に否定的であられた、いや・・むしろ憎悪しておられたという方が正しいのかも知れません。 但し戦や戦争全般に関してという訳では恐らくないのでしょう、司馬さんが描く戦国武将や豪傑には愛情が満ち溢れている、近代以降最大級の戦争といっていい日露戦争を題材にした「 坂の上の雲 」への感情移入だってそう、何故ならそこには武士道というエスプリがあったから、そこが好悪の判断基準だったのではないでしょうか。 そもそも司馬遼太郎というお人は我が国の思想史を、武士道と朱子学というほぼ相反する二元論で語られる事が少なくなかった、そして我が国固有の武士道を外来思想の朱子学よりも遥かに重いとしておられる、・・だから私は司馬さんの作品が大好きなんです。 さて zico さんが仰るところの『鬼の子供』を産んでしまった最大の原因は、軍令と軍政を曖昧にした統帥権というマジック・まやかしでしょうね、明治憲法へその点の明記が無かったが為、勝手な拡大解釈が為され統帥権が独り歩きして、軍国主義が拡大してしまったのだと思います。 その危うさは現行憲法の第9条第2項にそのまま当て嵌まる、名称こそ自衛隊ですがこれはもう世界が認めたれっきとした常備軍、・・であるならばもう言葉のまやかしは止め憲法の条文にそれを明記して、万が一にも暴走しない為のちゃんとしたルールを設けよう・・という主張なんですが、お馬鹿ちゃん達にはそれが分からない。 まあこれ以上は止めておきますが・・。 >そんな歴史的事件とは、明治維新時の戊辰戦争でしょうか。 >江戸城無血開城(大政奉還)でそれ以上戦争する必要は無かったが、強引に戦いをしかけましたね。 >ハッキリ勝敗を明確にしたかった(会津に恨みがあった?)…という気持ちは良く分かりますが、やり過ぎ感が拭えません。 一時は家康の再来とまで言われましたが、慶喜公も所詮は殿様でしかなかったという事でしょう。 自身は恭順の意を表し江戸の無血開城そして水戸へ退去しましたが、後始末を全て家来に委ねている、正義は我が方にあるとの戦意に燃えた集団を、幕府の高官程度が抑えられる訳がありません。 加えて江戸庶民の心情を含め、周囲がほぼ敵という状況と極度の治安の悪化・・、当時官軍が置かれた立場を考えれば、彰義隊の討伐・・あれはしょうがなかったろうと思います。 それともう一つ、勝負の証として当初官軍が欲したのは慶喜公の首、当然ですね・・旧政権の親玉ですから、ところがいち早く蟄居謹慎してしまわれた為、その代わりに標的にされたのが会津であり、依って幾ら申し開きをしても聞く耳を持たれず、ああいう結末になってしまいました。 >最後に、三国志で言えば、曹操の父親が陶謙の配下に殺された件で、曹操が挙兵し陶謙を攻めたことについて、やり過ぎだとし、劉備が、義のために陶謙に味方したことになっているが、父親が殺されれば攻撃するのは当然、やり過ぎでも何でもないと思ったのは私だけでしょうか? あの状況であれば、曹操でなくても復讐するでしょう、彼の気持ちはよく分かります。 配下の罪は陶謙という大将の責任というのも当たり前の話、そもそも忠孝を重んじる中国的倫理感からすれば、曹操のとった行動が褒められても非難される事はないと思うのですが・・。 回答ありがとうございました。
補足
zico さん、こんばんは。 先ずは一言御詫びを・・、貴兄へのお礼を書き上げさあ送信という段階で、全て消えてしまいまして、どうやっても復元出来ず熱が出そうです。 依って明日以降になる事お許し頂きたいと・・、申し訳ありません。
- 戦艦みかさ(@mikasa1905)
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すみません、追記します。 宮城事件の鎮圧後、腹を切って畑中少佐たち。 戦後ぬけぬけと生き残り一切責任を負わなかった戦争指導者達とくらべたら、きちんと「筋を通した」彼らの思いを否定することはできません。 でも、最後は「多くの日本人を生き残らせる」という大人の現実路線に落ち着いて、ほんと良かったと思います。
お礼
>宮城事件の鎮圧後、腹を切って畑中少佐たち。 >戦後ぬけぬけと生き残り一切責任を負わなかった戦争指導者達とくらべたら、きちんと「筋を通した」彼らの思いを否定することはできません。 確かに多くの元政府高官が、何年か後に公職復帰を果たしておりますね。 軽々に老害という言葉を使いたくはありませんが、実に見事な最期を遂げた若手将校達との比較に於いて、果たしてどうなんでしょう。 連投ありがとうございました。
- eroero4649
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五女体大満足のあのお方ですね。ハンディキャップがある人はゲスな生き方は人一倍許されないってのもないよなと。そしてモテたなら百人斬りを目指したくなるのは男の性だよなと。いざというときに自分じゃ処理できないのも同情ポイントです。 ただ、クリスマスの時期に子供と一緒に過ごさなかったのは、アカン。そこはやっぱり家族が最優先ですという一線は引くのが各方面に対する礼儀ではないかと思うのです。 歴史的大事件?・・・まあ、ハンディキャップを持つ人がそこらの健常者よりずっとずっとヤリチンだったというのは充分歴史的大事件だと思います。彼の登場以前は、性欲を持っていることを表に出すことでさえタブーとされていたのですからね。ここでよく出没する僕はイケメンじゃないから女にモテないんですという連中には、彼のツメのアカでも煎じて飲めと・・・ちょっと度が過ぎましたかね?
お礼
eroero さん、おはようございます。 >五女体大満足のあのお方ですね。ハンディキャップがある人はゲスな生き方は人一倍許されないってのもないよなと。 驚きましたねぇ、大変不謹慎ですが、致す姿が想像出来ません。 確かに eroero さんが仰る通りで、健常者は良くてそうでない人は駄目って事はないでしょう。 >歴史的大事件?・・・まあ、ハンディキャップを持つ人がそこらの健常者よりずっとずっとヤリチンだったというのは充分歴史的大事件だと思いま す。 我々はハンディをお持ちの方々に対して、ついストイックな生き方を想像しがちですが、そういう逞しい方もおられるというのは悪くないと思います。 或る意味ハンディキャップがある方々に、勇気と感動を与えた快挙かも知れませんね。 回答ありがとうございました。
- citytombi
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バブル崩壊の象徴的事件というか出来事に、山一證券の倒産がありましたね。 2600億円もの「簿外債務」の存在があって、それを知るのは会社でもごく限られた人だけでした。 “社員は悪くありませんから”と号泣して会見した社長でさえ、その存在は知りませんでしたし、もちろん社員も、そんな莫大な債務があることなど知りませんでした。 社長が言った、“社員は悪くありませんから”というのは、確かに気持ちは分かるなぁーと思いました。
お礼
citytombi さん、おはようございます。 >バブル崩壊の象徴的事件というか出来事に、山一證券の倒産がありましたね。 忘れもしない1997年の事でしたが、驚きましたねぇ。 それにしても都市銀行の末席北海道拓殖銀行の破綻と、それに続く4大証券の一角 山一証券の自主廃業 ( 後に破産に変更 ) は、それまで 「 護送船団 」 と揶揄されぬるま湯にどっぷり浸かっていた金融業界が、何でもありの時代に突入した事を示唆しておりました。 さて当時の山一にはメイン・バンクと呼べる存在が無く、確か日本興業銀行と富士銀行の並立でしたが、彼等バンカー出身の歴代役員を冷遇していた関係で、双方に感情的対立があったのも、後に破産へと至る原因の一つでしょう。 >“社員は悪くありませんから”と号泣して会見した社長でさえ、その存在は知りませんでしたし、もちろん社員も、そんな莫大な債務があることなど知りませんでした。 >社長が言った、“社員は悪くありませんから”というのは、確かに気持ちは分かるなぁーと思いました。 山一最後の社長 野澤さんは、経営中枢のラインから外れた末席の専務からの昇格でありましたが、何の事情も知らされず旧経営陣の尻拭いをさせられ本当に御気の毒でした。 ただあの涙の記者会見の意義は小さくなかったと思いますよ、旧山一社員のその後の再就職に良い影響を与えたようです。 回答ありがとうございました。
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お礼
mikasa さん、こんばんは。 >先日映画「226」は観たのですが、もっと勉強しなきゃと思ってます。歴史は俯瞰で見ることと、それぞれの立場に立って追体験することと両方大事かなと思います。その結果何が正しいのかわけわかんなくなるんですけどw 仰る通りでね、歴史とは光が当たる一定方向からのみ俯瞰すべきものではない・・、私もそう思います。 その観点から二・二六事件に関して申し上げれば、先ずは軍隊の政治への不介入という大原則が完全に崩れ去り、軍国主義化への傾斜をより強めて行く切っ掛けになったという客観性に由来する負の遺産、その一方で国を憂う若手将校の気持ちが痛いほど分かるという主観とのせめぎ合いですね。 思うに政治と軍隊との因果関係は、その国の民度を推し量る尺度でもある、昨今の我が国を取り巻く極東の軍事環境にも、興味深いものがあります。 例えば中国の人民解放軍を正確に言えば、シビリアン・コントロールではなくパーティー・コントロールと呼ぶべきもの、故に天安門事件で国民に銃を向けちゃう、つまり国家国民のものではなく中国共産党の軍隊という事でしょう。 他方北朝鮮・・、世間一般では金一族と朝鮮人民軍とは一体との見方が為されているようですが、正確に言えばそうじゃない、故に金日成・金正日は文民統制を強固にする一方で、食料・燃料他を優先させるなど実に気を遣って来たんですが、頭を刈り上げたおでぶちゃんにはその辺りの機微がどうも分かっていない。 その点誉めたくはないが、アメリカが持つシビリアン・コントロールの歴史は見事です。 >リーマンショック後仕事が激減して精神的に追い詰められた私は、戦前戦中の日本人に思いを馳せました。姉や妹、娘を売らなくてすむなら兵隊でもなんでもなるし、家族の暮らしを守れるなら特攻隊にも志願すると。 今の時代に生きる我々にとって、女郎屋に売られて行く身内というのは現実性に乏しいのでしょうが、当時農村出身の貧しい兵隊さんにとっては、それこそ他人事じゃなかったでしょう。 そんな世の中なら暴発でも何でもしてやれ・・、そういう気持ちになったとしても何の不思議もなかったと思います。 ところで御指摘のリーマンショック・・、実のところ我が国への直接的な影響は当初軽微だった、何せバブルが弾けてこちら何れの金融機関も青息吐息、依って殆どサブプライムローン関連に手を出していなかったというか出せない状況下にありましたから。 ただ世界的不況と円高傾向が先ずは輸出産業に大打撃を与え、次いで連日の報道が GDP の6割に相当する国内個人消費のマインドを決定的に冷え込ませた・・、それが大きかったのでしょう。 >ただおっしゃる通り、226事件の首謀者は賊軍とされながらも。その後政治にプレッシャーを与えるのに軍部が利用したのは皮肉な事です。 統制派は当然の事ながら、皇道派も上層部はそれは見事な掌返し、いつの世も切り捨てられるのは下の人間・・と相場が決まっているようです。 >さて、その終戦間際に起きた「宮城事件」を私は挙げさせていただきます。 これはもう、畑中少佐以下の気持ちが分かり過ぎるほど分かるその一方で、いみじくも mikasa さんが後段で述べておられる通り、戦後の復興へと至る最低条件すら消し飛ばしてしまいかねないほど、危うい綱渡りの局面でありました。 >「日本の一番長い日」の小説と新旧映画を観た程度で、 あの映画に登場する迫水久常という実在の内閣書記官長がおりまして、戦前は大蔵省銀行証券局長を務めたキャリア官僚なのですが、戦後政治家に転身した後、先の質問で記した例の瀬島龍三氏と自衛隊の次期主力戦闘機導入計画 ( 第一次FX ) で繋がります。 このお二人は戦前から面識があったようですね、それも終戦の詔勅を決定した御前会議の場に於いて、つまり宮城事件と全くの無縁ではありません。 さてロッキードにグラマン、伊藤忠・丸紅・日商岩井、政界に於いては岸信介・大野伴睦・河野一郎、そしてフィクサー児玉誉士夫辺りがごちゃごちゃに絡み合い、当時自衛隊の戦闘機購入を巡る争いは常に複雑怪奇ですが、そのサイド・ストーリーにインドネシアへの紐付き円借款、日韓基本条約及び韓国国軍の戦闘機選定問題、更にその延長線上に後のロッキード事件やダグラス・グラマン事件がある事を思えば、実に興味深いものがあります。 >私は何度か書いてますが、絶対国防衛圏を破られた時点で戦争をやめられれば大平洋戦争の犠牲者の多くが生き残る事ができたはずで、そこが悔やまれて仕方無いのですが、その時点での降伏が許されない当時の状況もわかります。 私も何度か mikasa さんの質問に回答している、依って貴方が言わんとする御趣旨は鮮明に記憶しておりまして、全ての前提条件を敢えてクドクドと述べませんが、まあ非常に微妙で難しい問題でしょう。 思うに政府首脳に日米開戦を決意させた危うい前提条件の一つが、欧州戦線でのドイツの勝利という希望的観測にあった、つまりはなから全面的勝利は眼中に無く、日露戦争型の終戦をイメージしていたんだろうと思います。 ところが1944年7月初頭、マリアナ沖海戦での敗戦・サイパン島の玉砕が確定するに至り、絶対国防衛圏を破られて以降 B-29 に依る本土空襲が物理的に可能となる、奇しくもこの時期は欧州戦線に於けるソ連反転の時期と重なってしまう。 ノルマンディー上陸作戦もほぼこの頃、つまりドイツの調停に依る理想的な講和条約の締結が事実上不可能となり、降伏を考える初期段階としてこれ以上ない絶好のタイミングではあった・・、後世の目で客観的且つ冷静に考えれば確かにそうでしょう。 その一方で、戦力の枯渇以前の段階での降伏という意思統一が難しかったのも、仰る通り。 何せ若手将校にそういった教育を施し尻を叩いていたのが、他ならぬ軍上層部でありましたから・・。 >筋から言って、絶対国防衛圏を破られても戦争を止めなかったのなら、本土決戦までやるべきなのです。一体何のために特攻隊が時間を稼ぐために散っていったのか。大和や武蔵も何のために特攻したのか。 ドイツがそうでしたね、この大陸国家最後の生命線がノルマンディーにあるというのは、恐らくドイツ & 米英の共通認識であった訳で、連合国側の思惑も1944年中に、ドイツを完全降伏へと追い込む事にありました。 ところがパリの解放に繋がり、且つベルギー・オランダを通過してドイツ国内への進撃可能になったこの上陸作戦の成功を以ってしても、ドイツは降伏せず、敢えて逆説的に述べれば、東側から侵攻して来たソ連に有利な条件を与えてしまう事となる。 つまり40数年に及ぶ民族分断というドイツの悲劇は、終戦の時期を誤った点にこそある訳で、その比較に於いて、我が国はまだしも幸運であったのだろうと思います。 >また大和や武蔵は、これらを残しての降伏は継戦派が許さないだろうと、終戦派の工作で死地へ追いやられたってのも間違いないでしょう。 太平洋戦争に於ける幾つかの海戦を振り返れば、海軍の主戦力は既に空母という時代に突入している、つまり戦艦の有用性が「 三笠 」 の時代とは決定的に異なっていたにも関わらず、言うなれば時代遅れの産物を国庫を傾けて建造した事になります。 さて仰る通りで、幾許かの戦力の保全は或る意味無条件降伏への足枷でありました、故に戦艦大和の出撃及び撃沈は、国内継戦派に対するセレモニーであり我が国を終戦へと誘うメルクマール、且つ軍国主義に決別を告げるレクイエムでもあった、或いはそういう事かも知れません。 >いつもと同じくまとまりませんが、イソケンさん総括おねがいします♪ なんの、私も似た様なものです。 今日は天気も良くなかったのに、家内がブーブーうるさい為泣く泣く隅田川に参りました、勿論花見です。 その後浅草の寿司屋で一杯やりまして、以降ずっと飲みっ放し・・、宮仕えも辛いが家庭サービスも中々厳しいものですね。 ・・という事で、回答ありがとうございました。